大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問23 (世界史B(第4問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問23(世界史B(第4問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史上、戦争は政治や文化そして人々の生活などの様々な側面に影響を与えてきた。それについて述べた次の文章Bを読み、後の問いに答えよ。

B ある大学で、朝鮮史研究の基本史料である『朝鮮王朝実録』を題材にして授業が行われている。

教授:朝鮮王朝では、君主が交替すると、原則として前君主の治世の歴史が実録としてまとめられました。現存するb初代君主の太祖から第25代の哲宗までの実録は、『朝鮮王朝実録』と総称され、韓国の国宝に指定されているだけでなく、ユネスコ記憶遺産にも登録されています。
桑原:初代から第25代までの君主の実録が欠けずに残っているのですね。
教授:15世紀半ばから首都の漢城を含む4か所の都市に1部ずつ保管される
ようになりました。朝鮮王朝は、16世紀末に外国勢力の侵攻を受けましたが、李舜臣の率いる水軍の活躍などもあり、撃退しました。しかしその戦乱のさなか、4部あった実録のうち、3部が焼失してしまいました。その後17世紀初めに、焼失を免れた実録を基にして複数部が復刊され、再度の焼失の危険を避けるために、実録は各地の山の中に保管されるようになったのです。
ソン:その戦乱で全部焼失しなかったのは、不幸中の幸いと言えますね。
教授:本当にそのとおりですね。
桑原:ところで、朝鮮王朝の系図を見ると、最後の二人の君主として、c第26代の高宗と第27代の純宗がいるようですが、その二人の君主の実録は作られなかったのですか。
教授:両君主の実録は、1927年から1934年にかけて編纂され、1935年に刊行されましたが、『朝鮮王朝実録』には含まれていません。
ソン:それは、両君主の実録が( ア )からですね。
教授:はい、そのとおりです。

前の文章を参考にしつつ、朝鮮王朝の実録が各地の山の中に保管されるようになったきっかけについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 焚書・坑儒が行われた。
  • 仏教が盛んとなり、『大蔵経』が作られた。
  • 豊臣秀吉の侵攻によって、実録の大部分が焼失した。
  • 金属活字による書物の出版が始まった。

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この過去問の解説 (1件)

01

最も適当なものは、

「豊臣秀吉の侵攻によって、実録の大部分が焼失した。」です。

 

実録を山中に分散保管するようになったのは、豊臣秀吉による朝鮮侵攻(壬辰・丁酉の倭乱)で多くの実録が焼失したことが直接のきっかけです。

山間部なら戦火に巻き込まれにくいと考えられ、復刊された実録が各地の史庫に分けて収められました。

選択肢1. 焚書・坑儒が行われた。

これは秦の始皇帝期の中国史上の出来事で、朝鮮王朝実録の保存体制とは無関係です。

選択肢2. 仏教が盛んとなり、『大蔵経』が作られた。

高麗後期に仏教経典を刻んだ高麗大蔵経の話で、実録の保存動機とは結びつきません。

選択肢3. 豊臣秀吉の侵攻によって、実録の大部分が焼失した。

1592年からの倭乱で王都をはじめ各地が戦場となり、漢城(ソウル)などに置かれていた四庫本のうち三庫本が失われました。

これを教訓に、17世紀初めに復刊した実録は山城や僻地の史庫へ移されます。

記録の分散保管はこの被害への実務的対応でした。

選択肢4. 金属活字による書物の出版が始まった。

朝鮮での金属活字本は15世紀前半に登場しますが、実録保管場所を山中へ移した直接要因ではありません。

まとめ

16世紀末の倭乱は国土に甚大な被害を与え、貴重な史料も例外ではありませんでした。

実録を守るには「戦禍を避ける地に分散保存する」しかない—この実践的判断が山中史庫の設置につながったのです。

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