大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問60 (日本史B(第6問) 問2)
問題文
A アキコさんの発表
私は、1915年に行われた中国政府への二十一か条の要求が重要だと考えました。この要求以後、日本外交は中国及び列強との間で深刻な対立を抱えることになったのではないかと考えています。a 二十一か条の要求を受けて、中国では日本への反感が強まり、反日運動が起きました。日本でもb 1910~20年代は、それまでの時代に比べて、大衆の力が大きくなった時代です。大衆運動が外交に与えた影響について、さらに調べていきたいと思います。
下線部bに関連して、1910~20年代の日本の大衆文化について述べた文として正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問60(日本史B(第6問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
A アキコさんの発表
私は、1915年に行われた中国政府への二十一か条の要求が重要だと考えました。この要求以後、日本外交は中国及び列強との間で深刻な対立を抱えることになったのではないかと考えています。a 二十一か条の要求を受けて、中国では日本への反感が強まり、反日運動が起きました。日本でもb 1910~20年代は、それまでの時代に比べて、大衆の力が大きくなった時代です。大衆運動が外交に与えた影響について、さらに調べていきたいと思います。
下線部bに関連して、1910~20年代の日本の大衆文化について述べた文として正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 雑誌『キング』が創刊された。
- 野間宏の戦争文学が広く読まれた。
- 火野葦平の『麦と兵隊』が広く読まれた。
- 正岡子規が、俳句の革新運動を進めた。
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
この問題は、1910年代~20年代(大正時代~昭和初期)の日本で盛んだった大衆文化について、正しいものを選ぶ問題です。
選択肢を一つずつ見ていきましょう。
これは正しいです。
雑誌『キング』は1925年(大正14年)に創刊されました。
大衆向けの内容が人気を集め、多くの人々に読まれるようになりました。
これは間違いです。
野間宏は戦後(第二次世界大戦後)に活躍した作家で、1910〜20年代にはまだ有名ではありませんでした。
これは間違いです。
火野葦平の『麦と兵隊』は1938年(昭和13年)に書かれた日中戦争の頃の作品ですので、1910〜20年代には当てはまりません。
これは間違いです。
正岡子規は明治時代の人物で、1902年(明治35年)に亡くなっています。
したがって、1910〜20年代には活動していません。
1910年代から1920年代にかけての日本は、大衆文化が広がった時代であり、『キング』のような雑誌が人気を博しました。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問59)へ
令和4年度(2022年度)追・再試験 問題一覧
次の問題(問61)へ