大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問18 (第2問(小説) 問7)
問題文
立(たて)看板をなんとかするよう裏の家の息子に頼んでみたら、という妻の示唆を、私は大真面目で受け止めていたわけではなかった。落着(おちつ)いて考えてみれば、その理由を中学生かそこらの少年にどう説明すればよいのか見当もつかない。相手は看板を案山子などとは夢にも思っていないだろうから、雀の論理は通用すまい。ただあの時は、妻が私の側に立ってくれたことに救われ、気持ちが楽になっただけの話だった。いやそれ以上に、男と睨(にら)み合った時、なんだ、お前は案山子ではないか、と言ってやる僅かなゆとりが生れるほどの力にはなった。裏返されればそれまでだぞ、と窓の中から毒突くのは、一方的に見詰められるのみの関係に比べればまだましだったといえる。
しかし実際には、看板を裏返す手立てが摑(つか)めぬ限り、いくら毒突いても所詮空威張りに過ぎぬのは明らかである。そして裏の男は、私のそんな焦りを見透(みすか)したかのように、前にもまして帽子の広いつばの下の眼に暗い光を溜(た)め、こちらを凝視して止(や)まなかった。流しの窓の前に立たずとも、あの男が見ている、との感じは肌に伝わった。暑いのを我慢して南側の子供部屋で本を読んだりしていると、すぐ隣の居間に男の視線の気配を覚えた。そうなると、本を伏せてわざわざダイニングキチンまで出向き、あの男がいつもと同じ場所に立っているのを確かめるまで落着けなかった。
隣の家に電話をかけ、親に事情を話して看板をどうにかしてもらう、という手も考えた。少年の頭越しのそんな手段はフェアではないだろう、との意識も働いたし、その前に親を納得させる自信がない。もしも納得せぬまま、ただこちらとのいざこざを避けるために親が看板を除去してくれたとしても、相手の内にいかなる疑惑が芽生えるかは容易に想像がつく。あの家には頭のおかしな人間が住んでいる、そんな噂(うわさ)を立てられるのは恐ろしかった。
ある夕暮れ、それは妻が家に居る日だったが、日が沈んで外が少し涼しくなった頃、散歩に行くぞ、と裏の男に眼で告げて玄関を出た。家を離れて少し歩いた時、町会の掲示板のある角を曲って来る人影に気がついた。迷彩色のシャツをだらしなくジーパンの上に出し、俯(うつむ)きかげんに道の端をのろのろと近づいて来る。まだ育ち切らぬ柔らかな骨格と、無理に背伸びした身なりとのアンバランスな組合せがおかしかった。細い首に支えられた坊主頭がふと上り、またすぐに伏せられた。 A 隣の少年だ、と思うと同時に、私はほとんど無意識のように道の反対側に移って彼の前に立っていた。
「ちょっと」
声を掛けられた少年は怯(おび)えた表情で立ち止(どま)り、それが誰かわかると小さく頷(うなず)く仕種(しぐさ)で頭だけ下げ、私を避けて通り過ぎようとした。
「庭のプレハブは君の部屋だろう」
何か曖昧な母音を洩(も)らして彼は微(かす)かに頷いた。
「あそこに立てかけてあるのは、映画の看板かい」
細い眼が閉じられるほど細くなって、警戒の色が顔に浮かんだ。
「素敵な絵だけどさ、うちの台所の窓の真正面になるんだ。置いてあるだけなら、あのオジサンを横に移すか、裏返しにするか――――」
そこまで言いかけると、相手は肩を聳(そび)やかす身振りで歩き出そうとした。
「待ってくれよ、頼んでいるんだから」
肩越しに振り返る相手の顔は無表情に近かった。
「もしもさ――――」
追おうとした私を振り切って彼は急ぎもせずに離れて行く。
「ジジイ――――」
吐き捨てるように彼の俯いたまま低く叫ぶ声がはっきり聞えた。少年の姿が大野家の石の門に吸い込まれるまで、私はそこに立ったまま見送っていた。
ひどく後味の悪い夕刻の出来事を、私は妻に知られたくなかった。少年から見れば我が身が碌(ろく)な勤め先も持たぬジジイであることに間違いはなかったろうが、一応は礼を尽(つく)して頼んでいるつもりだったのだから、中学生の餓鬼にそれを無視され、罵られたのは身に応えた。B 身体の底を殴られたような厭(いや)な痛みを少しでも和らげるために、こちらの申し入れが理不尽なもので
あり、相手の反応は無理もなかったのだ、と考えてみようともした。謂(いわ)れもない内政干渉として彼が憤る気持ちもわからぬではなかった。しかしそれなら、彼は面を上げて私の申し入れを拒絶すればよかったのだ。所詮当方は雀の論理しか持ち合わせぬのだから、黙って引き下(さが)るしかないわけだ。その方が私もまだ救われたろう。
無視と捨台詞(すてぜりふ)にも似た罵言とは、彼が息子よりも遥(はる)かに歳(とし)若い少年だけに、やはり耐え難かった。
夜が更けてクーラーをつけた寝室に妻が引込んでしまった後も、私は一人居間のソファーに坐(すわ)り続けた。穏やかな鼾(いびき)が寝室の戸の隙間を洩(も)れて来るのを待ってから、大型の懐中電灯を手にしてダイニングキチンの窓に近づいた。もしや、という淡い期待を抱いて隣家の庭を窺(うかが)った。手前の木々の葉越しにプレハブ小屋の影がぼうと白く漂うだけで、庭は闇に包まれている。網戸に擦(こす)りつけるようにして懐中電灯の明(あか)りをともした。光の環(わ)の中に、きっと私を睨(にら)み返す男の顔が浮かんだ。闇に縁取られたその顔は肌に血の色さえ滲(にじ)ませ、昼間より一層生々し
かった。
「馬鹿奴(め)」
呟(つぶや)く声が身体にこもった。暗闇に立つ男を罵っているのか、夕刻の少年に怒りをぶつけているのか、自らを嘲っているのか、自分でもわからなかった。懐中電灯を手にしたまま素早く玄関を出た。土地ぎりぎりに建てた家の壁と塀の間を身体を斜めにしてすり抜ける。建築法がどうなっているのか識(し)らないが、もう少し肥(ふと)れば通ることの叶(かな)わぬ僅かな隙間だった。ランニングシャツ一枚の肩や腕にモルタル(注)のざらつきが痛かった。
東隣との低い生垣(いけがき)に突き当(あた)り、檜葉(ひば)の間を強引に割ってそこを跨(また)ぎ越し、我が家のブロック塀の端を迂回(うかい)すると再び大野家との生垣を掻(か)き分けて裏の庭へと踏み込んだ。乾いた小さな音がして枝が折れたようだったが、気にかける余裕はなかった。
繁みの下の暗がりで一息つき、足許(あしもと)から先に懐中電灯の光をさっと這(は)わせてすぐ消した。右手の母屋も正面のプレハブ小屋も、明りは消えて闇に沈んでいる。身を屈(かが)めたまま手探りに進み、地面に雑然と置かれている小さなベンチや傘立てや三輪車をよけて目指す小屋の横に出た。
男は見上げる高さでそこに平たく立っていた。光を当てなくとも顔の輪郭は夜空の下にぼんやり認められた。そんなただの板と、窓から見える男が同一人物とは到底信じ難かった。これではあの餓鬼に私の言うことが通じなかったとしても無理はない。案山子にとまった雀はこんな気分がするだろうか、と動悸(どうき)を抑えつつも苦笑した。
しかし濡(ぬ)れたように滑らかな板の表面に触れた時、指先に厭な違和感が走った。それがベニヤ板でも紙でもなく、硬質のプラスチックに似た物体だったからだ。思わず懐中電灯をつけてみずにはいられなかった。果(はた)して断面は分厚い白色で、裏側に光を差し入れるとそこには金属の補強材が縦横に渡されている。人物の描かれた表面処理がいかなるものかまでは咄嗟(とっさ)に摑めなかったが、それが単純に紙を貼りつけただけの代物ではないらしい、との想像はついた。雨に打たれて果無(はかな)く消えるどころか、これは土に埋められても腐ることのないしたたかな男だったのだ。
それを横にずらすか、道に面した壁に向きを変えて立てかけることは出来ぬものか、と持ち上げようとした。相手は根が生えたかの如(ごと)く動かない。これだけの厚みと大きさがあれば体重もかなりのものになるのだろうか。力の入れやすい手がかりを探ろうとして看板の縁を辿(たど)った指が何かに当った。太い針金だった。看板の左端にあけた穴を通して、針金は小屋の樋(とい)としっかり結ばれている。同じような右側の針金の先は、壁に突き出たボルトの頭に巻きついていた。その細工が左右に三つずつ、六ヵ所にわたって施されているのを確かめると、最早(もはや)男を動かすことは諦めざるを得なかった。夕暮れの少年の細めた眼を思い出し、理由はわからぬものの、C あ奴(やつ)はあ奴でかなりの覚悟でことに臨んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった。
(注)モルタル ――― セメントと砂を混ぜ、水で練り合わせたもの。タイルなどの接合や、外壁の塗装などに用いる。
Nさんは、下線部「案山子にとまった雀はこんな気分がするだろうか、と動悸を抑えつつも苦笑した。」について理解を深めようとした。まず、国語辞典で「案山子」を調べたところ季語であることがわかった。そこでさらに、歳時記(季語を分類して解説や例句をつけた書物)から「案山子」と「雀」が詠まれた俳句を探し、これらの内容を【ノート】に整理した。このことについて、後の問いに答えよ。
【ノート】を踏まえて「私」の看板に対する認識の変化や心情について説明したものとして、最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問18(第2問(小説) 問7) (訂正依頼・報告はこちら)
立(たて)看板をなんとかするよう裏の家の息子に頼んでみたら、という妻の示唆を、私は大真面目で受け止めていたわけではなかった。落着(おちつ)いて考えてみれば、その理由を中学生かそこらの少年にどう説明すればよいのか見当もつかない。相手は看板を案山子などとは夢にも思っていないだろうから、雀の論理は通用すまい。ただあの時は、妻が私の側に立ってくれたことに救われ、気持ちが楽になっただけの話だった。いやそれ以上に、男と睨(にら)み合った時、なんだ、お前は案山子ではないか、と言ってやる僅かなゆとりが生れるほどの力にはなった。裏返されればそれまでだぞ、と窓の中から毒突くのは、一方的に見詰められるのみの関係に比べればまだましだったといえる。
しかし実際には、看板を裏返す手立てが摑(つか)めぬ限り、いくら毒突いても所詮空威張りに過ぎぬのは明らかである。そして裏の男は、私のそんな焦りを見透(みすか)したかのように、前にもまして帽子の広いつばの下の眼に暗い光を溜(た)め、こちらを凝視して止(や)まなかった。流しの窓の前に立たずとも、あの男が見ている、との感じは肌に伝わった。暑いのを我慢して南側の子供部屋で本を読んだりしていると、すぐ隣の居間に男の視線の気配を覚えた。そうなると、本を伏せてわざわざダイニングキチンまで出向き、あの男がいつもと同じ場所に立っているのを確かめるまで落着けなかった。
隣の家に電話をかけ、親に事情を話して看板をどうにかしてもらう、という手も考えた。少年の頭越しのそんな手段はフェアではないだろう、との意識も働いたし、その前に親を納得させる自信がない。もしも納得せぬまま、ただこちらとのいざこざを避けるために親が看板を除去してくれたとしても、相手の内にいかなる疑惑が芽生えるかは容易に想像がつく。あの家には頭のおかしな人間が住んでいる、そんな噂(うわさ)を立てられるのは恐ろしかった。
ある夕暮れ、それは妻が家に居る日だったが、日が沈んで外が少し涼しくなった頃、散歩に行くぞ、と裏の男に眼で告げて玄関を出た。家を離れて少し歩いた時、町会の掲示板のある角を曲って来る人影に気がついた。迷彩色のシャツをだらしなくジーパンの上に出し、俯(うつむ)きかげんに道の端をのろのろと近づいて来る。まだ育ち切らぬ柔らかな骨格と、無理に背伸びした身なりとのアンバランスな組合せがおかしかった。細い首に支えられた坊主頭がふと上り、またすぐに伏せられた。 A 隣の少年だ、と思うと同時に、私はほとんど無意識のように道の反対側に移って彼の前に立っていた。
「ちょっと」
声を掛けられた少年は怯(おび)えた表情で立ち止(どま)り、それが誰かわかると小さく頷(うなず)く仕種(しぐさ)で頭だけ下げ、私を避けて通り過ぎようとした。
「庭のプレハブは君の部屋だろう」
何か曖昧な母音を洩(も)らして彼は微(かす)かに頷いた。
「あそこに立てかけてあるのは、映画の看板かい」
細い眼が閉じられるほど細くなって、警戒の色が顔に浮かんだ。
「素敵な絵だけどさ、うちの台所の窓の真正面になるんだ。置いてあるだけなら、あのオジサンを横に移すか、裏返しにするか――――」
そこまで言いかけると、相手は肩を聳(そび)やかす身振りで歩き出そうとした。
「待ってくれよ、頼んでいるんだから」
肩越しに振り返る相手の顔は無表情に近かった。
「もしもさ――――」
追おうとした私を振り切って彼は急ぎもせずに離れて行く。
「ジジイ――――」
吐き捨てるように彼の俯いたまま低く叫ぶ声がはっきり聞えた。少年の姿が大野家の石の門に吸い込まれるまで、私はそこに立ったまま見送っていた。
ひどく後味の悪い夕刻の出来事を、私は妻に知られたくなかった。少年から見れば我が身が碌(ろく)な勤め先も持たぬジジイであることに間違いはなかったろうが、一応は礼を尽(つく)して頼んでいるつもりだったのだから、中学生の餓鬼にそれを無視され、罵られたのは身に応えた。B 身体の底を殴られたような厭(いや)な痛みを少しでも和らげるために、こちらの申し入れが理不尽なもので
あり、相手の反応は無理もなかったのだ、と考えてみようともした。謂(いわ)れもない内政干渉として彼が憤る気持ちもわからぬではなかった。しかしそれなら、彼は面を上げて私の申し入れを拒絶すればよかったのだ。所詮当方は雀の論理しか持ち合わせぬのだから、黙って引き下(さが)るしかないわけだ。その方が私もまだ救われたろう。
無視と捨台詞(すてぜりふ)にも似た罵言とは、彼が息子よりも遥(はる)かに歳(とし)若い少年だけに、やはり耐え難かった。
夜が更けてクーラーをつけた寝室に妻が引込んでしまった後も、私は一人居間のソファーに坐(すわ)り続けた。穏やかな鼾(いびき)が寝室の戸の隙間を洩(も)れて来るのを待ってから、大型の懐中電灯を手にしてダイニングキチンの窓に近づいた。もしや、という淡い期待を抱いて隣家の庭を窺(うかが)った。手前の木々の葉越しにプレハブ小屋の影がぼうと白く漂うだけで、庭は闇に包まれている。網戸に擦(こす)りつけるようにして懐中電灯の明(あか)りをともした。光の環(わ)の中に、きっと私を睨(にら)み返す男の顔が浮かんだ。闇に縁取られたその顔は肌に血の色さえ滲(にじ)ませ、昼間より一層生々し
かった。
「馬鹿奴(め)」
呟(つぶや)く声が身体にこもった。暗闇に立つ男を罵っているのか、夕刻の少年に怒りをぶつけているのか、自らを嘲っているのか、自分でもわからなかった。懐中電灯を手にしたまま素早く玄関を出た。土地ぎりぎりに建てた家の壁と塀の間を身体を斜めにしてすり抜ける。建築法がどうなっているのか識(し)らないが、もう少し肥(ふと)れば通ることの叶(かな)わぬ僅かな隙間だった。ランニングシャツ一枚の肩や腕にモルタル(注)のざらつきが痛かった。
東隣との低い生垣(いけがき)に突き当(あた)り、檜葉(ひば)の間を強引に割ってそこを跨(また)ぎ越し、我が家のブロック塀の端を迂回(うかい)すると再び大野家との生垣を掻(か)き分けて裏の庭へと踏み込んだ。乾いた小さな音がして枝が折れたようだったが、気にかける余裕はなかった。
繁みの下の暗がりで一息つき、足許(あしもと)から先に懐中電灯の光をさっと這(は)わせてすぐ消した。右手の母屋も正面のプレハブ小屋も、明りは消えて闇に沈んでいる。身を屈(かが)めたまま手探りに進み、地面に雑然と置かれている小さなベンチや傘立てや三輪車をよけて目指す小屋の横に出た。
男は見上げる高さでそこに平たく立っていた。光を当てなくとも顔の輪郭は夜空の下にぼんやり認められた。そんなただの板と、窓から見える男が同一人物とは到底信じ難かった。これではあの餓鬼に私の言うことが通じなかったとしても無理はない。案山子にとまった雀はこんな気分がするだろうか、と動悸(どうき)を抑えつつも苦笑した。
しかし濡(ぬ)れたように滑らかな板の表面に触れた時、指先に厭な違和感が走った。それがベニヤ板でも紙でもなく、硬質のプラスチックに似た物体だったからだ。思わず懐中電灯をつけてみずにはいられなかった。果(はた)して断面は分厚い白色で、裏側に光を差し入れるとそこには金属の補強材が縦横に渡されている。人物の描かれた表面処理がいかなるものかまでは咄嗟(とっさ)に摑めなかったが、それが単純に紙を貼りつけただけの代物ではないらしい、との想像はついた。雨に打たれて果無(はかな)く消えるどころか、これは土に埋められても腐ることのないしたたかな男だったのだ。
それを横にずらすか、道に面した壁に向きを変えて立てかけることは出来ぬものか、と持ち上げようとした。相手は根が生えたかの如(ごと)く動かない。これだけの厚みと大きさがあれば体重もかなりのものになるのだろうか。力の入れやすい手がかりを探ろうとして看板の縁を辿(たど)った指が何かに当った。太い針金だった。看板の左端にあけた穴を通して、針金は小屋の樋(とい)としっかり結ばれている。同じような右側の針金の先は、壁に突き出たボルトの頭に巻きついていた。その細工が左右に三つずつ、六ヵ所にわたって施されているのを確かめると、最早(もはや)男を動かすことは諦めざるを得なかった。夕暮れの少年の細めた眼を思い出し、理由はわからぬものの、C あ奴(やつ)はあ奴でかなりの覚悟でことに臨んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった。
(注)モルタル ――― セメントと砂を混ぜ、水で練り合わせたもの。タイルなどの接合や、外壁の塗装などに用いる。
Nさんは、下線部「案山子にとまった雀はこんな気分がするだろうか、と動悸を抑えつつも苦笑した。」について理解を深めようとした。まず、国語辞典で「案山子」を調べたところ季語であることがわかった。そこでさらに、歳時記(季語を分類して解説や例句をつけた書物)から「案山子」と「雀」が詠まれた俳句を探し、これらの内容を【ノート】に整理した。このことについて、後の問いに答えよ。
【ノート】を踏まえて「私」の看板に対する認識の変化や心情について説明したものとして、最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

- はじめ「私」は、c「某は案山子にて候雀殿」の虚勢を張る「案山子」のような看板に近づけず、家のなかから眺めているだけの状態であった。しかし、そばまで近づいたことで、看板はイ「見かけばかりもっともらし」いものであることに気づき、これまで「ただの板」にこだわり続けていたことに対して大人げなさを感じている。
- はじめ「私」は、b「稲雀追ふ力なき案山子かな」の「案山子」のように看板は自分に危害を加えるようなものではないと理解していた。しかし、意を決して裏の庭に忍び込んだことで、看板のア「おどし防ぐもの」としての効果を実感し、雀の立場として「ただの板」に苦しんでいる自分に気恥ずかしさを感じている。
- はじめ「私」は、自分を監視している存在として看板を捉え、ア「おどし防ぐもの」と対面するような落ち着かない状態であった。しかし、おそるおそる近づいてみたことで、c「某は案山子にて候雀殿」のように看板の正体を明確に認識し、「ただの板」に対する怖さを克服しえた自分に自信をもつことができたと感じている。
- はじめ「私」は、ア「とりおどし」のような脅すものとして看板をとらえ、その存在の不気味さを感じている状態であった。しかし、暗闇に紛れて近づいたことにより、実際にはb「稲雀追ふ力なき案山子かな」のような存在であることを発見し、「ただの板」である看板に心を乱されていた自分に哀れみを感じている。
- はじめ「私」は、常に自分を見つめる看板に対してa「群雀空にしづまらず」の「雀」のような心穏やかでない状態であった。しかし、そばに近づいてみたことにより、看板はイ「見かけばかりもっともらし」いものであって恐れるに足りないとわかり、「ただの板」に対して悩んできた自分に滑稽さを感じている。
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (2件)
01
この問題を解答するポイントは以下の2点です。
①私の看板の男に対する心境の変化を掴めているか。
②最も適当なもの=「筆者の意図に沿っているもの」を選ぶこと。
c「某は案山子にて候雀殿」の案山子の意味を間違えているため,不適当です。
私はもともと看板の男に対して脅威を感じていたのが、近くに行ったことで危害を加える存在ではなかったと認識したため、選択肢の文章は心境の変化の順番と一致せず、不適当です。
怖さを克服して自信を持つことができたという記載はないため、不適当です。
看板と間近に対峙した際に動悸を抑えつつも苦笑したとあるため、憐みの感情とは異なると考えられるので、不適当です。
文章の内容に沿った記述です。
最初に提示したとおり、解答するポイントは以下の2点です。
①私の看板の男に対する心境の変化を掴めているか。
遠くから眺めていた時は脅威に感じていました。
近づいてみると、ただの見掛け倒しで、脅威を覚えていた自分自身に苦笑してしまった描写があります。
②最も適当なもの=「筆者の意図に沿っているもの」を選ぶこと。
→選択肢を選定する際、勝手な行間の読み過ぎが邪魔になることが多々発生します。
・選択肢の文章と問題の本文が示す言葉にずれがないか。
・書かれていない背景を作問者が拡大解釈のもとで示していないか。
上記に注意し、選択肢のおかしいと思った箇所に印をつけると検討しやすく、見直しもやりやすくなります。
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02
・遠くから眺めているあいだ(窓越し)
看板=“裏の男”は絶えず自分を監視しているようで、まるで句aに描かれた「案山子をめぐってざわめく群雀」のように「私」の心は休まりません。これは辞書の語釈ア〈とりおどし・防ぐ〉に当たる“脅し”として看板を受け取っていた証拠です。
・暗闇で接近し直接触れた後(近景)
実物は厚いプラスチック板に金属で固定された“ただの板”でした。句bのように雀を追う力さえない案山子、さらには語釈イ〈見かけばかりもっともらしい〉の存在だと悟り、これまで翻弄されてきた自分を思って苦笑します。
この二段階の認識変化――「怖い監視者」→「ハリボテの板」――を最も的確にまとめているのが該当の選択肢です。
初めに句c(虚勢)を結びつけているが、遠景ではむしろ“脅威”を感じており適合しません。また近景で「大人げなさ」を中心に語るのも本文とかみ合いません。
遠景で「危害を加えない」と落ち着いているという説明が本文と逆です。
近づいた結果「怖さを克服し自信を持つ」とありますが、実際は看板を動かせず諦めと苦笑が描かれ、自信を得た様子はありません。
近づいて「力なき案山子」と見なした点は一部合うものの、遠景の説明に辞書語釈アを直接当てないなど対応が不完全です。
正解です。
冒頭で解説した通りです。
遠くからは“脅し”として怯え、近づけば“見かけ倒し”と分かって拍子抜け――この対比を歳時記の句aと語釈イで明確に示した選択肢が最も妥当です。
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