大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問32 (世界史B(第5問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問32(世界史B(第5問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上における異なる社会や文化の接触について述べた次の文章Bを読み、後の問いに答えよ。

B あるクラスで、古代ローマの共和政についての授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)

先生:次の資料は、吉村忠典『支配の天才ローマ人』の一部を要約したものです。ここでは、ローマで「自由」がどのように理解されていたのかが、述べられています。これを読んで、何か気付いたことはありますか。

資料
共和政期のローマ貴族の考え方によれば、人はそれぞれの力量に応じた「自由」を持つべきであり、これを無視して全市民に同じ量の「自由」を与えるのは悪平等(注1)であって、「自由」な国家の真のあり方にそぐわない、とされた。したがってローマ貴族の考えた「自由」は、例えば古典期(注2)のアテネ人が考えた政治的自由とは性格を異にする。事実、古典期のアテネ人の自由にとっては、共同体成員の政治的な「平等」が本質的な前提であった。しかしローマ人はこれを実質的には悪平等と見る。共和政期のローマ人は、市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない。古典期のアテネで見られた「民主政治」は、ローマ史上一度も実現されたことがない。
(注1)悪平等 ― 形式だけ平等にし、かえって不公平になること。
(注2)古典期 ― ペルシア戦争からカイロネイアの戦いまでの時期を指す。

高見:「市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない」という部分に、とても違和感を覚えました。「自由」という言葉は現代でも使いますが、共和政期のローマでは「自由」の理解の仕方が違うのでしょうか。
先生:鋭い指摘ですね。共和政期のローマでは、成人男性市民であれば民会に参加し、公職者を選ぶことはできましたが、当時は家柄や経歴を通じて高い能力を身につけた貴族などの人々がより大きな「自由」、つまり政治参加の機会を持つべきだと考えられていたのです。例えば、共和政期に大きな影響力を持った元老院の議員を、平民を含む市民全体の選挙で直接選ぶ制度はありませんでした。
高見:資料によると、古典期のアテネと共和政期のローマとの間でも、「自由」の理解の仕方に違いがあったことが分かります。
先生:「自由」をめぐる両者の理解の仕方の違いは、特にローマがギリシアに進出し、支配するようになると表面化しました。ローマが与えた「自由」の解釈をめぐって、一部のギリシア人との間に摩擦が生じたのです。
渡辺:同じ言葉でも、その内実に違いがあるという点は、以前の授業で学んだaアテネの民主政と現代の民主政治との違いと共通しています。
先生:そうですね。ほかにこうした事例は思い付きますか。
渡辺:資料に出てくる共和政という表現は、フランスの近代史でも出てきました。もしかして、これもそうした事例の一つでしょうか。
先生:よく気が付きましたね。では、次回の授業で、b古代ローマの共和政とフランスで最初に成立した共和政を比較してみましょう

下線部aの歴史について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • ゼノンが、債務によって市民が奴隷とされることを防いだ。
  • クレイステネスが、地縁に基づく10部族制を創設した。
  • ヘシオドスに代表されるソフィストが現れた。
  • 平民会と護民官が設けられた。

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この過去問の解説 (1件)

01

正しい選択肢は、
「クレイステネスが、地縁に基づく10部族制を創設した。」です。

選択肢1. ゼノンが、債務によって市民が奴隷とされることを防いだ。

債務奴隷の禁止など負債整理を行ったのはソロン(前6世紀初め)です。

ゼノンではありません。

アテネ民主政成立の直接の契機にも当たりません。

選択肢2. クレイステネスが、地縁に基づく10部族制を創設した。

前508-507年、クレイステネスは旧来の血縁的部族を廃してデーモス(郷)を基礎にした十部族制を整備しました。

これにより市民を地縁で再編成し、政治参加の平等を推進する仕組み(陶片追放など)を整え、アテネ民主政の枠組みが固まりました。

正しい記述です。

選択肢3. ヘシオドスに代表されるソフィストが現れた。

ヘシオドスは前8世紀の叙事詩人で、ソフィストではありません。

ソフィストの活躍は前5世紀後半で、民主政の成熟期です。

 

選択肢4. 平民会と護民官が設けられた。

これは前5世紀初頭のローマ共和政における平民保護の制度であり、アテネ民主政の出来事ではありません。

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