大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問61 (日本史B(第6問) 問3)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問61(日本史B(第6問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

日本史の授業で、ナオトさんの班は、近現代における日本と世界の関係についてまとめることになった。発表Bを読み、後の問いに答えよ。

B ナオトさんの発表
私は、日本が1940年9月27日に調印した日独伊三国同盟が重要だと思いました。この同盟では、ドイツ、イタリア両国のヨーロッパにおける指導的地位と、日本の東アジアにおける指導的地位を、3か国が相互に認め合いました。この同盟が調印された当時は、c 国際情勢がめまぐるしく変化していました。また、これにd 対抗する勢力も様々な対応を取りました。とりわけソ連の動向をおさえた上で、さらに探究していきたいと思います。

下線部cに関連して、次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

Ⅰ  日本は、極東ソ連領の占領計画を立てて関東軍特種演習(関特演)を実施したが、計画そのものは中止された。
Ⅱ  日本は、日米交渉に際して中国・仏印からの撤退を盛り込んだハル=ノート(ハル・ノート)を提示された。
Ⅲ  日本は、関係が悪化していたアメリカを牽制(けんせい)するねらいもあって、日ソ中立条約を締結した。
  • Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ
  • Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ
  • Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ
  • Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ
  • Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ
  • Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題は、1940年前後の日本と世界の関係を年代の順番に整理する問題です。

 

 

一つずつ順番に見ていきましょう。

まず、Ⅰです。 

「日本は、極東ソ連領の占領計画を立てて関東軍特種演習(関特演)を実施したが、計画そのものは中止された。」
これは1941年7月頃のことです。

ソ連とドイツの戦争(独ソ戦)が始まった後、日本はソ連の動きを見て占領計画を立てていましたが、結局これは中止されました。

 

次に、Ⅱです。 

「日本は、日米交渉に際して中国・仏印からの撤退を盛り込んだハル=ノート(ハル・ノート)を提示された。」
これは1941年11月のことです。

アメリカとの交渉が進まない中、日本は中国やフランス領インドシナ(仏印)から撤退するようにという内容のハル=ノートを受け取りました。

その結果、日本はアメリカとの戦争に向かっていきます。

 

最後に、Ⅲです。 

「日本は、関係が悪化していたアメリカを牽制するねらいもあって、日ソ中立条約を締結した。」
これは1941年4月のことです。

日本は、アメリカとの関係が悪くなっていたため、ソ連と中立条約を結んで安全を確保しようとしました。

 

 

したがって、正しい順番は以下の通りです。
Ⅲ(日ソ中立条約)→ Ⅰ(関東軍特種演習)→ Ⅱ(ハル=ノート提示)

選択肢1. Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ

誤りです。

選択肢2. Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ

誤りです。

選択肢3. Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ

誤りです。

選択肢4. Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ

誤りです。

選択肢5. Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ

正しいです。

選択肢6. Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

誤りです。

まとめ

このように、日本は日独伊三国同盟を結んだ後、ソ連との関係調整やアメリカとの交渉で難しい状況に置かれ、最終的に太平洋戦争へと進んでいきました。

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