大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問62 (日本史B(第6問) 問4)
問題文
B ナオトさんの発表
私は、日本が1940年9月27日に調印した日独伊三国同盟が重要だと思いました。この同盟では、ドイツ、イタリア両国のヨーロッパにおける指導的地位と、日本の東アジアにおける指導的地位を、3か国が相互に認め合いました。この同盟が調印された当時は、c 国際情勢がめまぐるしく変化していました。また、これにd 対抗する勢力も様々な対応を取りました。とりわけソ連の動向をおさえた上で、さらに探究していきたいと思います。
下線部dについて、対抗する勢力が開いた会談の詳細を示した次の文X・Yと、その場所を示した後の地図上の位置a~dとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
X 1943年にアメリカ・イギリス・中国が、日本が無条件降伏するまで戦うことを宣言した。
Y 1945年7月にアメリカ・イギリス・ソ連の三国首脳が会談した。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問62(日本史B(第6問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
B ナオトさんの発表
私は、日本が1940年9月27日に調印した日独伊三国同盟が重要だと思いました。この同盟では、ドイツ、イタリア両国のヨーロッパにおける指導的地位と、日本の東アジアにおける指導的地位を、3か国が相互に認め合いました。この同盟が調印された当時は、c 国際情勢がめまぐるしく変化していました。また、これにd 対抗する勢力も様々な対応を取りました。とりわけソ連の動向をおさえた上で、さらに探究していきたいと思います。
下線部dについて、対抗する勢力が開いた会談の詳細を示した次の文X・Yと、その場所を示した後の地図上の位置a~dとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
X 1943年にアメリカ・イギリス・中国が、日本が無条件降伏するまで戦うことを宣言した。
Y 1945年7月にアメリカ・イギリス・ソ連の三国首脳が会談した。

- X ― a Y ― c
- X ― a Y ― d
- X ― b Y ― c
- X ― b Y ― d
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この過去問の解説 (1件)
01
この問題は、第二次世界大戦中に日本やドイツ、イタリアに対抗した国々が開いた重要な会談と、その場所を地図上で正しく結びつける問題です。
まず、それぞれの会談について見ていきます。
Xの文
「1943年にアメリカ・イギリス・中国が、日本が無条件降伏するまで戦うことを宣言した。」
これは「カイロ会談」のことです。
カイロ会談はエジプトのカイロで行われました。
地図上では、カイロは「b」の位置になります。
Yの文
「1945年7月にアメリカ・イギリス・ソ連の三国首脳が会談した。」
これは「ポツダム会談」のことです。
ポツダム会談はドイツのポツダムで行われました。
地図上では、ポツダムは「d」の位置になります。
このため、正しい組合せは、
X ― b Y ― d
となります。
【補足】
aはヤルタ(現在のウクライナ南部、クリミア半島)です。
1945年2月にアメリカ(ルーズベルト大統領)、イギリス(チャーチル首相)、ソ連(スターリン指導者)の3つの国のトップが集まった「ヤルタ会談」が開かれました。
戦後のヨーロッパの扱いやソ連が日本との戦争に参加することを決めた重要な会議でした。
cはカサブランカ(モロッコ)です。
1943年1月にアメリカ(ルーズベルト大統領)とイギリス(チャーチル首相)が集まり、「カサブランカ会談」が開かれました。
ここでは枢軸国(日本やドイツなど)が無条件降伏するまで戦い続けることを最初に決めました。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
正しいです。
第二次世界大戦中には、各国のリーダーが何度も会議を開き、戦争の進め方や終わらせ方を相談しました。
特にカイロ会談とポツダム会談は、日本の戦争終了に大きく関わる重要な会議でした。
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