大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問28 (世界史B(第5問) 問1)
問題文
A 修学旅行で北京を訪れた生徒と先生が、万里の長城の関所の一つである居庸関(きょようかん)で、ガイドを交えて会話をしている。
ガイド:古来、北京の重要な防衛拠点であった居庸関の傍らには、雲台(うんだい)という元代の遺跡があります。元朝の皇帝たちは、モンゴル高原に位置する夏の都の上都と、冬の都の大都を定期的に往復し、その通路に当たるこの関所に何度も立ち寄りました。雲台には、その道中の安全を祈願する文言が様々な文字で刻まれています。
今井:夏の都と冬の都と言うのはなぜでしょうか。
先生:それは夏と冬の遊牧地を定期的に移動する遊牧社会の伝統に根ざすものだからです。( ア )は、上都と大都を建設し、両都を結び付けて、広大な首都圏を形成しました。
今井:そうなのですね。万里の長城は遊牧社会と農耕社会とを分断する象徴とばかり思っていましたが、この雲台を見て、その位置と、( ア )が( イ )ことを併せて考えると、元代の居庸関には逆の側面があるように思えてきます。
先生:そうですね。この首都圏は陸上と海上の交通交易路の結節点ともなりましたが、( ウ )を滅ぼすと、元朝はその海上交通網を取り込みました。
ガイド:( ウ )の都が置かれた臨安は、元朝では杭州と呼ばれて大運河の起点でもありました。
高木:昨日参観した博物館では、馬蹄(ばてい)の形をした銀が展示されていましたね。
先生:良いところに気が付きましたね。広域の交易で決済手段となったのが銀でした。元朝は銀を中心として、その他の通貨をその補助手段としたため、銀がユーラシア大陸を循環するようになりました。これは16世紀以降本格化する、銀の流通の前段階として位置づけることができます。
松本:世界史で学んだことと併せて考えると、元朝を含むモンゴル帝国の世界史上の位置づけが分かりますね。
文章中の空欄アに入れる人物の名あ~うと、空欄イに入れる文として最も適当なものX・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
(ア)に入れる人物の名
あ フビライ
い オゴタイ
う チンギス=ハン
(イ)に入れる文
X 上都と大都を中心として、北京一帯からモンゴル高原に広がる首都圏を建設した
Y 中国風の王朝名を称したが、遊牧社会の制度を強制し、中国の伝統的な官僚制度は採用しなかった
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問28(世界史B(第5問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
A 修学旅行で北京を訪れた生徒と先生が、万里の長城の関所の一つである居庸関(きょようかん)で、ガイドを交えて会話をしている。
ガイド:古来、北京の重要な防衛拠点であった居庸関の傍らには、雲台(うんだい)という元代の遺跡があります。元朝の皇帝たちは、モンゴル高原に位置する夏の都の上都と、冬の都の大都を定期的に往復し、その通路に当たるこの関所に何度も立ち寄りました。雲台には、その道中の安全を祈願する文言が様々な文字で刻まれています。
今井:夏の都と冬の都と言うのはなぜでしょうか。
先生:それは夏と冬の遊牧地を定期的に移動する遊牧社会の伝統に根ざすものだからです。( ア )は、上都と大都を建設し、両都を結び付けて、広大な首都圏を形成しました。
今井:そうなのですね。万里の長城は遊牧社会と農耕社会とを分断する象徴とばかり思っていましたが、この雲台を見て、その位置と、( ア )が( イ )ことを併せて考えると、元代の居庸関には逆の側面があるように思えてきます。
先生:そうですね。この首都圏は陸上と海上の交通交易路の結節点ともなりましたが、( ウ )を滅ぼすと、元朝はその海上交通網を取り込みました。
ガイド:( ウ )の都が置かれた臨安は、元朝では杭州と呼ばれて大運河の起点でもありました。
高木:昨日参観した博物館では、馬蹄(ばてい)の形をした銀が展示されていましたね。
先生:良いところに気が付きましたね。広域の交易で決済手段となったのが銀でした。元朝は銀を中心として、その他の通貨をその補助手段としたため、銀がユーラシア大陸を循環するようになりました。これは16世紀以降本格化する、銀の流通の前段階として位置づけることができます。
松本:世界史で学んだことと併せて考えると、元朝を含むモンゴル帝国の世界史上の位置づけが分かりますね。
文章中の空欄アに入れる人物の名あ~うと、空欄イに入れる文として最も適当なものX・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
(ア)に入れる人物の名
あ フビライ
い オゴタイ
う チンギス=ハン
(イ)に入れる文
X 上都と大都を中心として、北京一帯からモンゴル高原に広がる首都圏を建設した
Y 中国風の王朝名を称したが、遊牧社会の制度を強制し、中国の伝統的な官僚制度は採用しなかった
- あ ― X
- あ ― Y
- い ― X
- い ― Y
- う ― X
- う ― Y
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この過去問の解説 (1件)
01
正しい組合せは「あ―X」です。
フビライは、モンゴル高原の上都(夏の都)と華北の大都(冬の都、現在の北京)を新たに整備し、両都を要路で結んで広大な首都圏を築きました。
これは遊牧世界と農耕世界をまたぐ支配拠点の形成であり、文中で語られる「逆の側面」を説明する鍵になります。
この事業を示す文はXです。
フビライの代表的政策であり、居庸関が両都を結ぶ通商・交通の結節点になった理由とも一致します。
フビライはむしろ漢人官僚を登用し、科挙も一部再開しました。
「採用しなかった」は事実と反します。
不適当です。
オゴタイはカラコルム建設で知られますが、上都・大都の二都体制には直接関わっていません。
不適当です。
チンギスは遊牧帝国の拡大に注力し、定住型の首都圏を構想していません。
不適当です。
居庸関の雲台に刻まれた多言語の祈願文や、長城を越えて広がった交通網は、フビライが上都と大都を結んで築いた首都圏が生んだ交流の象徴です。
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