大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問73 (地理B(第2問) 問2)
問題文
ヨシエさんたちは、日本の鉄鋼業の発展を調べるために、製鉄所の立地の変化に着目した。次の図2は、1910年、1940年、1974年、2022年における日本国内の製鉄所*の立地を示したものである。図2を見て話し合った、先生とヨシエさんたちとの会話文中の下線部1~4のうちから、誤りを含むものを一つ選べ。
*銑鋼(せんこう)一貫工場を指す。
先生 「製鉄所の立地の変化には、どのような特徴がありますか」
ヨシエ 「1910年の図を見ると、製鉄所はいずれも原料や燃料の産出地の近くに立地していたことが分かるよ」
マキオ 「製鉄に使われる原料や燃料の重量と製品の重量を比べると、①原料や燃料の方が重く、産出地の近くに立地することで輸送費を安くすることができるためだね」
ヨシエ 「1940年の図を見ると、東京湾岸や大阪湾岸にも製鉄所が立地していたよ」
マキオ 「大市場の港湾近くに立地するようになったのは、②国内に埋蔵される原料や燃料が枯渇して、国外から輸入する傾向が強まったからだね」
ヨシエ 「1974年の図を見ると、三大都市圏や瀬戸内の臨海部で製鉄所が増加しているね」
マキオ 「こうした製鉄所は主に、③臨海部に造成された埋立地に建設されたと思うよ」
ヨシエ 「2022年の図を見ると、1974年と比べて製鉄所が減少しているね」
マキオ 「外国との競争などによる、④経営の合理化や企業の再編が影響していると考えられるよ」

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問73(地理B(第2問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
ヨシエさんたちは、日本の鉄鋼業の発展を調べるために、製鉄所の立地の変化に着目した。次の図2は、1910年、1940年、1974年、2022年における日本国内の製鉄所*の立地を示したものである。図2を見て話し合った、先生とヨシエさんたちとの会話文中の下線部1~4のうちから、誤りを含むものを一つ選べ。
*銑鋼(せんこう)一貫工場を指す。
先生 「製鉄所の立地の変化には、どのような特徴がありますか」
ヨシエ 「1910年の図を見ると、製鉄所はいずれも原料や燃料の産出地の近くに立地していたことが分かるよ」
マキオ 「製鉄に使われる原料や燃料の重量と製品の重量を比べると、①原料や燃料の方が重く、産出地の近くに立地することで輸送費を安くすることができるためだね」
ヨシエ 「1940年の図を見ると、東京湾岸や大阪湾岸にも製鉄所が立地していたよ」
マキオ 「大市場の港湾近くに立地するようになったのは、②国内に埋蔵される原料や燃料が枯渇して、国外から輸入する傾向が強まったからだね」
ヨシエ 「1974年の図を見ると、三大都市圏や瀬戸内の臨海部で製鉄所が増加しているね」
マキオ 「こうした製鉄所は主に、③臨海部に造成された埋立地に建設されたと思うよ」
ヨシエ 「2022年の図を見ると、1974年と比べて製鉄所が減少しているね」
マキオ 「外国との競争などによる、④経営の合理化や企業の再編が影響していると考えられるよ」

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この過去問の解説 (1件)
01
誤りを含む下線部は、
「②国内に埋蔵される原料や燃料が枯渇して」です。
正しいです。
鉄鉱石・石炭・石灰石などの原料・燃料は製品よりも重量が大きく、輸送費を抑えるために1900年代初頭の製鉄所は産地近く(釜石・室蘭・八幡など)に立地しました。
誤りです。
1940年時点で東京湾岸・大阪湾岸に製鉄所が立地した主因は、
・大市場・消費地に近い港湾で出荷・受入を効率化すること
・朝鮮半島や中国東北部(当時日本の勢力圏)などから “低コストで大量に” 鉄鉱石を輸入できたこと
でした。
国内資源が「枯渇」したわけではなく、筑豊炭田や釜石鉱山などは依然稼働しており、資源量そのものが尽きたわけではありません。したがって理由に「枯渇」を挙げるのは不適切です。
正しいです。
1960〜70年代は大型船が接岸できる埋立地(京葉・京浜・阪神・瀬戸内など)に大規模一貫製鉄所が建設されました。
正しいです。
2000年代以降、世界的な供給過剰やアジア勢との競争を背景に、企業統合(新日鉄住金→日本製鉄など)・高炉休止が進み、製鉄所の数は減少しました。
1940年ごろの臨海立地化は、市場立地・外地資源の大量輸入が背景であり、「国内資源の枯渇」ではありません。
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