大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2023年度)本試験
問18 (世界史B(第3問) 問1)
問題文
インド亜大陸における交通の歴史について、陸路をテーマに、ゼミで学生と教授が会話をしている。(図には、省略したり、加工したりしたところがある。)
教授:図1はマウリヤ朝の( ア )治世下における主要道を再現した略図です。何か気付くことはありますか。
本間:北インドと南インドは歴史や文化面で違いがあると高校の時に学びました。すでにこの時代に両地域を結ぶ陸路があったのですね。
石塚:農業生産性の高い北インドの平原を結ぶ道は、ここからさらに中央アジアまで延びていましたよね。
教授:二人とも良い着眼点です。図1で示した主要道は当時のマウリヤ朝のおおよその範囲を表しています。( ア )は自らの統治理念を刻ませた磨崖碑や石柱碑の多くを、主要道の終点付近の境界域や主要道沿いの重要拠点に置きました。
池野:なるほど、人の目に付くところに碑文があったのですね。ところで、古代の主要道はそのまま現在も使われているのでしょうか。
教授:参考に、現在のインドの主要な高速道路網を描いた図2と見比べてみましょう。
本間:図1と異なって、図2の高速道路網は、インド亜大陸を囲んでいるように見えます。
教授:「黄金の四角形」と呼ばれる高速道路で、主要な大都市圏を結んでいます。
池野:内陸のa デリーは13世紀頃から近世にかけての中心都市でしたが、その後、新たに開発された沿岸の都市の方が重要になりましたよね。確か沿岸の都市を起点に鉄道が内陸に延びていきました。
石塚:港や鉄道や道路が発展する背景に、物量が格段に増えたこともありますよね。デリーが再びインドの中心になったのは、内陸の交通網の整備が進んだことも関係しているように思います。
教授:1911年以降デリーがインド帝国の首都になったことで、政治的な重要性を増しました。さて、今日の話の内容をまとめてみましょう。
文章中の空欄( ア )の人物の治世に起こった出来事について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2023年度)本試験 問18(世界史B(第3問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
インド亜大陸における交通の歴史について、陸路をテーマに、ゼミで学生と教授が会話をしている。(図には、省略したり、加工したりしたところがある。)
教授:図1はマウリヤ朝の( ア )治世下における主要道を再現した略図です。何か気付くことはありますか。
本間:北インドと南インドは歴史や文化面で違いがあると高校の時に学びました。すでにこの時代に両地域を結ぶ陸路があったのですね。
石塚:農業生産性の高い北インドの平原を結ぶ道は、ここからさらに中央アジアまで延びていましたよね。
教授:二人とも良い着眼点です。図1で示した主要道は当時のマウリヤ朝のおおよその範囲を表しています。( ア )は自らの統治理念を刻ませた磨崖碑や石柱碑の多くを、主要道の終点付近の境界域や主要道沿いの重要拠点に置きました。
池野:なるほど、人の目に付くところに碑文があったのですね。ところで、古代の主要道はそのまま現在も使われているのでしょうか。
教授:参考に、現在のインドの主要な高速道路網を描いた図2と見比べてみましょう。
本間:図1と異なって、図2の高速道路網は、インド亜大陸を囲んでいるように見えます。
教授:「黄金の四角形」と呼ばれる高速道路で、主要な大都市圏を結んでいます。
池野:内陸のa デリーは13世紀頃から近世にかけての中心都市でしたが、その後、新たに開発された沿岸の都市の方が重要になりましたよね。確か沿岸の都市を起点に鉄道が内陸に延びていきました。
石塚:港や鉄道や道路が発展する背景に、物量が格段に増えたこともありますよね。デリーが再びインドの中心になったのは、内陸の交通網の整備が進んだことも関係しているように思います。
教授:1911年以降デリーがインド帝国の首都になったことで、政治的な重要性を増しました。さて、今日の話の内容をまとめてみましょう。
文章中の空欄( ア )の人物の治世に起こった出来事について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

- デカン高原に成立したサータヴァーハナ朝と交流した。
- 中央アジアから遊牧民エフタルの侵入があった。
- 仏典結集が行われた。
- 東晋から法顕が訪れた。
正解!素晴らしいです
残念...
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