大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問31 (世界史B(第5問) 問4)
問題文
B あるクラスで、古代ローマの共和政についての授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
先生:次の資料は、吉村忠典『支配の天才ローマ人』の一部を要約したものです。ここでは、ローマで「自由」がどのように理解されていたのかが、述べられています。これを読んで、何か気付いたことはありますか。
資料
共和政期のローマ貴族の考え方によれば、人はそれぞれの力量に応じた「自由」を持つべきであり、これを無視して全市民に同じ量の「自由」を与えるのは悪平等(注1)であって、「自由」な国家の真のあり方にそぐわない、とされた。したがってローマ貴族の考えた「自由」は、例えば古典期(注2)のアテネ人が考えた政治的自由とは性格を異にする。事実、古典期のアテネ人の自由にとっては、共同体成員の政治的な「平等」が本質的な前提であった。しかしローマ人はこれを実質的には悪平等と見る。共和政期のローマ人は、市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない。古典期のアテネで見られた「民主政治」は、ローマ史上一度も実現されたことがない。
(注1)悪平等 ― 形式だけ平等にし、かえって不公平になること。
(注2)古典期 ― ペルシア戦争からカイロネイアの戦いまでの時期を指す。
高見:「市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない」という部分に、とても違和感を覚えました。「自由」という言葉は現代でも使いますが、共和政期のローマでは「自由」の理解の仕方が違うのでしょうか。
先生:鋭い指摘ですね。共和政期のローマでは、成人男性市民であれば民会に参加し、公職者を選ぶことはできましたが、当時は家柄や経歴を通じて高い能力を身につけた貴族などの人々がより大きな「自由」、つまり政治参加の機会を持つべきだと考えられていたのです。例えば、共和政期に大きな影響力を持った元老院の議員を、平民を含む市民全体の選挙で直接選ぶ制度はありませんでした。
高見:資料によると、古典期のアテネと共和政期のローマとの間でも、「自由」の理解の仕方に違いがあったことが分かります。
先生:「自由」をめぐる両者の理解の仕方の違いは、特にローマがギリシアに進出し、支配するようになると表面化しました。ローマが与えた「自由」の解釈をめぐって、一部のギリシア人との間に摩擦が生じたのです。
渡辺:同じ言葉でも、その内実に違いがあるという点は、以前の授業で学んだaアテネの民主政と現代の民主政治との違いと共通しています。
先生:そうですね。ほかにこうした事例は思い付きますか。
渡辺:資料に出てくる共和政という表現は、フランスの近代史でも出てきました。もしかして、これもそうした事例の一つでしょうか。
先生:よく気が付きましたね。では、次回の授業で、b古代ローマの共和政とフランスで最初に成立した共和政を比較してみましょう。
前の文章を参考にしつつ、資料から読み取れる内容として最も適当なものあ・いと、古典期のアテネと共和政期のローマについて述べた文V・Wとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料から読み取れる内容
あ 共和政期のローマ貴族は、市民全員に同じ量の「自由」が与えられるべきだと考えた。
い 古典期のアテネ人は、政治的な「平等」が何よりも重要だと考えた。
古典期のアテネと共和政期のローマについて述べた文
V 古典期のアテネでは、多くの役職が選挙で選ばれていた。
W 共和政期のローマでは、ホルテンシウス法が成立した後、貴族と富裕な一部の平民が新しい支配層となって政治の実権を握った。
このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問31(世界史B(第5問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
B あるクラスで、古代ローマの共和政についての授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
先生:次の資料は、吉村忠典『支配の天才ローマ人』の一部を要約したものです。ここでは、ローマで「自由」がどのように理解されていたのかが、述べられています。これを読んで、何か気付いたことはありますか。
資料
共和政期のローマ貴族の考え方によれば、人はそれぞれの力量に応じた「自由」を持つべきであり、これを無視して全市民に同じ量の「自由」を与えるのは悪平等(注1)であって、「自由」な国家の真のあり方にそぐわない、とされた。したがってローマ貴族の考えた「自由」は、例えば古典期(注2)のアテネ人が考えた政治的自由とは性格を異にする。事実、古典期のアテネ人の自由にとっては、共同体成員の政治的な「平等」が本質的な前提であった。しかしローマ人はこれを実質的には悪平等と見る。共和政期のローマ人は、市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない。古典期のアテネで見られた「民主政治」は、ローマ史上一度も実現されたことがない。
(注1)悪平等 ― 形式だけ平等にし、かえって不公平になること。
(注2)古典期 ― ペルシア戦争からカイロネイアの戦いまでの時期を指す。
高見:「市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない」という部分に、とても違和感を覚えました。「自由」という言葉は現代でも使いますが、共和政期のローマでは「自由」の理解の仕方が違うのでしょうか。
先生:鋭い指摘ですね。共和政期のローマでは、成人男性市民であれば民会に参加し、公職者を選ぶことはできましたが、当時は家柄や経歴を通じて高い能力を身につけた貴族などの人々がより大きな「自由」、つまり政治参加の機会を持つべきだと考えられていたのです。例えば、共和政期に大きな影響力を持った元老院の議員を、平民を含む市民全体の選挙で直接選ぶ制度はありませんでした。
高見:資料によると、古典期のアテネと共和政期のローマとの間でも、「自由」の理解の仕方に違いがあったことが分かります。
先生:「自由」をめぐる両者の理解の仕方の違いは、特にローマがギリシアに進出し、支配するようになると表面化しました。ローマが与えた「自由」の解釈をめぐって、一部のギリシア人との間に摩擦が生じたのです。
渡辺:同じ言葉でも、その内実に違いがあるという点は、以前の授業で学んだaアテネの民主政と現代の民主政治との違いと共通しています。
先生:そうですね。ほかにこうした事例は思い付きますか。
渡辺:資料に出てくる共和政という表現は、フランスの近代史でも出てきました。もしかして、これもそうした事例の一つでしょうか。
先生:よく気が付きましたね。では、次回の授業で、b古代ローマの共和政とフランスで最初に成立した共和政を比較してみましょう。
前の文章を参考にしつつ、資料から読み取れる内容として最も適当なものあ・いと、古典期のアテネと共和政期のローマについて述べた文V・Wとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料から読み取れる内容
あ 共和政期のローマ貴族は、市民全員に同じ量の「自由」が与えられるべきだと考えた。
い 古典期のアテネ人は、政治的な「平等」が何よりも重要だと考えた。
古典期のアテネと共和政期のローマについて述べた文
V 古典期のアテネでは、多くの役職が選挙で選ばれていた。
W 共和政期のローマでは、ホルテンシウス法が成立した後、貴族と富裕な一部の平民が新しい支配層となって政治の実権を握った。
- あ ― V
- あ ― W
- い ― V
- い ― W
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
正しい選択肢は、「い―W」です。
【各選択肢の解説】
あ:誤り
ローマ貴族が「市民全員に同じ量の自由を与えるべきだ」と考えた、とする内容です。
資料では、ローマ貴族は能力に応じて異なる自由を持つべきで、全員に同じ自由を与えるのは「悪平等」だと否定しています。
い:正しい
古典期アテネでは、共同体成員の政治的「平等」が自由の前提であった、とする内容です。
資料に「古典期のアテネ人の自由にとっては共同体成員の政治的な平等が本質的な前提」と明記されています。
V:不適当
「古典期のアテネでは、多くの役職が選挙で選ばれていた」と述べています。
実際には将軍など一部を除き、多くの公職は抽選(くじ)で決められました。
W:適当
「ホルテンシウス法(前287年)成立後、貴族と富裕な平民が新たな支配層(ノビレス)を形成して政治実権を握った」と述べています。
ローマ共和政後期の政治構造を正しく説明しています。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
正しい組み合わせです。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問30)へ
令和6年度(2024年度)追・再試験 問題一覧
次の問題(問32)へ