大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問30 (世界史B(第5問) 問3)
問題文
A 修学旅行で北京を訪れた生徒と先生が、万里の長城の関所の一つである居庸関(きょようかん)で、ガイドを交えて会話をしている。
ガイド:古来、北京の重要な防衛拠点であった居庸関の傍らには、雲台(うんだい)という元代の遺跡があります。元朝の皇帝たちは、モンゴル高原に位置する夏の都の上都と、冬の都の大都を定期的に往復し、その通路に当たるこの関所に何度も立ち寄りました。雲台には、その道中の安全を祈願する文言が様々な文字で刻まれています。
今井:夏の都と冬の都と言うのはなぜでしょうか。
先生:それは夏と冬の遊牧地を定期的に移動する遊牧社会の伝統に根ざすものだからです。( ア )は、上都と大都を建設し、両都を結び付けて、広大な首都圏を形成しました。
今井:そうなのですね。万里の長城は遊牧社会と農耕社会とを分断する象徴とばかり思っていましたが、この雲台を見て、その位置と、( ア )が( イ )ことを併せて考えると、元代の居庸関には逆の側面があるように思えてきます。
先生:そうですね。この首都圏は陸上と海上の交通交易路の結節点ともなりましたが、( ウ )を滅ぼすと、元朝はその海上交通網を取り込みました。
ガイド:( ウ )の都が置かれた臨安は、元朝では杭州と呼ばれて大運河の起点でもありました。
高木:昨日参観した博物館では、馬蹄(ばてい)の形をした銀が展示されていましたね。
先生:良いところに気が付きましたね。広域の交易で決済手段となったのが銀でした。元朝は銀を中心として、その他の通貨をその補助手段としたため、銀がユーラシア大陸を循環するようになりました。これは16世紀以降本格化する、銀の流通の前段階として位置づけることができます。
松本:世界史で学んだことと併せて考えると、元朝を含むモンゴル帝国の世界史上の位置づけが分かりますね。
生徒たちは帰国後、元代の交通と交易に関する世界史の学習内容を踏まえながらメモにまとめた。前の文章を参考にしつつ、生徒たちがまとめた次のメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
今井さんのメモ
上都と大都を中心とする首都圏が結節点となり、ユーラシア大陸における陸上交易と海上交易が結び付いていた。
高木さんのメモ
元朝統治下の中国では、日本銀やメキシコ銀が流入し、交鈔を補助手段とする、銀の決済システムが成立していた。
松本さんのメモ
江南と大都は、大運河とともに海運でもつながっており、杭州はその二つのルートの拠点であった。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問30(世界史B(第5問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
A 修学旅行で北京を訪れた生徒と先生が、万里の長城の関所の一つである居庸関(きょようかん)で、ガイドを交えて会話をしている。
ガイド:古来、北京の重要な防衛拠点であった居庸関の傍らには、雲台(うんだい)という元代の遺跡があります。元朝の皇帝たちは、モンゴル高原に位置する夏の都の上都と、冬の都の大都を定期的に往復し、その通路に当たるこの関所に何度も立ち寄りました。雲台には、その道中の安全を祈願する文言が様々な文字で刻まれています。
今井:夏の都と冬の都と言うのはなぜでしょうか。
先生:それは夏と冬の遊牧地を定期的に移動する遊牧社会の伝統に根ざすものだからです。( ア )は、上都と大都を建設し、両都を結び付けて、広大な首都圏を形成しました。
今井:そうなのですね。万里の長城は遊牧社会と農耕社会とを分断する象徴とばかり思っていましたが、この雲台を見て、その位置と、( ア )が( イ )ことを併せて考えると、元代の居庸関には逆の側面があるように思えてきます。
先生:そうですね。この首都圏は陸上と海上の交通交易路の結節点ともなりましたが、( ウ )を滅ぼすと、元朝はその海上交通網を取り込みました。
ガイド:( ウ )の都が置かれた臨安は、元朝では杭州と呼ばれて大運河の起点でもありました。
高木:昨日参観した博物館では、馬蹄(ばてい)の形をした銀が展示されていましたね。
先生:良いところに気が付きましたね。広域の交易で決済手段となったのが銀でした。元朝は銀を中心として、その他の通貨をその補助手段としたため、銀がユーラシア大陸を循環するようになりました。これは16世紀以降本格化する、銀の流通の前段階として位置づけることができます。
松本:世界史で学んだことと併せて考えると、元朝を含むモンゴル帝国の世界史上の位置づけが分かりますね。
生徒たちは帰国後、元代の交通と交易に関する世界史の学習内容を踏まえながらメモにまとめた。前の文章を参考にしつつ、生徒たちがまとめた次のメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
今井さんのメモ
上都と大都を中心とする首都圏が結節点となり、ユーラシア大陸における陸上交易と海上交易が結び付いていた。
高木さんのメモ
元朝統治下の中国では、日本銀やメキシコ銀が流入し、交鈔を補助手段とする、銀の決済システムが成立していた。
松本さんのメモ
江南と大都は、大運河とともに海運でもつながっており、杭州はその二つのルートの拠点であった。
- 今井さんのみ正しい。
- 松本さんのみ正しい。
- 高木さんのみ正しい。
- 今井さんと高木さんの二人のみ正しい。
- 高木さんと松本さんの二人のみ正しい。
- 今井さんと松本さんの二人のみ正しい。
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この過去問の解説 (1件)
01
正しいのは「今井さんと松本さんの二人のみ」です。
上都・大都を結ぶ首都圏が陸上と海上の交易をつないでいた点、そして杭州が大運河と海運の双方の拠点となった点はいずれも元代の交通・交易体制に合致します。
一方、高木さんのメモには時代が合わない銀の流入先が含まれています。
【3人のメモの検討】
今井さんのメモ
首都圏(上都・大都)がユーラシアの陸上交易網と海上交易網を結び付けたという指摘は、元朝が南宋の海上交通網を吸収し、大都を起点に陸と海の物流を統合した実態と合致します。
したがって正しい内容です。
高木さんのメモ
日本銀とメキシコ銀の大量流入が始まるのは16世紀以降(明代)であり、元代には該当しません。
銀が重要な決済手段だった点自体は事実ですが、日本銀・メキシコ銀の流入を元代に当てはめているため、このメモは誤りです。
松本さんのメモ
江南(杭州)―大都間の物資輸送は、大運河に加え、沿海航路で天津付近まで運び河川で大都へ入る海運ルートでも行われました。
杭州が両ルートの起点・拠点だったという説明は史実に沿っており、正しい内容です。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
正しい選択肢です。
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