大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問26 (世界史B(第4問) 問8)
問題文
教授:写真を見てください。1916年に撮影されたもので、ドイツ兵が写っています。何が分かりますか。
春日:塹壕にいるように見えます。第一次世界大戦中に塹壕が作られたきっかけは何だったのでしょうか。
スミス:1914年9月に始まったマルヌの戦いに関係していましたね。この戦いでドイツ軍が進軍を阻まれた後に、( イ )のです。
春日:それに、ドイツ兵は、マスクのようなものを装着しています。また、多くの銃弾を連射できる( ウ )を使っている様子も見て取れます。この兵器は、第一次世界大戦で多くの犠牲者を出す一因となったと聞いたことがあります。
スミス:大戦中の犠牲者数がとても多かった理由は、新兵器の開発とも関係していると学びました。
教授:二人ともどれもとても鋭い指摘ですね。では、次に写真2を見てください。大戦中のイギリスで女性が工場労働に従事しています。
スミス:大戦中だとすると、これらの女性は、軍需工場で武器を作っているのだと思います。
春日:つまり、前線から離れた銃後の人々も国力として動員されたことが分かります。
教授:そのとおりです。第一次世界大戦は、一般民衆も含めて社会全体を巻き込む戦争だったわけですね。その分、戦後になると、人々の間に平和を求める声も高まりました。
春日:だから、d両大戦間期には、平和構築を目指す国際的な試みもあったのですね。
教授:その意味で、大戦の影響は、様々な方面に及んでいたと言えるでしょう。
下線部dについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
写真1
省略
写真2
このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問26(世界史B(第4問) 問8) (訂正依頼・報告はこちら)
教授:写真を見てください。1916年に撮影されたもので、ドイツ兵が写っています。何が分かりますか。
春日:塹壕にいるように見えます。第一次世界大戦中に塹壕が作られたきっかけは何だったのでしょうか。
スミス:1914年9月に始まったマルヌの戦いに関係していましたね。この戦いでドイツ軍が進軍を阻まれた後に、( イ )のです。
春日:それに、ドイツ兵は、マスクのようなものを装着しています。また、多くの銃弾を連射できる( ウ )を使っている様子も見て取れます。この兵器は、第一次世界大戦で多くの犠牲者を出す一因となったと聞いたことがあります。
スミス:大戦中の犠牲者数がとても多かった理由は、新兵器の開発とも関係していると学びました。
教授:二人ともどれもとても鋭い指摘ですね。では、次に写真2を見てください。大戦中のイギリスで女性が工場労働に従事しています。
スミス:大戦中だとすると、これらの女性は、軍需工場で武器を作っているのだと思います。
春日:つまり、前線から離れた銃後の人々も国力として動員されたことが分かります。
教授:そのとおりです。第一次世界大戦は、一般民衆も含めて社会全体を巻き込む戦争だったわけですね。その分、戦後になると、人々の間に平和を求める声も高まりました。
春日:だから、d両大戦間期には、平和構築を目指す国際的な試みもあったのですね。
教授:その意味で、大戦の影響は、様々な方面に及んでいたと言えるでしょう。
下線部dについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
写真1
省略
写真2
- 国際平和を確立するため、ベルリン会議(ベルリン=コンゴ会議)が開催された。
- 補助艦の保有数が、ジュネーヴ軍縮会議で制限された。
- 旧交戦国ドイツとの協調関係を樹立するため、ブレスト=リトフスク条約が締結された。
- ケロッグ=ブリアン協定が締結され、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄することが宣言された。
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
最も適当なのは、
「ケロッグ=ブリアン協定が締結され、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄することが宣言された。」 です。
両大戦間期には、軍備縮小や集団安全保障を目指す国際的な動きが活発になり、その代表例の一つが1928年のケロッグ=ブリアン協定でした。
1884〜85年のアフリカ分割会議であり、第一次世界大戦より前です。
議題は植民地境界の調整で、平和構築とは性格が異なります。
1927年のジュネーヴ海軍軍縮会議は補助艦制限を目指しましたが、合意に至らず失敗しました。
保有数が実際に制限されたのは1930年のロンドン海軍条約です。
1918年にドイツとソヴィエト政権が結んだ単独講和条約で、第一次世界大戦中の出来事です。
旧交戦国協調や国際平和とは趣旨が異なります。
1928年、フランス外相ブリアンとアメリカ国務長官ケロッグの提案で締結されました。
参加国は戦争を国家政策の手段として用いないと宣言し、国際世論の平和志向を象徴しました。
日本やドイツを含む60余か国が参加し、国際連盟体制を補完する意義もありました。
第一次世界大戦後、世界は再び総力戦を防ぐ仕組みづくりを模索しました。
軍縮条約や国際連盟の設立、そしてケロッグ=ブリアン協定による「戦争放棄」の宣言は、その代表的な成果です。
もっとも、強制力の不足など課題も残り、最終的には第二次世界大戦を防ぎ切れませんでしたが、国際法上「侵略戦争は違法」という原則を打ち立てた点で大きな意義がありました。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問25)へ
令和6年度(2024年度)追・再試験 問題一覧
次の問題(問27)へ