大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問24 (世界史B(第4問) 問6)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問24(世界史B(第4問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史上、戦争は政治や文化そして人々の生活などの様々な側面に影響を与えてきた。それについて述べた次の文章Bを読み、後の問いに答えよ。

B ある大学で、朝鮮史研究の基本史料である『朝鮮王朝実録』を題材にして授業が行われている。

教授:朝鮮王朝では、君主が交替すると、原則として前君主の治世の歴史が実録としてまとめられました。現存するb初代君主の太祖から第25代の哲宗までの実録は、『朝鮮王朝実録』と総称され、韓国の国宝に指定されているだけでなく、ユネスコ記憶遺産にも登録されています。
桑原:初代から第25代までの君主の実録が欠けずに残っているのですね。
教授:15世紀半ばから首都の漢城を含む4か所の都市に1部ずつ保管される
ようになりました。朝鮮王朝は、16世紀末に外国勢力の侵攻を受けましたが、李舜臣の率いる水軍の活躍などもあり、撃退しました。しかしその戦乱のさなか、4部あった実録のうち、3部が焼失してしまいました。その後17世紀初めに、焼失を免れた実録を基にして複数部が復刊され、再度の焼失の危険を避けるために、実録は各地の山の中に保管されるようになったのです。
ソン:その戦乱で全部焼失しなかったのは、不幸中の幸いと言えますね。
教授:本当にそのとおりですね。
桑原:ところで、朝鮮王朝の系図を見ると、最後の二人の君主として、c第26代の高宗と第27代の純宗がいるようですが、その二人の君主の実録は作られなかったのですか。
教授:両君主の実録は、1927年から1934年にかけて編纂され、1935年に刊行されましたが、『朝鮮王朝実録』には含まれていません。
ソン:それは、両君主の実録が( ア )からですね。
教授:はい、そのとおりです。

下線部cの人物の事績あ・いと、文章中の空欄アに入れる文として最も適当なものX・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

下線部cの人物の事績
あ  戊戌の変法を実施した。
い  ハーグ万国平和会議に密使を派遣した。

(ア)に入れる文
X  大韓帝国の時代に編纂された
Y  日本の植民地時代に編纂された
  • あ ― X
  • あ ― Y
  • い ― X
  • い ― Y

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この過去問の解説 (1件)

01

正しい組合せは、「い―Y」です。

 

【各選択肢の検討】

い「ハーグ万国平和会議に密使を派遣した」

1907年、第26代高宗が日本の保護条約を国際社会に訴えるため密使を送った出来事です。

 

あ「戊戌の変法を実施した」

1898年に清朝(光緒帝)が試みた改革であり、朝鮮王朝の君主高宗・純宗とは関係しません。

 

Y「日本の植民地時代に編纂された」

両君主(高宗・純宗)の実録は、日本による植民地支配期(1927-1935 年)に編纂・刊行されました。

そのため『朝鮮王朝実録』の“王朝正規編纂”に含まれないと説明できます。
したがって、空欄アにはYが当てはまります。

選択肢1. あ ― X

誤りです。

選択肢2. あ ― Y

誤りです。

選択肢3. い ― X

誤りです。

選択肢4. い ― Y

正しい組み合わせです。

まとめ

高宗のハーグ密使派遣は、朝鮮が国権回復を国際社会に訴えた象徴的事件です。

この高宗・純宗の実録は、日本統治期に後付けで編集されたため、王朝直系の正史群である『朝鮮王朝実録』には編入されませんでした。

 

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