大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問16 (第2問(小説) 問4)
問題文
私が無理矢理に拵(こしら)え上げた構想のなかでは、都民のひとりひとりが楽しく胸をはって生きてゆけるような、そんな風の都市をつくりあげていた。私がもっとも念願する理想の食物都市とはいささか形はちがっていたが、その精神も少(すくな)からずこの構想には加味されていた。たとえば緑地帯には柿の並木がつらなり、夕昏(ゆうぐれ)散歩する都民たちがそれをもいで食べてもいいような仕組(しくみ)になっていた。私の考えでは、そんな雰囲気のなかでこそ、都民のひとりひとりが胸を張って生きてゆける筈(はず)であった。絵柄や文章を指定したこの二十枚の下書きの中に、私のさまざまな夢がこめられていると言ってよかった。このような私の夢が飢えたる都市の人々の共感を得ない筈はなかった。町角に私の作品が並べられれば、道行く人々は皆立ちどまって、微笑(ほほえ)みながら眺めて呉(く)れるにちがいない。そう私は信じた。だから之(これ)を提出するにあたっても、私はすこしは晴れがましい気持でもあったのである。
会長も臨席した編輯(へんしゅう)(注1)会議の席上で、しかし私の下書きは散々の悪評であった。悪評であるというより、てんで問題にされなかったのである。
「これは一体どういうつもりなのかね」
私の下書きを一枚一枚見ながら、会長はがらがらした声で私に言った。
「こんなものを街頭展に出して、一体何のためになると思うんだね」
「そ、それはです」と、A 私はあわてて説明した。「只今(ただいま)は食糧事情がわるくて、皆意気が衰え、夢を失っていると思うんです。だからせめてたのしい夢を見せてやりたい、とこう考えたものですから ――― 」
会長は不機嫌な顔をして、私の苦心の下書きを重ねて卓の上にほうりだした。
「 ――― 大東京の将来というテーマをつかんだら」しばらくして会長ははき出すように口をきった。「現在何が不足しているか。理想の東京をつくるためにはどんなものが必要か。そんなことを考えるんだ。たとえば家を建てるための材木だ」
会長は赤らんだ掌(てのひら)をくにゃくにゃ動かして材木の形をしてみせた。
「材木はどこにあるか。どの位のストックがあるか。そしてそれは何々材木会社に頼めば直(す)ぐ手に入る、とこういう具合(ぐあい)にやるんだ」
会長は再び私の下書きを手にとった。
「明るい都市?明るくするには、電燈(でんとう)だ。電燈の生産はどうなっているか。マツダランプの工場では、どんな数量を生産し、将来どんな具合に生産が増加するか、それを書くんだ。電燈ならマツダランプという具合だ。そしてマツダランプから金を貰(もら)うんだ」
ははあ、とやっと胸におちるものが私にあった。会長は顔をしかめた。
「緑地帯に柿の木を植えるって?そんな馬鹿な。土地会社だ。東京都市計画で緑地帯の候補地がこれこれになっているから、そこの住民たちは今のうちに他に土地を買って、移転する準備したらよい、という具合だ。そのとき土地を買うなら何々土地会社へ、だ。そしてまた金を貰う」
佐藤や長山アキ子や他の編輯員たちの、冷笑するような視線を額にかんじながら、私はあかくなってうつむいていた。飛(と)んでもない誤解をしていたことが、段々判(わか)ってきたのである。思えば戦争中情報局(注2)と手を組んでこんな仕事をやっていたというのも、憂国の至情にあふれてからの所業ではなくて、たんなる儲(もう)け仕事にすぎなかったことは、少し考えれば判る筈であった。そして戦争が終
(おわ)って情報局と手が切れて、掌をかえしたように文化国家の建設の啓蒙(けいもう)をやろうというのも、私費を投じた慈善事業である筈がなかった。会長の声を受けとめながら、椅子に身体(からだ)を硬くして、頭をたれたまま、B 私はだんだん腹が立ってきたのである。私の夢が侮蔑されたのが口惜しいのではない。この会社のそのような営利精神を憎むのでもない。佐藤や長山の冷笑的な視線が辛(つら)かったのでもない。ただただ私は自分の間抜けさ加減に腹を立てていたのであった。
その夕方、私は憂欝(ゆううつ)な顔をして焼けビル(注3)を出、うすぐらい街を昌平橋(しょうへいばし)(注4)の方にあるいて行った。あれから私は構想のたてなおしを命ぜられて、それを引受(ひきう)けたのであった。しかしそれならそれでよかった。給料さえ貰えれば始めから私は何でもやるつもりでいたのだから。憂欝な顔をしているというのも、ただ腹がへっているからであった。膝をがくがくさせながら昌平橋のたもとまで来たとき、私は変な老人から呼びとめられた。共同便所の横のうすくらがりにいるせいか、その老人は人間というより一枚の影に似ていた。
「旦那」声をぜいぜいふるわせながら老人は手を出した。「昨日から、何も食っていないんです。ほんとに何も食っていないんです。たった一食でもよろしいから、めぐんでやって下さいな。旦那、おねがいです」
老人は外套(がいとう)(注5)も着ていなかった。顔はくろくよごれていて、上衣(うわぎ)の袖から出た手は、ぎょっとするほど細かった。身体が小刻みに動いていて、立っていることも精いっぱいであるらしかった。老人の骨ばった指が私の外套の袖にからんだ。私はある苦痛をしのびながらそれを振りはらった。
「ないんだよ。僕も一食ずつしか食べていないんだ。ぎりぎり計算して食っているんだ。とても分けてあげられないんだよ」
「そうでしょうが、旦那、あたしは昨日からなにも食っていないんです。何なら、この上衣を抵当(注6)に入れてもよござんす。一食だけ。ね。一食だけでいいんです」
老人の眼(め)は暗がりの中ででもぎらぎら光っていて、まるで眼球が瞼(まぶた)のそとにとびだしているような具合であった。頬はげっそりしなびていて、そこから咽喉(のど)にかけてざらざらに鳥肌が立っていた。
「ねえ。旦那。お願い。お願いです」
頭をふらふらと下げる老爺(ろうや)よりもどんなに私の方が頭を下げて願いたかったことだろう。あたりに人眼がなければ私はひざまずいて、これ以上自分を苦しめて呉れるなと、老爺にむかって頭をさげていたかも知れないのだ。しかし私は、C 自分でもおどろくほど邪険な口調で、老爺にこたえていた。
「駄目だよ。無いといったら無いよ。誰か他の人にでも頼みな」
暫(しばら)くの後私は食堂のかたい椅子にかけて、変な臭いのする魚の煮付と芋まじりの少量の飯をぼそぼそと噛(か)んでいた。しきりに胸を熱くして来るものがあって、食物の味もわからない位だった。私をとりまくさまざまの構図が、ひっきりなしに心を去来した。毎日白い御飯を腹いっぱいに詰め、鶏にまで白米をやる下宿のあるじ、闇売り(注7)でずいぶん儲けたくせに柿のひとつやふたつで怒っている裏の吉田さん。高価な莨(たばこ)をひっきりなしに吸って血色のいい会長。鼠(ねずみ)のような庶務課長。膝頭が蒼(あお)白く飛出(とびで)た佐藤。長山アキ子の腐った芋の弁当。国民服(注8)一着しかもたないT・I氏。お尻の破れた青いモンペ(注9)の女。電車の中で私を押して来る勤め人たち。ただ一食の物乞いに上衣を脱ごうとした老爺。それらのたくさんの構図にかこまれて、朝起きたときから食物のことばかり妄想し、こそ泥のように芋や柿をかすめている私自身の姿がそこにあるわけであった。こんな日常が連続してゆくことで、一体どんなおそろしい結末が待っているのか。D それを考えるだけで私は身ぶるいした。
食べている私の外套の背に、もはや寒さがもたれて来る。もう月末が近づいているのであった。かぞえてみるとこの会社につとめ出してから、もう二十日以上も経っているわけであった。
私の給料が月給でなく日給であること、そしてそれも一日三円の割であることを知ったときの私の衝動はどんなであっただろう。それを私は月末の給料日に、鼠のような風貌の庶務課長から言いわたされたのであった。庶務課長のキンキンした声の内容によると、私は(私と一緒に入社した者も)しばらくの間は見習(みならい)社員というわけで、実力次第ではこれからどんなにでも昇給させるから、力を落(おと)さずにしっかりやるように、という話であった。そして声をひそめて、
「君は朝も定刻前にちゃんとやってくるし、毎日自発的に一時間ほど残業をやっていることは、僕もよく知っている。会長も知っておられると思う。だから一所懸命にやって呉れたまえ。君にはほんとに期待しているのだ」
私はその声をききながら、私の一日の給料が一枚の外食券(注10)の闇価(注11)と同じだ、などということをぼんやり考えていたのである。日給三円だと聞かされたときの衝動は、すぐ胸の奥で消えてしまって、その代(かわ)りに私の手足のさきまで今ゆるゆると拡(ひろ)がってきたのは、水のように静かな怒りであった。私はそのときすでに、此処(ここ)を辞める決心をかためていたのである。課長の言葉がとぎれるのを待って、私は低い声でいった。
「私はここを辞めさせて頂きたいとおもいます」
なぜ、と課長は鼠のようにずるい視線をあげた。
「一日三円では食えないのです。E 食えないことは、やはり良くないことだと思うんです」
そう言いながらも、ここを辞めたらどうなるか、という危惧がかすめるのを私は意識した。しかしそんな危惧があるとしても、それはどうにもならないことであった。私は私の道を自分で切りひらいてゆく他はなかった。ふつうのつとめをしていては満足に食べて行けないなら、私は他に新しい生き方を求めるよりなかった。そして私はあの食堂でみる人々のことを思いうかべていた。鞄(かばん)の中にいろんな物を詰めこんで、それを売ったり買ったりしている事実を。そこにも生きる途(みち)がひとつはある筈であった。そしてまた、あの惨(みじ)めな老爺にならって、外套を抵当にして食を乞う方法も残っているに相違なかった。
「君にはほんとに期待していたのだがなあ」
ほんとに期待していたのは、庶務課長よりもむしろ私なのであった。ほんとに私はどんなに人並みな暮(くら)しの出来る給料を期待していただろう。盗みもする必要がない、静かな生活を、私はどんなに希求していたことだろう。しかしそれが絶望であることがはっきり判ったこの瞬間、F 私はむしろある勇気がほのぼのと胸にのぼってくるのを感じていたのである。
その日私は会計の係から働いた分だけの給料を受取(うけと)り、永久にこの焼けビルに別れをつげた。電車みちまで出てふりかえると、曇り空の下で灰色のこの焼けビルは、私の飢えの季節の象徴のようにかなしくそそり立っていたのである。
(注1)編輯 ―――「編集」に同じ。
(注2)情報局 ――― 戦時下にマスメディア統制や情報宣伝を担った国家機関。
(注3)焼けビル ――― 戦災で焼け残ったビル。「私」の勤め先がある。
(注4)昌平橋 ――― 現在の東京都千代田区にある、神田川にかかる橋。そのたもとに「私」の行きつけの食堂がある。
(注5)外套 ――― 防寒・防雨のため洋服の上に着る衣類。オーバーコート。
(注6)抵当 ――― 金銭などを借りて返せなくなったときに、貸し手が自由に扱える借り手側の権利や財産。
(注7)闇売り ――― 公式の販路・価格によらないで内密に売ること。
(注8)国民服 ――― 国民が常用すべきものとして1940年に制定された服装。戦時中に広く男性が着用した。
(注9)モンペ ――― 作業用・防寒用として着用するズボン状の衣服。戦時中に女性の標準服として普及した。
(注10)外食券 ――― 戦中・戦後の統制下で、役所が発行した食券。
(注11)闇価 ――― 闇売りにおける価格。
下線部D「それを考えるだけで私は身ぶるいした。」とあるが、このときの「私」の状況と心理の説明として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問16(第2問(小説) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
私が無理矢理に拵(こしら)え上げた構想のなかでは、都民のひとりひとりが楽しく胸をはって生きてゆけるような、そんな風の都市をつくりあげていた。私がもっとも念願する理想の食物都市とはいささか形はちがっていたが、その精神も少(すくな)からずこの構想には加味されていた。たとえば緑地帯には柿の並木がつらなり、夕昏(ゆうぐれ)散歩する都民たちがそれをもいで食べてもいいような仕組(しくみ)になっていた。私の考えでは、そんな雰囲気のなかでこそ、都民のひとりひとりが胸を張って生きてゆける筈(はず)であった。絵柄や文章を指定したこの二十枚の下書きの中に、私のさまざまな夢がこめられていると言ってよかった。このような私の夢が飢えたる都市の人々の共感を得ない筈はなかった。町角に私の作品が並べられれば、道行く人々は皆立ちどまって、微笑(ほほえ)みながら眺めて呉(く)れるにちがいない。そう私は信じた。だから之(これ)を提出するにあたっても、私はすこしは晴れがましい気持でもあったのである。
会長も臨席した編輯(へんしゅう)(注1)会議の席上で、しかし私の下書きは散々の悪評であった。悪評であるというより、てんで問題にされなかったのである。
「これは一体どういうつもりなのかね」
私の下書きを一枚一枚見ながら、会長はがらがらした声で私に言った。
「こんなものを街頭展に出して、一体何のためになると思うんだね」
「そ、それはです」と、A 私はあわてて説明した。「只今(ただいま)は食糧事情がわるくて、皆意気が衰え、夢を失っていると思うんです。だからせめてたのしい夢を見せてやりたい、とこう考えたものですから ――― 」
会長は不機嫌な顔をして、私の苦心の下書きを重ねて卓の上にほうりだした。
「 ――― 大東京の将来というテーマをつかんだら」しばらくして会長ははき出すように口をきった。「現在何が不足しているか。理想の東京をつくるためにはどんなものが必要か。そんなことを考えるんだ。たとえば家を建てるための材木だ」
会長は赤らんだ掌(てのひら)をくにゃくにゃ動かして材木の形をしてみせた。
「材木はどこにあるか。どの位のストックがあるか。そしてそれは何々材木会社に頼めば直(す)ぐ手に入る、とこういう具合(ぐあい)にやるんだ」
会長は再び私の下書きを手にとった。
「明るい都市?明るくするには、電燈(でんとう)だ。電燈の生産はどうなっているか。マツダランプの工場では、どんな数量を生産し、将来どんな具合に生産が増加するか、それを書くんだ。電燈ならマツダランプという具合だ。そしてマツダランプから金を貰(もら)うんだ」
ははあ、とやっと胸におちるものが私にあった。会長は顔をしかめた。
「緑地帯に柿の木を植えるって?そんな馬鹿な。土地会社だ。東京都市計画で緑地帯の候補地がこれこれになっているから、そこの住民たちは今のうちに他に土地を買って、移転する準備したらよい、という具合だ。そのとき土地を買うなら何々土地会社へ、だ。そしてまた金を貰う」
佐藤や長山アキ子や他の編輯員たちの、冷笑するような視線を額にかんじながら、私はあかくなってうつむいていた。飛(と)んでもない誤解をしていたことが、段々判(わか)ってきたのである。思えば戦争中情報局(注2)と手を組んでこんな仕事をやっていたというのも、憂国の至情にあふれてからの所業ではなくて、たんなる儲(もう)け仕事にすぎなかったことは、少し考えれば判る筈であった。そして戦争が終
(おわ)って情報局と手が切れて、掌をかえしたように文化国家の建設の啓蒙(けいもう)をやろうというのも、私費を投じた慈善事業である筈がなかった。会長の声を受けとめながら、椅子に身体(からだ)を硬くして、頭をたれたまま、B 私はだんだん腹が立ってきたのである。私の夢が侮蔑されたのが口惜しいのではない。この会社のそのような営利精神を憎むのでもない。佐藤や長山の冷笑的な視線が辛(つら)かったのでもない。ただただ私は自分の間抜けさ加減に腹を立てていたのであった。
その夕方、私は憂欝(ゆううつ)な顔をして焼けビル(注3)を出、うすぐらい街を昌平橋(しょうへいばし)(注4)の方にあるいて行った。あれから私は構想のたてなおしを命ぜられて、それを引受(ひきう)けたのであった。しかしそれならそれでよかった。給料さえ貰えれば始めから私は何でもやるつもりでいたのだから。憂欝な顔をしているというのも、ただ腹がへっているからであった。膝をがくがくさせながら昌平橋のたもとまで来たとき、私は変な老人から呼びとめられた。共同便所の横のうすくらがりにいるせいか、その老人は人間というより一枚の影に似ていた。
「旦那」声をぜいぜいふるわせながら老人は手を出した。「昨日から、何も食っていないんです。ほんとに何も食っていないんです。たった一食でもよろしいから、めぐんでやって下さいな。旦那、おねがいです」
老人は外套(がいとう)(注5)も着ていなかった。顔はくろくよごれていて、上衣(うわぎ)の袖から出た手は、ぎょっとするほど細かった。身体が小刻みに動いていて、立っていることも精いっぱいであるらしかった。老人の骨ばった指が私の外套の袖にからんだ。私はある苦痛をしのびながらそれを振りはらった。
「ないんだよ。僕も一食ずつしか食べていないんだ。ぎりぎり計算して食っているんだ。とても分けてあげられないんだよ」
「そうでしょうが、旦那、あたしは昨日からなにも食っていないんです。何なら、この上衣を抵当(注6)に入れてもよござんす。一食だけ。ね。一食だけでいいんです」
老人の眼(め)は暗がりの中ででもぎらぎら光っていて、まるで眼球が瞼(まぶた)のそとにとびだしているような具合であった。頬はげっそりしなびていて、そこから咽喉(のど)にかけてざらざらに鳥肌が立っていた。
「ねえ。旦那。お願い。お願いです」
頭をふらふらと下げる老爺(ろうや)よりもどんなに私の方が頭を下げて願いたかったことだろう。あたりに人眼がなければ私はひざまずいて、これ以上自分を苦しめて呉れるなと、老爺にむかって頭をさげていたかも知れないのだ。しかし私は、C 自分でもおどろくほど邪険な口調で、老爺にこたえていた。
「駄目だよ。無いといったら無いよ。誰か他の人にでも頼みな」
暫(しばら)くの後私は食堂のかたい椅子にかけて、変な臭いのする魚の煮付と芋まじりの少量の飯をぼそぼそと噛(か)んでいた。しきりに胸を熱くして来るものがあって、食物の味もわからない位だった。私をとりまくさまざまの構図が、ひっきりなしに心を去来した。毎日白い御飯を腹いっぱいに詰め、鶏にまで白米をやる下宿のあるじ、闇売り(注7)でずいぶん儲けたくせに柿のひとつやふたつで怒っている裏の吉田さん。高価な莨(たばこ)をひっきりなしに吸って血色のいい会長。鼠(ねずみ)のような庶務課長。膝頭が蒼(あお)白く飛出(とびで)た佐藤。長山アキ子の腐った芋の弁当。国民服(注8)一着しかもたないT・I氏。お尻の破れた青いモンペ(注9)の女。電車の中で私を押して来る勤め人たち。ただ一食の物乞いに上衣を脱ごうとした老爺。それらのたくさんの構図にかこまれて、朝起きたときから食物のことばかり妄想し、こそ泥のように芋や柿をかすめている私自身の姿がそこにあるわけであった。こんな日常が連続してゆくことで、一体どんなおそろしい結末が待っているのか。D それを考えるだけで私は身ぶるいした。
食べている私の外套の背に、もはや寒さがもたれて来る。もう月末が近づいているのであった。かぞえてみるとこの会社につとめ出してから、もう二十日以上も経っているわけであった。
私の給料が月給でなく日給であること、そしてそれも一日三円の割であることを知ったときの私の衝動はどんなであっただろう。それを私は月末の給料日に、鼠のような風貌の庶務課長から言いわたされたのであった。庶務課長のキンキンした声の内容によると、私は(私と一緒に入社した者も)しばらくの間は見習(みならい)社員というわけで、実力次第ではこれからどんなにでも昇給させるから、力を落(おと)さずにしっかりやるように、という話であった。そして声をひそめて、
「君は朝も定刻前にちゃんとやってくるし、毎日自発的に一時間ほど残業をやっていることは、僕もよく知っている。会長も知っておられると思う。だから一所懸命にやって呉れたまえ。君にはほんとに期待しているのだ」
私はその声をききながら、私の一日の給料が一枚の外食券(注10)の闇価(注11)と同じだ、などということをぼんやり考えていたのである。日給三円だと聞かされたときの衝動は、すぐ胸の奥で消えてしまって、その代(かわ)りに私の手足のさきまで今ゆるゆると拡(ひろ)がってきたのは、水のように静かな怒りであった。私はそのときすでに、此処(ここ)を辞める決心をかためていたのである。課長の言葉がとぎれるのを待って、私は低い声でいった。
「私はここを辞めさせて頂きたいとおもいます」
なぜ、と課長は鼠のようにずるい視線をあげた。
「一日三円では食えないのです。E 食えないことは、やはり良くないことだと思うんです」
そう言いながらも、ここを辞めたらどうなるか、という危惧がかすめるのを私は意識した。しかしそんな危惧があるとしても、それはどうにもならないことであった。私は私の道を自分で切りひらいてゆく他はなかった。ふつうのつとめをしていては満足に食べて行けないなら、私は他に新しい生き方を求めるよりなかった。そして私はあの食堂でみる人々のことを思いうかべていた。鞄(かばん)の中にいろんな物を詰めこんで、それを売ったり買ったりしている事実を。そこにも生きる途(みち)がひとつはある筈であった。そしてまた、あの惨(みじ)めな老爺にならって、外套を抵当にして食を乞う方法も残っているに相違なかった。
「君にはほんとに期待していたのだがなあ」
ほんとに期待していたのは、庶務課長よりもむしろ私なのであった。ほんとに私はどんなに人並みな暮(くら)しの出来る給料を期待していただろう。盗みもする必要がない、静かな生活を、私はどんなに希求していたことだろう。しかしそれが絶望であることがはっきり判ったこの瞬間、F 私はむしろある勇気がほのぼのと胸にのぼってくるのを感じていたのである。
その日私は会計の係から働いた分だけの給料を受取(うけと)り、永久にこの焼けビルに別れをつげた。電車みちまで出てふりかえると、曇り空の下で灰色のこの焼けビルは、私の飢えの季節の象徴のようにかなしくそそり立っていたのである。
(注1)編輯 ―――「編集」に同じ。
(注2)情報局 ――― 戦時下にマスメディア統制や情報宣伝を担った国家機関。
(注3)焼けビル ――― 戦災で焼け残ったビル。「私」の勤め先がある。
(注4)昌平橋 ――― 現在の東京都千代田区にある、神田川にかかる橋。そのたもとに「私」の行きつけの食堂がある。
(注5)外套 ――― 防寒・防雨のため洋服の上に着る衣類。オーバーコート。
(注6)抵当 ――― 金銭などを借りて返せなくなったときに、貸し手が自由に扱える借り手側の権利や財産。
(注7)闇売り ――― 公式の販路・価格によらないで内密に売ること。
(注8)国民服 ――― 国民が常用すべきものとして1940年に制定された服装。戦時中に広く男性が着用した。
(注9)モンペ ――― 作業用・防寒用として着用するズボン状の衣服。戦時中に女性の標準服として普及した。
(注10)外食券 ――― 戦中・戦後の統制下で、役所が発行した食券。
(注11)闇価 ――― 闇売りにおける価格。
下線部D「それを考えるだけで私は身ぶるいした。」とあるが、このときの「私」の状況と心理の説明として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 貧富の差が如実に現れる周囲の人びとの姿から自らの貧しく惨めな姿も浮かび、食物への思いにとらわれていることを自覚した「私」は、農作物を盗むような生活の先にある自身の将来に思い至った。
- 定収入を得てぜいたくに暮らす人びとの存在に気づいた「私」は、芋や柿などの農作物を生活の糧にすることを想像し、そのような空想にふける自分は厳しい現実を直視できていないと認識した。
- 経済的な格差がある社会でしたたかに生きる人びとに思いを巡らせた「私」は、一食のために上衣を手放そうとした老爺のように、その場しのぎの不器用な生き方しかできない我が身を振り返った。
- 富める人もいれば貧しい人もいる社会の構造にやっと思い至った「私」は、会社に勤め始めて二十日以上経ってもその構造から抜け出せない自分が、さらなる貧困に落ちるしかないことに気づいた。
- 自分を囲む現実を顧みたことで、周囲には貧しい人が多いなかに富める人もいることに気づいた「私」は、食糧のことで頭が一杯になり社会の動向を広く認識できていなかった自分を見つめ直した。
正解!素晴らしいです
残念...
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