大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問29 (世界史B(第5問) 問2)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問29(世界史B(第5問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上における異なる社会や文化の接触について述べた次の文章Aを読み、後の問いに答えよ。

A 修学旅行で北京を訪れた生徒と先生が、万里の長城の関所の一つである居庸関(きょようかん)で、ガイドを交えて会話をしている。

ガイド:古来、北京の重要な防衛拠点であった居庸関の傍らには、雲台(うんだい)という元代の遺跡があります。元朝の皇帝たちは、モンゴル高原に位置する夏の都の上都と、冬の都の大都を定期的に往復し、その通路に当たるこの関所に何度も立ち寄りました。雲台には、その道中の安全を祈願する文言が様々な文字で刻まれています。
今井:夏の都と冬の都と言うのはなぜでしょうか。
先生:それは夏と冬の遊牧地を定期的に移動する遊牧社会の伝統に根ざすものだからです。( ア )は、上都と大都を建設し、両都を結び付けて、広大な首都圏を形成しました。
今井:そうなのですね。万里の長城は遊牧社会と農耕社会とを分断する象徴とばかり思っていましたが、この雲台を見て、その位置と、( ア )が( イ )ことを併せて考えると、元代の居庸関には逆の側面があるように思えてきます。
先生:そうですね。この首都圏は陸上と海上の交通交易路の結節点ともなりましたが、( ウ )を滅ぼすと、元朝はその海上交通網を取り込みました。
ガイド:( ウ )の都が置かれた臨安は、元朝では杭州と呼ばれて大運河の起点でもありました。
高木:昨日参観した博物館では、馬蹄(ばてい)の形をした銀が展示されていましたね。
先生:良いところに気が付きましたね。広域の交易で決済手段となったのが銀でした。元朝は銀を中心として、その他の通貨をその補助手段としたため、銀がユーラシア大陸を循環するようになりました。これは16世紀以降本格化する、銀の流通の前段階として位置づけることができます。
松本:世界史で学んだことと併せて考えると、元朝を含むモンゴル帝国の世界史上の位置づけが分かりますね。

文章中の空欄ウの王朝について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 燕雲十六州を割譲された。
  • 猛安・謀克という制度を敷いた。
  • 金と和議を結び、淮河を国境とした。
  • 両班という支配階層が、政治的実権を握った。

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この過去問の解説 (1件)

01

「金と和議を結び、淮河を国境とした」という文が最も適当です。

 

空欄ウに入る王朝は南宋です。

南宋は金と講和して国境を淮河に定め、臨安(現在の杭州)を都として海上交易で繁栄しました。

選択肢1. 燕雲十六州を割譲された。

燕雲十六州を手に入れたのは遼であり、南宋ではありません。

したがって不適当です。

選択肢2. 猛安・謀克という制度を敷いた。

猛安・謀克は金が採用した軍事・行政制度です。

南宋には該当しません。

選択肢3. 金と和議を結び、淮河を国境とした。

1142年の紹興和議で、南宋は金と講和し淮河以北を割譲して国境を確定させました。

臨安を都に定めた後の南宋の外交を示す内容で、文脈の「ウ」と一致します。

選択肢4. 両班という支配階層が、政治的実権を握った。

両班は朝鮮王朝の官僚・貴族層を指し、中国の王朝には当てはまりません。

南宋とも無関係です。

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