大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2023年度)本試験
問24 (世界史B(第3問) 問7)

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2023年度)本試験 問24(世界史B(第3問) 問7) (訂正依頼・報告はこちら)

交通の発達は、社会のあり方に大きな影響を与えてきた。このことについて述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

あるクラスで、ロシアの歴史と文化についての授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)

先生:次の資料1及び資料2は、19世紀ロシアの作曲家であるチャイコフスキー宛に、彼のパトロンだったナジェージダ=フォン=メックが書いた手紙です。気が付いたことを指摘してください。

資料1
私たちのロシア政府は再び方針転換して、( エ )、オーストリアとの同盟という古くからの政策にまた戻りました。これは道理にかなっているかもしれませんが、全然好感が持てませんし、脆弱(ぜいじやく)なものに思えます。こうした友好は、ヴィルヘルム帝が存命の間しか続かないでしょうし、彼が亡くなれば、ロシアは( エ )から痛い目に遭わされることになります。もちろん、フランスは自国の事情から、ロシアとの同盟がなくてもロシアを助けてくれるでしょうが、フランスと仲良くした方が良いのは確かです。(1884年2月25日)

資料2
実際物分かりの悪いフランスは、助かるためにはロシアと同盟するしかないということを、理解していません。フランスの大手の新聞『フィガロ』紙は、ブルガリアの問題でロシアの政策に反対する記事を載せています。何たる愚かな!(1886年9月22日)

藤井:資料1の冒頭で触れられている同盟は1873年に締結されたと世界史の授業で学びましたが、この手紙が書かれたのは1884年ですね。
先生:この同盟は事実上一度失効した後、1881年に再締結され、1884年に更新されます。資料1は1884年の更新を指しています。
西原:資料2では、b フォン=メックはすごくいら立っていますね。でも本当に、当時のフランスの世論が彼女の言うとおりだったか、調べてみると面白そうだと思いました。
藤井:彼女の夫は1860年代の鉄道建設で、巨万の富を築いたそうですね。当時のロシアで、鉄道はどの程度建設されていたのでしょうか。
先生:では、1861年から1905年にかけてのロシアの鉄道の年平均建設距離数を示したグラフを見てみましょう。ここから何か読み取れますか。
西原:1890年代後半に大きな山がありますが、これはフォン=メックが望んでいたこととも、関係していますよね。
先生:そのとおりです。1890年代、ロシアには多くの外国資本が流入しましたが、特に露仏同盟を締結した、フランスからの流入が目立っていました。こうした資本が鉄道建設を支えます。
藤井:私は、1860年代後半から1870年代前半にかけても、山ができているのが意外でした。この時期に、ロシアが鉄道建設を進めたのはなぜなのでしょうか。
先生:ヒントは、この時期モスクワから黒海北岸にかけて、鉄道建設が進んでいることです。付け加えると、1860年代後半にロシアは領土の一部をアメリカ合衆国に売却していますが、売却で得た資金も鉄道建設に使われました。これらの情報と授業で学んだことを基に、19世紀後半のロシアの鉄道建設について調べて、分かったことをまとめてください。

前の文章を参考にしつつ、生徒たちがまとめた次のメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後のうちから一つ選べ。

藤井さんのメモ
1860年代から1870年代にかけて、鉄道の年平均建設距離数が伸びているのは、ロシアがクリミア戦争で得た黒海北岸地域において、鉄道建設が進んだためである。一方、1890年代に年平均建設距離数が伸びているのは、シベリア鉄道の建設のためだと考えられる。

西原さんのメモ
1860年代から1870年代にかけて、ロシア政府は鉄道建設を推進するために、アラスカ売却で得た資金も利用した。一方、1890年代の鉄道建設を支えたのは、露仏同盟の締結により関係が強化されたフランスをはじめとする外国資本である。
問題文の画像
  • 藤井さんのみ正しい。
  • 西原さんのみ正しい。
  • 二人とも正しい。
  • 二人とも誤っている。

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説

まだ、解説がありません。