大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問18 (世界史B(第3問) 問4)
問題文
あるクラスで、世界の人口の推移についての授業が行われている。
先生:今日は、人口から歴史を考えてみましょう。次の表は、およそ400万km2の面積がある、東南アジア、インド、中国本土、ヨーロッパの人口の推移を示しています。どのようなことが読み取れますか。
西田:どの地域も、人口が増加していますね。
先生:そうですね。気候の安定や食糧生産の増大、医療の進歩など様々な理由によって、人口が増えたと考えられています。
東山:ところで、現在の東南アジアは人口が多いのですが、この表の時期は他の地域に比べて、随分少ないですね。何か、特別な理由があるのでしょうか。
先生:伝染病の流行や風土病、さらに食糧事情などが影響したと考えられています。日本と比較してみましょう。現在の日本の面積は約37.8万km2で、東南アジアのおよそ11分の1なのですが、1700年の東南アジアの人口は2,400万人、日本は2,800万人強で、日本の方が少し多いくらいです。
北野:面積は日本より広いのに、意外です。ところで、1850年の日本の人口はどのくらいですか。
先生:3,071万人くらいと推定されています。東南アジアの人口が、日本を上回ります。この間の日本の人口増加は、緩やかです。
南部:人口密度が高いか、低いかによって、社会の仕組みが違ってきますか。
先生:19世紀以前の東南アジアには、未開墾地が比較的多く存在し、権力者には、土地を領有するよりも、人を影響下に置く方がはるかに重要でした。人がいると、農業生産もはかどるし、交易も進展させることができます。東南アジアで領域支配が確立するのは、19世紀後半以降、植民地体制が成立してからです。
前の表を参照して、各地域の人口の動きについて説明している文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問18(世界史B(第3問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
あるクラスで、世界の人口の推移についての授業が行われている。
先生:今日は、人口から歴史を考えてみましょう。次の表は、およそ400万km2の面積がある、東南アジア、インド、中国本土、ヨーロッパの人口の推移を示しています。どのようなことが読み取れますか。
西田:どの地域も、人口が増加していますね。
先生:そうですね。気候の安定や食糧生産の増大、医療の進歩など様々な理由によって、人口が増えたと考えられています。
東山:ところで、現在の東南アジアは人口が多いのですが、この表の時期は他の地域に比べて、随分少ないですね。何か、特別な理由があるのでしょうか。
先生:伝染病の流行や風土病、さらに食糧事情などが影響したと考えられています。日本と比較してみましょう。現在の日本の面積は約37.8万km2で、東南アジアのおよそ11分の1なのですが、1700年の東南アジアの人口は2,400万人、日本は2,800万人強で、日本の方が少し多いくらいです。
北野:面積は日本より広いのに、意外です。ところで、1850年の日本の人口はどのくらいですか。
先生:3,071万人くらいと推定されています。東南アジアの人口が、日本を上回ります。この間の日本の人口増加は、緩やかです。
南部:人口密度が高いか、低いかによって、社会の仕組みが違ってきますか。
先生:19世紀以前の東南アジアには、未開墾地が比較的多く存在し、権力者には、土地を領有するよりも、人を影響下に置く方がはるかに重要でした。人がいると、農業生産もはかどるし、交易も進展させることができます。東南アジアで領域支配が確立するのは、19世紀後半以降、植民地体制が成立してからです。
前の表を参照して、各地域の人口の動きについて説明している文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

- マラッカ王国が繁栄していた1850年の東南アジアの人口は、1800年よりも増加している。
- インドでは、ヴィクトリア女王がインド皇帝に即位した19世紀前半に人口増加が見られた。
- 中国本土では、トウモロコシやサツマイモの栽培の普及が人口増加を支え、1800年の人口が1700年の2倍を超えている。
- 18世紀後半以降のヨーロッパでは、産業革命の進展に伴って人口が増加し、1900年のヨーロッパの人口は、同じ年のインドの人口を超えている。
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この過去問の解説 (1件)
01
この問題は、表のデータと歴史的背景をあわせて読み取ることで、各地域の人口の動きを正しく説明している記述を選ぶ内容です。
それぞれの選択肢について、表の数値と史実をもとに検討します。
【表から読み取れる主なポイント】
東南アジアの人口:1800年 3,150万人 → 1850年 4,200万人(増加)
インドの人口:1700年 1億6,000万人 → 1900年 2億8,000万人(増加)
中国本土の人口:1700年 1億5,000万人 → 1800年 3億2,000万人(約2.13倍)
ヨーロッパの人口:1900年 2億7,100万人、同年のインドは2億8,000万人(ヨーロッパは下回る)
マラッカ王国の繁栄期は15〜16世紀です。
1850年時点ではすでに消滅しており、記述が不正確となります。
1800年 → 1850年の人口は3,150万人→4,200万人と増加していますが、
歴史的背景の記述が誤っているため不適当です。
ヴィクトリア女王がインド皇帝に即位したのは1877年であり、19世紀後半です。
それ以前にもインドの人口は徐々に増加していますが、「19世紀前半に即位」は歴史的に誤りであるため、不適当です。
表を見ると、中国本土の人口は、
1700年 → 1億5,000万人
1800年 → 3億2,000万人(約2.13倍)
となっています。
トウモロコシやサツマイモなどの新大陸作物が中国で広く栽培され始めたのは17〜18世紀で、人口増加に大きく貢献しました。
数値も歴史的背景も正確なため、この選択肢は正しいです。
表によると、1900年の人口は、
ヨーロッパ → 2億7,100万人
インド → 2億8,000万人
となります。
インドの方が多いため、「ヨーロッパが上回る」という記述は誤りであり、不適当です。
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