大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問16 (世界史B(第3問) 問3)
問題文
A 台湾のある大学の短期研修に参加した山岸さんと嶋田さんが、楊教授と教室で会話をしている。
楊教授:今回の研修に参加している学生さんの多くが2004年生まれと聞いています。2004年ということは民国93年ですね。
山岸:民国93年というような言い方があるのですか。初めて聞きました。
楊教授:台湾では、「民国」を使って年を表すことがあります。中華民国が誕生した1912年が民国元年ですので、2004年は民国93年です。日中戦争後、国民党は中国大陸での内戦で敗退を重ね、台湾へ逃れました。そして国民党による一党支配の下で、中華民国の政府を存続させました。
嶋田:数年前に、民進党という政党の候補者が台湾の総統選挙に立候補したのをニュースで見たことがあります。
楊教授:民進党が結成されたのは1986年です。当時総統であった蔣経国はこれを黙認しました。
嶋田:蔣経国は蔣介石の息子ですね。
楊教授:はい。蔣経国は、1972年から1978年まで首相に相当する行政院長を務め、1978年から1988年まで総統を務めました。蔣経国が1988年に亡くなると、副総統であった李登輝が総統に就任し、2000年まで務めました。李登輝は「台湾民主化の父」と言われることがあります。
嶋田:李登輝総統の時代に台湾で民主化が進んだと授業で学びました。ただ、蔣経国総統の時代にも、民進党の結成や( ア )があったことを考えると、李登輝総統の時代よりも前に、限定的ながら民主化の動きが見られたと言えるかもしれませんね。
楊教授:そうですね。
山岸:李登輝総統の時代は、それ以前に比べて経済成長も顕著になったのでしょうか。a20世紀後半のアジアの民主化と経済成長の関係はどうなのかなと思いました。
楊教授:面白い質問ですね。このグラフは、1971年から2000年までの台湾の経済成長率の推移をまとめたものです。帰国後にレポートを書くのに役立つかもしれません。
山岸さんと嶋田さんは、楊教授から聞いた話やグラフなどを基に、メモを作成した。前の文章を参考にしつつ、二人がまとめた次のメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
山岸さんのメモ
蔣経国が行政院長や総統を務めた時期に、経済成長率が10%を超えた年が複数あった。ただ、第1次石油危機が起こった翌年からの5年間で、経済成長率が10%を上回った年はなかった。
嶋田さんのメモ
李登輝が総統を務めた時期の経済成長率は、1998年を除き、いずれの年も5%を超えた。また、李登輝が総統を務めた最後の年に行われた総統選挙では、初めて国民党以外の政党の候補者が勝利した。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問16(世界史B(第3問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
A 台湾のある大学の短期研修に参加した山岸さんと嶋田さんが、楊教授と教室で会話をしている。
楊教授:今回の研修に参加している学生さんの多くが2004年生まれと聞いています。2004年ということは民国93年ですね。
山岸:民国93年というような言い方があるのですか。初めて聞きました。
楊教授:台湾では、「民国」を使って年を表すことがあります。中華民国が誕生した1912年が民国元年ですので、2004年は民国93年です。日中戦争後、国民党は中国大陸での内戦で敗退を重ね、台湾へ逃れました。そして国民党による一党支配の下で、中華民国の政府を存続させました。
嶋田:数年前に、民進党という政党の候補者が台湾の総統選挙に立候補したのをニュースで見たことがあります。
楊教授:民進党が結成されたのは1986年です。当時総統であった蔣経国はこれを黙認しました。
嶋田:蔣経国は蔣介石の息子ですね。
楊教授:はい。蔣経国は、1972年から1978年まで首相に相当する行政院長を務め、1978年から1988年まで総統を務めました。蔣経国が1988年に亡くなると、副総統であった李登輝が総統に就任し、2000年まで務めました。李登輝は「台湾民主化の父」と言われることがあります。
嶋田:李登輝総統の時代に台湾で民主化が進んだと授業で学びました。ただ、蔣経国総統の時代にも、民進党の結成や( ア )があったことを考えると、李登輝総統の時代よりも前に、限定的ながら民主化の動きが見られたと言えるかもしれませんね。
楊教授:そうですね。
山岸:李登輝総統の時代は、それ以前に比べて経済成長も顕著になったのでしょうか。a20世紀後半のアジアの民主化と経済成長の関係はどうなのかなと思いました。
楊教授:面白い質問ですね。このグラフは、1971年から2000年までの台湾の経済成長率の推移をまとめたものです。帰国後にレポートを書くのに役立つかもしれません。
山岸さんと嶋田さんは、楊教授から聞いた話やグラフなどを基に、メモを作成した。前の文章を参考にしつつ、二人がまとめた次のメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
山岸さんのメモ
蔣経国が行政院長や総統を務めた時期に、経済成長率が10%を超えた年が複数あった。ただ、第1次石油危機が起こった翌年からの5年間で、経済成長率が10%を上回った年はなかった。
嶋田さんのメモ
李登輝が総統を務めた時期の経済成長率は、1998年を除き、いずれの年も5%を超えた。また、李登輝が総統を務めた最後の年に行われた総統選挙では、初めて国民党以外の政党の候補者が勝利した。

- 山岸さんのみ正しい。
- 嶋田さんのみ正しい。
- 二人とも正しい。
- 二人とも誤っている。
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残念...
この過去問の解説 (1件)
01
最も適当なのは「嶋田さんのみ正しい。」です。
山岸さんのメモ
1行目
「蔣経国が行政院長(1972〜78年)・総統(1978〜88年)だった時期には、経済成長率が10%を超えた年がいくつもある。」
→1970年代半ば・後半に11〜12%台の年があり、ここは正しいです。
2行目
「第1次石油危機(1973年)の翌年から5年間(1974〜78年)は、10%を上回った年がなかった」
→1976年と1977年は10%超(おおむね11〜10%台)で、この部分が誤りです。
したがって、メモ全体として誤りになります。
嶋田さんのメモ
1行目
「李登輝が総統(1988〜2000年)の期間、1998年を除いて経済成長率はすべて5%超。」
→アジア通貨危機の1998年だけ4%台で、それ以外は5〜10%台なので正しいです。
2行目
「李登輝が総統を務めた最後の年(2000年)の総統選挙で、国民党以外の政党(民進党)の候補が初めて当選。」
→事実として陳水扁(民進党)が勝利し、国民党以外では初の総統となったので、正しいです。
以上より、嶋田さんのメモのみ正しいです。
誤りです。
正しい選択肢です。
誤りです。
誤りです。
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