大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問33 (世界史B(第5問) 問6)
問題文
B あるクラスで、古代ローマの共和政についての授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
先生:次の資料は、吉村忠典『支配の天才ローマ人』の一部を要約したものです。ここでは、ローマで「自由」がどのように理解されていたのかが、述べられています。これを読んで、何か気付いたことはありますか。
資料
共和政期のローマ貴族の考え方によれば、人はそれぞれの力量に応じた「自由」を持つべきであり、これを無視して全市民に同じ量の「自由」を与えるのは悪平等(注1)であって、「自由」な国家の真のあり方にそぐわない、とされた。したがってローマ貴族の考えた「自由」は、例えば古典期(注2)のアテネ人が考えた政治的自由とは性格を異にする。事実、古典期のアテネ人の自由にとっては、共同体成員の政治的な「平等」が本質的な前提であった。しかしローマ人はこれを実質的には悪平等と見る。共和政期のローマ人は、市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない。古典期のアテネで見られた「民主政治」は、ローマ史上一度も実現されたことがない。
(注1)悪平等 ― 形式だけ平等にし、かえって不公平になること。
(注2)古典期 ― ペルシア戦争からカイロネイアの戦いまでの時期を指す。
高見:「市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない」という部分に、とても違和感を覚えました。「自由」という言葉は現代でも使いますが、共和政期のローマでは「自由」の理解の仕方が違うのでしょうか。
先生:鋭い指摘ですね。共和政期のローマでは、成人男性市民であれば民会に参加し、公職者を選ぶことはできましたが、当時は家柄や経歴を通じて高い能力を身につけた貴族などの人々がより大きな「自由」、つまり政治参加の機会を持つべきだと考えられていたのです。例えば、共和政期に大きな影響力を持った元老院の議員を、平民を含む市民全体の選挙で直接選ぶ制度はありませんでした。
高見:資料によると、古典期のアテネと共和政期のローマとの間でも、「自由」の理解の仕方に違いがあったことが分かります。
先生:「自由」をめぐる両者の理解の仕方の違いは、特にローマがギリシアに進出し、支配するようになると表面化しました。ローマが与えた「自由」の解釈をめぐって、一部のギリシア人との間に摩擦が生じたのです。
渡辺:同じ言葉でも、その内実に違いがあるという点は、以前の授業で学んだaアテネの民主政と現代の民主政治との違いと共通しています。
先生:そうですね。ほかにこうした事例は思い付きますか。
渡辺:資料に出てくる共和政という表現は、フランスの近代史でも出てきました。もしかして、これもそうした事例の一つでしょうか。
先生:よく気が付きましたね。では、次回の授業で、b古代ローマの共和政とフランスで最初に成立した共和政を比較してみましょう。
下線部bについて、次回の授業で生徒たちから次の異なる二つの意見が出された。前の文章を参考にしつつ、次の空欄エとオに入れる文として最も適当なものX~Zの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
高見さんの意見
フランスの第一共和政では( エ )し、古代ローマの共和政でも同様であったことから、フランスの第一共和政は、古代ローマの共和政と似ていると言える。
渡辺さんの意見
フランスの第一共和政では( オ )が、古代ローマの共和政ではそうではなかったため、フランスの第一共和政は、古代ローマの共和政とは異なる。
エとオに入れる文
X 独裁的な政治が行われた
Y 議員を選挙で選ぶ議会があった
Z 女性に参政権(選挙権)があった
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問33(世界史B(第5問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)
B あるクラスで、古代ローマの共和政についての授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
先生:次の資料は、吉村忠典『支配の天才ローマ人』の一部を要約したものです。ここでは、ローマで「自由」がどのように理解されていたのかが、述べられています。これを読んで、何か気付いたことはありますか。
資料
共和政期のローマ貴族の考え方によれば、人はそれぞれの力量に応じた「自由」を持つべきであり、これを無視して全市民に同じ量の「自由」を与えるのは悪平等(注1)であって、「自由」な国家の真のあり方にそぐわない、とされた。したがってローマ貴族の考えた「自由」は、例えば古典期(注2)のアテネ人が考えた政治的自由とは性格を異にする。事実、古典期のアテネ人の自由にとっては、共同体成員の政治的な「平等」が本質的な前提であった。しかしローマ人はこれを実質的には悪平等と見る。共和政期のローマ人は、市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない。古典期のアテネで見られた「民主政治」は、ローマ史上一度も実現されたことがない。
(注1)悪平等 ― 形式だけ平等にし、かえって不公平になること。
(注2)古典期 ― ペルシア戦争からカイロネイアの戦いまでの時期を指す。
高見:「市民全体が自ら政治を担って自分自身を治めることを「自由」と呼ばない」という部分に、とても違和感を覚えました。「自由」という言葉は現代でも使いますが、共和政期のローマでは「自由」の理解の仕方が違うのでしょうか。
先生:鋭い指摘ですね。共和政期のローマでは、成人男性市民であれば民会に参加し、公職者を選ぶことはできましたが、当時は家柄や経歴を通じて高い能力を身につけた貴族などの人々がより大きな「自由」、つまり政治参加の機会を持つべきだと考えられていたのです。例えば、共和政期に大きな影響力を持った元老院の議員を、平民を含む市民全体の選挙で直接選ぶ制度はありませんでした。
高見:資料によると、古典期のアテネと共和政期のローマとの間でも、「自由」の理解の仕方に違いがあったことが分かります。
先生:「自由」をめぐる両者の理解の仕方の違いは、特にローマがギリシアに進出し、支配するようになると表面化しました。ローマが与えた「自由」の解釈をめぐって、一部のギリシア人との間に摩擦が生じたのです。
渡辺:同じ言葉でも、その内実に違いがあるという点は、以前の授業で学んだaアテネの民主政と現代の民主政治との違いと共通しています。
先生:そうですね。ほかにこうした事例は思い付きますか。
渡辺:資料に出てくる共和政という表現は、フランスの近代史でも出てきました。もしかして、これもそうした事例の一つでしょうか。
先生:よく気が付きましたね。では、次回の授業で、b古代ローマの共和政とフランスで最初に成立した共和政を比較してみましょう。
下線部bについて、次回の授業で生徒たちから次の異なる二つの意見が出された。前の文章を参考にしつつ、次の空欄エとオに入れる文として最も適当なものX~Zの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
高見さんの意見
フランスの第一共和政では( エ )し、古代ローマの共和政でも同様であったことから、フランスの第一共和政は、古代ローマの共和政と似ていると言える。
渡辺さんの意見
フランスの第一共和政では( オ )が、古代ローマの共和政ではそうではなかったため、フランスの第一共和政は、古代ローマの共和政とは異なる。
エとオに入れる文
X 独裁的な政治が行われた
Y 議員を選挙で選ぶ議会があった
Z 女性に参政権(選挙権)があった
- エ ― X オ ― Y
- エ ― X オ ― Z
- エ ― Y オ ― X
- エ ― Y オ ― Z
- エ ― Z オ ― X
- エ ― Z オ ― Y
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この過去問の解説 (1件)
01
正しい選択肢は、「エーX オーY」です。
【各文の検討】
X 独裁的な政治が行われた
フランス第一共和政では公安委員会期の恐怖政治が、古代ローマ共和政ではスッラやカエサルの独裁が行われました。
両者はこの点で共通します。
→ 高見さんが「似ている」と述べる根拠として最適
Y 議員を選挙で選ぶ議会があった
第一共和政の国民公会・五百人議会などは選挙制でしたが、ローマ共和政の元老院は選挙で直接選ばれる機関ではなく、終身の元老院議員は高位官職経験者から任命・推挙されました。
→ 渡辺さんが「異なる」と述べる理由に当てはまります。
Z 女性に参政権があった
18世紀のフランスにも古代ローマにも女性参政権はなく、比較の材料になりません。
以上より、エにはX、オにはYを入れる組合せが最も適当です。
正しい選択肢です。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
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