大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問58 (日本史B(第5問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問58(日本史B(第5問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、幕末維新期に活躍をした人物たちについて関心のあるアカネさんとタケルさんとの会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。

アカネ:歴史を題材にしたドラマや小説の中でも、a 幕末維新期に活躍した人物を主人公にしたものは、人気があるよね。
タケル:そうだね。例えば、土佐藩出身の坂本龍馬は、歴史ドラマなどでもよく取り上げられる人気の人物だよね。
アカネ:だけど、龍馬は1867(慶応3)年11月に暗殺されていて、その後の明治維新の歴史に関わっていないよ。なのに、なぜ人気が高いのかな。
タケル:龍馬と言えば、薩摩藩と長州藩との同盟を仲介したことが有名だけど、その外にも、海援隊という組織を率いて、海運やb 貿易の事業にも携わったと言われているよ。
アカネ:なるほど、政治や経済など、様々な分野で活躍をした人物だったと言えそうだね。
タケル:龍馬の活躍と言えば、1867年6月に作成された「c 船中八策」も、後の明治日本の国家構想につながったと言われているよね。
アカネ:その「船中八策」だけど、この史料については当時の原本が確認されていないこともあり、歴史学でも議論が続いているようだよ。
タケル:それは、とても興味深いね。龍馬に関する研究で言えば、1883年に連載が始まった龍馬を主人公とする小説「汗血千里の駒」は、龍馬を通じて、高知の自由民権運動をアピールしようとしたd 政治小説というジャンルだと説明する本を読んだことがあるよ。
アカネ:そうなんだ。その小説の事例のように、歴史を題材にしたドラマや小説などの作品は、後の時代の価値観が反映されている場合が少なくない、ということに留意して鑑賞したほうが良さそうだね。

下線部dに関連して、明治期の文学について述べた文として正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 坪内逍遙は、書き言葉と話し言葉を一致させた文体の政治小説を著すことで、自由民権の思想を広めた。
  • 日清戦争の前後には、個人の感情や精神の自由を重視したロマン主義の文学が広がった。
  • 日露戦争の前後には、田園生活の美しさを賛美する自然主義の文学が広がった。
  • 日露戦争が始まると、戦争に批判的な立場を取る『国民新聞』紙上に、多くの反戦詩が掲載された。

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この過去問の解説 (1件)

01

明治時代には、社会の動きにあわせていろいろな文学の流れが生まれました。

選択肢1. 坪内逍遙は、書き言葉と話し言葉を一致させた文体の政治小説を著すことで、自由民権の思想を広めた。

この内容は適切ではありません。

坪内逍遙は、書き言葉(文語)と話し言葉(口語)を一致させる『言文一致』というスタイルを推進しました。

しかし、坪内逍遙が書いた『小説神髄』などの作品は文学理論を述べたものであり、政治小説を書いて自由民権の思想を広めたのは、矢野龍渓や東海散士らの別の作家です。

選択肢2. 日清戦争の前後には、個人の感情や精神の自由を重視したロマン主義の文学が広がった。

この内容は適切です。

1894~95年の日清戦争の前後には、「自分の気持ち」や「心の自由」を表現するロマン主義の文学が盛んになりました。

島崎藤村や北村透谷が代表的で、自分の内面や感情、理想を大切にした作品が多く書かれました。

選択肢3. 日露戦争の前後には、田園生活の美しさを賛美する自然主義の文学が広がった。

この内容は適切ではありません。

日露戦争(1904~05年)の前後に盛んになった自然主義の文学は、田園の美しさや自然を理想化するものではなく、人間の現実をそのまま正直に描くスタイルでした。

田山花袋の『蒲団』や島崎藤村の『破戒』のように、人の弱さや苦しみをリアルに表現したものが自然主義文学です。

選択肢4. 日露戦争が始まると、戦争に批判的な立場を取る『国民新聞』紙上に、多くの反戦詩が掲載された。

この内容は適切ではありません。

『国民新聞』は日露戦争当時、戦争を積極的に応援した新聞でした。

そのため、『国民新聞』に多くの反戦詩が掲載されたということはありません。

まとめ

明治時代の文学は、時代の動きや社会の変化と深く結びついていました。

特に日清戦争の前後には、自分自身の心や自由を表現するロマン主義の文学が広がったことが特徴です。

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