大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問19 (世界史B(第3問) 問2)

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問19(世界史B(第3問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

交通の発達は、社会のあり方に大きな影響を与えてきた。このことについて述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

インド亜大陸における交通の歴史について、陸路をテーマに、ゼミで学生と教授が会話をしている。(図には、省略したり、加工したりしたところがある。)

教授:図1はマウリヤ朝の( ア )治世下における主要道を再現した略図です。何か気付くことはありますか。
本間:北インドと南インドは歴史や文化面で違いがあると高校の時に学びました。すでにこの時代に両地域を結ぶ陸路があったのですね。
石塚:農業生産性の高い北インドの平原を結ぶ道は、ここからさらに中央アジアまで延びていましたよね。
教授:二人とも良い着眼点です。図1で示した主要道は当時のマウリヤ朝のおおよその範囲を表しています。( ア )は自らの統治理念を刻ませた磨崖碑や石柱碑の多くを、主要道の終点付近の境界域や主要道沿いの重要拠点に置きました。
池野:なるほど、人の目に付くところに碑文があったのですね。ところで、古代の主要道はそのまま現在も使われているのでしょうか。
教授:参考に、現在のインドの主要な高速道路網を描いた図2と見比べてみましょう。
本間:図1と異なって、図2の高速道路網は、インド亜大陸を囲んでいるように見えます。
教授:「黄金の四角形」と呼ばれる高速道路で、主要な大都市圏を結んでいます。
池野:内陸のa デリーは13世紀頃から近世にかけての中心都市でしたが、その後、新たに開発された沿岸の都市の方が重要になりましたよね。確か沿岸の都市を起点に鉄道が内陸に延びていきました。
石塚:港や鉄道や道路が発展する背景に、物量が格段に増えたこともありますよね。デリーが再びインドの中心になったのは、内陸の交通網の整備が進んだことも関係しているように思います。
教授:1911年以降デリーがインド帝国の首都になったことで、政治的な重要性を増しました。さて、今日の話の内容をまとめてみましょう。

下線部aについて述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
問題文の画像
  • この地で第1回インド国民会議が開催された。
  • この地で開催されたインド国民会議で、4綱領が決議された。
  • この地にタージ=マハルが建造された。
  • この地に奴隷王朝の首都が置かれた。

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (1件)

01

最も適当な選択肢は

「この地に奴隷王朝の首都が置かれた」 です。

 

図1と図2に関する会話から、デリーの歴史的な位置づけについて言及されており、デリーは奴隷王朝の首都として知られています。

デリーが重要な内陸の中心都市であり、その後の発展に関連することを踏まえて、この選択肢が最も適切です。

選択肢1. この地で第1回インド国民会議が開催された。

インド国民会議は、特に1870年代から活動を本格化させましたが、第1回会議はムンバイ(ボンベイ)で開催されました。

デリーでは行われていません。

したがって、この選択肢は不正確です。

選択肢2. この地で開催されたインド国民会議で、4綱領が決議された。

インド国民会議で決議された綱領に関する出来事はデリーではなく、ムンバイで行われた会議で決まったものであり、デリーには関連しません。

そのため、この選択肢も不適当です。

選択肢3. この地にタージ=マハルが建造された。

タージ=マハルはアグラに建造されたものであり、デリーではありません。

よって、この選択肢も誤りです。

選択肢4. この地に奴隷王朝の首都が置かれた。

デリーは奴隷王朝(デリー・スルタン朝)の首都として使われ、その後も何度も首都としての役割を果たしてきました。

したがって、この選択肢が最も適切です。

まとめ

デリーはインドの歴史において重要な都市で、特に奴隷王朝時代に首都としての役割を果たしました。

図1と図2からも、デリーが重要な都市として取り上げられており、その歴史的背景を理解するためには、デリーが帝国や王朝の首都として機能していたことが鍵となります。

参考になった数0