大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問19 (世界史B(第3問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問19(世界史B(第3問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の人々の交流や社会の変化について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

あるクラスで、世界の人口の推移についての授業が行われている。

先生:今日は、人口から歴史を考えてみましょう。次の表は、およそ400万km2の面積がある、東南アジア、インド、中国本土、ヨーロッパの人口の推移を示しています。どのようなことが読み取れますか。

西田:どの地域も、人口が増加していますね。
先生:そうですね。気候の安定や食糧生産の増大、医療の進歩など様々な理由によって、人口が増えたと考えられています。
東山:ところで、現在の東南アジアは人口が多いのですが、この表の時期は他の地域に比べて、随分少ないですね。何か、特別な理由があるのでしょうか。
先生:伝染病の流行や風土病、さらに食糧事情などが影響したと考えられています。日本と比較してみましょう。現在の日本の面積は約37.8万km2で、東南アジアのおよそ11分の1なのですが、1700年の東南アジアの人口は2,400万人、日本は2,800万人強で、日本の方が少し多いくらいです。
北野:面積は日本より広いのに、意外です。ところで、1850年の日本の人口はどのくらいですか。
先生:3,071万人くらいと推定されています。東南アジアの人口が、日本を上回ります。この間の日本の人口増加は、緩やかです。
南部:人口密度が高いか、低いかによって、社会の仕組みが違ってきますか。
先生:19世紀以前の東南アジアには、未開墾地が比較的多く存在し、権力者には、土地を領有するよりも、人を影響下に置く方がはるかに重要でした。人がいると、農業生産もはかどるし、交易も進展させることができます。東南アジアで領域支配が確立するのは、19世紀後半以降、植民地体制が成立してからです。

前の文章から読み取れる事柄あ・いと、日本と東南アジアとの関係の歴史について述べた文X・Yとの組合せとして正しいものを、後のうちから一つ選べ。

文章から読み取れる事柄
あ 1850年の東南アジアの人口密度は、同じ時期の日本と比べて低い。
い 1850年の東南アジアの人口密度は、同じ時期の日本と比べて高い。

日本と東南アジアとの関係の歴史について述べた文
X 第二次世界大戦中にドイツがフランスに侵攻する前に、日本軍がフランス領インドシナ北部に進駐した。
Y 朱印船が東南アジアに来航し、日本町(日本人町)ができた。
問題文の画像
  • あ ― X
  • あ ― Y
  • い ― X
  • い ― Y

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題は、表のデータと歴史的知識をもとに、人口密度と日本と東南アジアの関係について正しい組合せを選ぶものです。

まずは表から人口密度の数値を確認し、その後にX・Yの歴史的記述を検討します。

 

 

1850年の東南アジアと日本の人口密度の比較

東南アジア(408万km²)→ 4,200万人(10人/km²)

日本 → 3,071万人(面積 約37.8万km²)

人口密度(日本)=3,071万人 ÷ 37.8万km² ≒ 81人/km²

 

→ よって、1850年の東南アジアの人口密度(10人/km²)は、日本(81人/km²)よりも明らかに低いため、正しいのは (東南アジアの方が低い)です。

 

 

日本と東南アジアの関係についての記述

X 「第二次世界大戦中にドイツがフランスに侵攻する前に、日本軍がフランス領インドシナ北部に進駐した。」

・正しくは、1940年にドイツがフランスに侵攻・降伏した後、日本はその隙を突いてフランス領インドシナ北部に進駐しました。

・ドイツ侵攻よりも前ではありません。

→ Xは不適当です。

 

Y 「朱印船が東南アジアに来航し、日本町(日本人町)ができた。」

朱印船貿易(16〜17世紀)によって、日本から多くの商人が東南アジアに渡航し、ベトナムのホイアンなどに日本人町(日本町)が形成されました。

→ Yは適当です。

選択肢1. あ ― X

誤りです。

選択肢2. あ ― Y

正しい選択肢です。

選択肢3. い ― X

誤りです。

選択肢4. い ― Y

誤りです。

まとめ

1850年の東南アジアの人口密度は日本よりも低く、日本は江戸時代から人口が多い国でした。

また、江戸時代前期には朱印船によって日本人が東南アジアへ進出し、日本町が各地にできました。

したがって、「あ―Y」が最も適当です。

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