大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問53 (日本史B(第4問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問53(日本史B(第4問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、高校生のフミさんとサトさんが、近世の輸出入品と社会・経済との関係について話し合った際の会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

フミ:もともと室町時代には朝鮮などから( ア )が多く輸入されていたよね。でも、( ア )は江戸時代前期までに国産化が進んで、庶民も、それ以前のように( イ )を使った衣料から、次第に( ア )を使った衣料を着るようになっていったんだ。
サト:もっと高級な、中国産の生糸や絹織物も、戦国時代になると大量に輸入されたね。日本にやってくるようになったポルトガル船もおもにそれらを積んできたんだ。
フミ:a 江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止した時にも、ポルトガル船に代わってオランダ船などから生糸や絹織物を輸入できるか、慎重に確認した
みたい。ほかに砂糖や薬の原料も輸入されていたね。
サト:でも、多くの高級品を輸入するには、対価として輸出できる物がないと貿易が成り立たないよね。
フミ:それが鉱産物、特に( ウ )だったんだ。16世紀半ばから17世紀の初めにかけて、日本は( ウ )を増産するようになり、世界の中でも主要な産出国だったんだよね。
サト:18世紀になると、輸出品の内容は変わって、b 俵物の輸出が促進されるようになったんだよね。
フミ:でも、それまで輸入していた物産が、次第に国産化されるようになったことも重要だよね。
サト:そうそう。c 輸入に頼っていた砂糖は国産化が進むんだよね。
フミ:ほかにも、d 生糸や絹織物が国内で生産されるようになったことは人々のくらしにも大きな影響を及ぼしたんだよね。

下線部cに関連して、次の史料1は、江戸時代後期に、江戸の喜田川守貞という人物が当時の風俗を記した書物『守貞謾稿(もりさだまんこう)』にみられる砂糖に関する記述である。史料1に関して述べた内容として最も適当なものを、後のうちから一つ選べ。

史料1
長崎入舶の蘭(注1)、一種を持ち来る。(中略)その糖を出島白と言う。支那(注2)よりは三種白糖を持ち来る。(中略)皇国製糖の始めは、官圃(かんぽ)(注3)にこの種を伝えしを池上太郎左衛門なる者拝受し、駿河・遠江二州より植え始め、後、四国に伝え植ゆ。(中略)今、白糖は讃岐を第一、阿波これに次ぎ、駿河・遠江・三河・和泉等またこれに次ぐ。黒糖、それ以前は薩摩より琉球産を渡すのみ。創製以来、紀伊・土佐を第一とし、和泉・駿河・遠江・三河その他もこれを産す。
(注1)蘭:オランダ。
(注2)支那:当時用いられた中国の呼称。
(注3)官圃:幕府が管轄する薬園。
  • 史料1が書かれた頃には、異国と貿易を行っていたすべての藩を通じて砂糖が輸入されていたことが読み取れる。
  • 史料1が書かれた頃には、幕府は砂糖の専売制を改め、自由な取引を容認していたことが読み取れる。
  • 史料1が書かれた頃には、薩摩から琉球へ黒砂糖が輸出されるようになったことが読み取れる。
  • 史料1が書かれた頃には、一部の藩領でも白砂糖や黒砂糖が生産されていたことが読み取れる。

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この過去問の解説 (1件)

01

最も適当なのは、

「史料1が書かれた頃には、一部の藩領でも白砂糖や黒砂糖が生産されていたことが読み取れる」です。

 

史料1は、輸入砂糖の種類を示したあと、駿河・遠江・讃岐・阿波・紀伊・土佐など諸国で白砂糖や黒砂糖が作られるようになった経緯を具体的に述べています。

選択肢1. 史料1が書かれた頃には、異国と貿易を行っていたすべての藩を通じて砂糖が輸入されていたことが読み取れる。

史料は「長崎入舶の蘭」「支那より」としか記さず、藩ごとに輸入したとは書いていません。

輸入港も長崎に限定されるため不適切です。

選択肢2. 史料1が書かれた頃には、幕府は砂糖の専売制を改め、自由な取引を容認していたことが読み取れる。

史料には専売制の廃止や自由取引を示す記述はなく、国内生産地の広がりを述べているだけです。

選択肢3. 史料1が書かれた頃には、薩摩から琉球へ黒砂糖が輸出されるようになったことが読み取れる。

史料は「それ以前は薩摩より琉球産を渡すのみ」とあり、琉球から薩摩に入っていたことを示します。

輸出方向が逆なので誤りです。

選択肢4. 史料1が書かれた頃には、一部の藩領でも白砂糖や黒砂糖が生産されていたことが読み取れる。

「白糖は讃岐を第一、阿波これに次ぎ」「黒糖…紀伊・土佐を第一」と、複数の藩(讃岐・阿波・紀伊・土佐など)が生産地として挙げられています。

史料に合致します。

まとめ

史料1は、長崎貿易で輸入された砂糖の種類と、江戸後期における国内製糖業の発展を示しています。

国産化が進んだ結果、各地の藩が白砂糖・黒砂糖を生産し、輸入依存から自給体制へ移行しつつあったことがわかります。

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