大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問1 (第1問(評論) 問1)
問題文
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
歴史家のキャロル・グラック(注1)は、人々が歴史について知りたいと思う理由として、「私たちがいつかは死ぬ運命にある」ことと、それにもかかわらず「物事の成り行きを知っておきたいという欲望」とを挙げている。歴史学的な関心の出発点となっているのは、まさに「自分の不在」の意識である。
あるいは、私たちがどのようにして歴史を意識するようになるかについて、歴史家のE・ホブズボーム(注2)は、「自分より年上の人びとと共に生きる」ことを(ア)挙げている。自分がいなかった時間を生きた人々の存在を意識することで、「個人の記憶に直接に残されている出来事より前の時期」としての歴史を意識するようになると。
こうした歴史家たちの態度は、「私たちが歴史の一部でしかない」からこそ、歴史を把握できる、あるいは把握しておきたいという態度である。この場合の「歴史の一部でしかない」とは、「自分はそこにいない」ということである。歴史家たちの意識は「自分の不在」という意識と結びついている。
あるいは、A 「自分の不在」を前提とするような歴史理解が歴史学の言説を成立させ、歴史を理解可能にしているのではないだろうか。
私たちが歴史書を読むことで、または学校で歴史教育を受けるなかで慣れ親しんできた言説は、基本的に「非対称性」の言説である。
たとえば、歴史記述は歴史的出来事のほんの一部を語るにすぎないし、歴史に登場する人々は、実際にその歴史を生きた人々のごく一部である。歴史記述と歴史的出来事の間には、そして、登場人物と体験者の間には圧倒的な不均衡がある。
このように、私たちが知りうる歴史は「不均衡」によって成立している。それにもかかわらず私たちが歴史記述にたいして大きな違和感を覚えないのは、歴史そのものが根本的に「非対称性」であるという前提に立っているからであろう。歴史を動かすのは少数者であり、歴史に登場できるのは私たちのほんの一部の人々である。また、おびただしい過去の出来事のなかで、歴史として知る価値があるのはごく一部である。
この「非対称性」は歴史の権力性である。B しかし同時に、私たちの願望の現れでもある。一人のささやかな市民として、私は自分が歴史に登場しないことを知っている。平穏な生活が続き、自分が歴史に登場しないことも願っている。歴史的出来事に(イ)ホンロウされないこと、その当事者でないことを願うのである。
だから、私が歴史に関心を抱くのは、自分がなんらかその一部であるにしても、歴史の当事者ではないからである。「自分の不在」は、私たちを歴史から救済してくれる。
そのような関心を、「ゆるい関心」とでも名づけておこう。自分がその一部であり、したがって、まったく無関係ではないが、他方で、当事者そのものでもないような事柄にたいする関心のことである。「ゆるい関心」は知的タイ(ウ)ダではない。急速な環境破壊や制度崩壊のなかで、それでも私たちが生きていけるのは、主として「ゆるい関心」で処理しているからである。私たちが歴史に興味をもち、歴史書を読もうとするのにも、このような「ゆるい関心」が背後にある。
「ゆるい関心」は、みずから歴史をつくり、歴史を変えたいという欲望ではない。むしろ、「歴史的背景」について知りたいと思い、歴史を理解したいという関心であって、その基本は知的関心である。歴史家は、私たち素人になりかわって、このような知的関心をテッ(エ)テイ的に追究し、歴史を接近可能にし、あるいは理解可能にしてくれる。
私たちは、暗黙のうちに、歴史について語るときは歴史家の研究や仕事を参照しなければならないという約束に従う。今日の歴史研究が個別専門化してしまい、史料調査や史料評価の専門的能力を必要とするからだけではない。私たちの歴史への関心が「ゆるい関心」であって、実践的・政治的な関心ではないからである。自分たちが「歴史の当事者」であるとは思わないし、そうありたいとも思わないから、歴史にたいしては「間接的な関わり方」が基本であると考えるからである。
ヘーゲル(注3)以降のドイツ歴史哲学もまた、基本的に歴史にたいする「ゆるい関心」からの思想であった。この歴史哲学は、H・シュネーデルバッハ(注4)のことばを借りれば、歴史哲学にたいする「深い懐疑」に貫かれている。「哲学的な仕方で歴史に関わることが、そもそも可能なのかどうか」という懐疑である。
したがって、ヘーゲル以降の歴史哲学は、学問的認識としての「歴史認識の可能性と方法」について思索した。この思索の結実が、ドロイゼン(注5)を出発点として、ディルタイ(注6)やジンメル(注7)といった哲学者たちが展開した「歴史の解釈学」である。
たとえば、近代史学の方法論を書いたドロイゼンは、くどいほどに史料研究の重要さを説いているが、その背景にはC 「健全な歴史家意識」ともいうべき姿勢があった。つまり、「記述をする者は、シーザー(注8)やフリードリヒ大王(注9)のように、特に高いところにいて出来事の中心から見たり聞いたりしたわけではない」という意識である。
歴史家とは歴史を理解しようとする人々であって、みずからが歴史に登場するわけではない。ドロイゼンは、「歴史とはなにか」について次のような定義を行っている。
歴史ということばでわれわれが考えているのは、時間の経過のなかで起きたことの総体であるが、なんらかのかたちでわれわれの知識がそれに及ぶ限りでのことである。
この定義に従えば、歴史とは、現時点の「知の地平」によって再構成可能な限りでの過去の出来事のことである。歴史については、現在の視点においてしか、ただ断片的にしか知りえない。
歴史について知る人は、歴史の外に立っている人である。過去の出来事を歴史として理解できるのは、当事者たちではなく、観察者たちなのである。歴史家たちの言う「歴史認識の客観性」は、「体験されなかったし、もはや体験もされない」という外の視点から行われる再構成の客観性である。歴史家たちの態度とは、すでに書かれてしまった外国語のテキストを読むような態度なのかもしれない。どちらも、著者や原テキスト(注10)や歴史的出来事からの「解釈学的距離」によって成立している。
私たちは歴史の一部でもあるが、歴史の一部でしかない。私たちは、自分がその一部であるようなものを、そしてその一部でしかないようなものについてどう(オ)関わるべきなのだろうか。「歴史との正しい関わり方」とはどのようなものか。
私たちはときに、自分が歴史にたいして「ゆるい関心」しかもたないことに、あるいは、「ゆるい関心」しかもってはいけないことにたいして、激しい焦燥や憤りの気持ちを抱くことがある。「歴史の捏造(ねつぞう)」が感じられるときである。そのようなとき、激しい怒りが私たちを襲う。
そうした怒りのなかで、私たちは「ゆるい関心」が「歴史との正しい関わり方」でないことを感じる。私たちがまさに歴史の一部でもあるからである。むしろ「自分の体験」が歴史を正しく理解するための基礎となり、歴史的出来事について客観的に議論するための基盤であってほしいと切望する。D 私たちは歴史に内在しようとするのだ。おそらくそのようなとき、人は「歴史の証言「者」として名乗り出るのであろう。
(北川東子(きたがわさきこ)「歴史の必然性について ―― 私たちは歴史の一部である」による)
(注1)キャロル・グラック ―― アメリカの歴史学者(1941 ― )。
(注2)E・ホブズボーム ―― イギリスの歴史学者(1917 ― 2012)。
(注3)ヘーゲル ―― ドイツの哲学者(1770 ― 1831)。
(注4)H・シュネーデルバッハ ―― ドイツの哲学者(1936 ― )。
(注5)ドロイゼン ―― ドイツの歴史学者(1808 ― 1884)。
(注6)ディルタイ ―― ドイツの哲学者(1833 ― 1911)。
(注7)ジンメル ―― ドイツの哲学者(1858 ― 1918)。
(注8)シーザー ―― 古代ローマの将軍・政治家(前100頃 ― 前44)。各地の内乱を平定し、独裁官となった。
(注9)フリードリヒ大王 ―― プロイセン国王フリードリヒ二世(1712 ― 1786)。プロイセンをヨーロッパの強国にした。
(注10)原テキスト ――歴史記述のもとになる文献のこと。
下線部アと同じ意味を持つものを、次のうちから一つ選べ。
(ア) 挙げて
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問1(第1問(評論) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
歴史家のキャロル・グラック(注1)は、人々が歴史について知りたいと思う理由として、「私たちがいつかは死ぬ運命にある」ことと、それにもかかわらず「物事の成り行きを知っておきたいという欲望」とを挙げている。歴史学的な関心の出発点となっているのは、まさに「自分の不在」の意識である。
あるいは、私たちがどのようにして歴史を意識するようになるかについて、歴史家のE・ホブズボーム(注2)は、「自分より年上の人びとと共に生きる」ことを(ア)挙げている。自分がいなかった時間を生きた人々の存在を意識することで、「個人の記憶に直接に残されている出来事より前の時期」としての歴史を意識するようになると。
こうした歴史家たちの態度は、「私たちが歴史の一部でしかない」からこそ、歴史を把握できる、あるいは把握しておきたいという態度である。この場合の「歴史の一部でしかない」とは、「自分はそこにいない」ということである。歴史家たちの意識は「自分の不在」という意識と結びついている。
あるいは、A 「自分の不在」を前提とするような歴史理解が歴史学の言説を成立させ、歴史を理解可能にしているのではないだろうか。
私たちが歴史書を読むことで、または学校で歴史教育を受けるなかで慣れ親しんできた言説は、基本的に「非対称性」の言説である。
たとえば、歴史記述は歴史的出来事のほんの一部を語るにすぎないし、歴史に登場する人々は、実際にその歴史を生きた人々のごく一部である。歴史記述と歴史的出来事の間には、そして、登場人物と体験者の間には圧倒的な不均衡がある。
このように、私たちが知りうる歴史は「不均衡」によって成立している。それにもかかわらず私たちが歴史記述にたいして大きな違和感を覚えないのは、歴史そのものが根本的に「非対称性」であるという前提に立っているからであろう。歴史を動かすのは少数者であり、歴史に登場できるのは私たちのほんの一部の人々である。また、おびただしい過去の出来事のなかで、歴史として知る価値があるのはごく一部である。
この「非対称性」は歴史の権力性である。B しかし同時に、私たちの願望の現れでもある。一人のささやかな市民として、私は自分が歴史に登場しないことを知っている。平穏な生活が続き、自分が歴史に登場しないことも願っている。歴史的出来事に(イ)ホンロウされないこと、その当事者でないことを願うのである。
だから、私が歴史に関心を抱くのは、自分がなんらかその一部であるにしても、歴史の当事者ではないからである。「自分の不在」は、私たちを歴史から救済してくれる。
そのような関心を、「ゆるい関心」とでも名づけておこう。自分がその一部であり、したがって、まったく無関係ではないが、他方で、当事者そのものでもないような事柄にたいする関心のことである。「ゆるい関心」は知的タイ(ウ)ダではない。急速な環境破壊や制度崩壊のなかで、それでも私たちが生きていけるのは、主として「ゆるい関心」で処理しているからである。私たちが歴史に興味をもち、歴史書を読もうとするのにも、このような「ゆるい関心」が背後にある。
「ゆるい関心」は、みずから歴史をつくり、歴史を変えたいという欲望ではない。むしろ、「歴史的背景」について知りたいと思い、歴史を理解したいという関心であって、その基本は知的関心である。歴史家は、私たち素人になりかわって、このような知的関心をテッ(エ)テイ的に追究し、歴史を接近可能にし、あるいは理解可能にしてくれる。
私たちは、暗黙のうちに、歴史について語るときは歴史家の研究や仕事を参照しなければならないという約束に従う。今日の歴史研究が個別専門化してしまい、史料調査や史料評価の専門的能力を必要とするからだけではない。私たちの歴史への関心が「ゆるい関心」であって、実践的・政治的な関心ではないからである。自分たちが「歴史の当事者」であるとは思わないし、そうありたいとも思わないから、歴史にたいしては「間接的な関わり方」が基本であると考えるからである。
ヘーゲル(注3)以降のドイツ歴史哲学もまた、基本的に歴史にたいする「ゆるい関心」からの思想であった。この歴史哲学は、H・シュネーデルバッハ(注4)のことばを借りれば、歴史哲学にたいする「深い懐疑」に貫かれている。「哲学的な仕方で歴史に関わることが、そもそも可能なのかどうか」という懐疑である。
したがって、ヘーゲル以降の歴史哲学は、学問的認識としての「歴史認識の可能性と方法」について思索した。この思索の結実が、ドロイゼン(注5)を出発点として、ディルタイ(注6)やジンメル(注7)といった哲学者たちが展開した「歴史の解釈学」である。
たとえば、近代史学の方法論を書いたドロイゼンは、くどいほどに史料研究の重要さを説いているが、その背景にはC 「健全な歴史家意識」ともいうべき姿勢があった。つまり、「記述をする者は、シーザー(注8)やフリードリヒ大王(注9)のように、特に高いところにいて出来事の中心から見たり聞いたりしたわけではない」という意識である。
歴史家とは歴史を理解しようとする人々であって、みずからが歴史に登場するわけではない。ドロイゼンは、「歴史とはなにか」について次のような定義を行っている。
歴史ということばでわれわれが考えているのは、時間の経過のなかで起きたことの総体であるが、なんらかのかたちでわれわれの知識がそれに及ぶ限りでのことである。
この定義に従えば、歴史とは、現時点の「知の地平」によって再構成可能な限りでの過去の出来事のことである。歴史については、現在の視点においてしか、ただ断片的にしか知りえない。
歴史について知る人は、歴史の外に立っている人である。過去の出来事を歴史として理解できるのは、当事者たちではなく、観察者たちなのである。歴史家たちの言う「歴史認識の客観性」は、「体験されなかったし、もはや体験もされない」という外の視点から行われる再構成の客観性である。歴史家たちの態度とは、すでに書かれてしまった外国語のテキストを読むような態度なのかもしれない。どちらも、著者や原テキスト(注10)や歴史的出来事からの「解釈学的距離」によって成立している。
私たちは歴史の一部でもあるが、歴史の一部でしかない。私たちは、自分がその一部であるようなものを、そしてその一部でしかないようなものについてどう(オ)関わるべきなのだろうか。「歴史との正しい関わり方」とはどのようなものか。
私たちはときに、自分が歴史にたいして「ゆるい関心」しかもたないことに、あるいは、「ゆるい関心」しかもってはいけないことにたいして、激しい焦燥や憤りの気持ちを抱くことがある。「歴史の捏造(ねつぞう)」が感じられるときである。そのようなとき、激しい怒りが私たちを襲う。
そうした怒りのなかで、私たちは「ゆるい関心」が「歴史との正しい関わり方」でないことを感じる。私たちがまさに歴史の一部でもあるからである。むしろ「自分の体験」が歴史を正しく理解するための基礎となり、歴史的出来事について客観的に議論するための基盤であってほしいと切望する。D 私たちは歴史に内在しようとするのだ。おそらくそのようなとき、人は「歴史の証言「者」として名乗り出るのであろう。
(北川東子(きたがわさきこ)「歴史の必然性について ―― 私たちは歴史の一部である」による)
(注1)キャロル・グラック ―― アメリカの歴史学者(1941 ― )。
(注2)E・ホブズボーム ―― イギリスの歴史学者(1917 ― 2012)。
(注3)ヘーゲル ―― ドイツの哲学者(1770 ― 1831)。
(注4)H・シュネーデルバッハ ―― ドイツの哲学者(1936 ― )。
(注5)ドロイゼン ―― ドイツの歴史学者(1808 ― 1884)。
(注6)ディルタイ ―― ドイツの哲学者(1833 ― 1911)。
(注7)ジンメル ―― ドイツの哲学者(1858 ― 1918)。
(注8)シーザー ―― 古代ローマの将軍・政治家(前100頃 ― 前44)。各地の内乱を平定し、独裁官となった。
(注9)フリードリヒ大王 ―― プロイセン国王フリードリヒ二世(1712 ― 1786)。プロイセンをヨーロッパの強国にした。
(注10)原テキスト ――歴史記述のもとになる文献のこと。
下線部アと同じ意味を持つものを、次のうちから一つ選べ。
(ア) 挙げて
- 挙シキ
- カイ挙
- レッ挙
- 挙ドウ
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この過去問の解説 (3件)
01
「挙」には「あげる」「おこなう」という意味があることを踏まえ、「挙げる(あげる)」と同じ意味をもつものについて解答しましょう。
挙式
「結婚式をおこなう」ことであり、不適です。
快挙
「立派なおこない」のことであり、不適です。
列挙
「一つ一つ例などをあげる」こと→正解です。
挙動
「立ち居振舞い」のことで、「おこない」の部類に入るため、不適です。
日頃から身近な語彙について、同じ漢字を使っていても、同じ意味で使われているのかどうか、関心をもつようにしましょう!
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02
本文中では、
歴史家の意見の1つを示すという意味で「挙げて」が使われていると考えられます。
そのことを踏まえて各選択肢を検討していきます。
漢字にすると「挙式」となります。
「式」を「挙」げるという意味の二字熟語です。
この場合「挙」は式を「行う」という意味であるため誤りです。
漢字にすると「快挙」となります。
素晴らしい行いを表す二字熟語です。
「行い」を意味する「挙」を「快」で修飾しています。
よって誤りです。
漢字にすると「列挙」となります。
「列」は並べるという意味であると考えられます。
そのため並べ挙げるという意味の二字熟語です。
この場合、
「挙」は「示す」という意味を持つと考えられるため適切です。
漢字にすると「挙動」となります。
ふるまいや動作を表す二字熟語です。
似た意味の漢字を並べてできた二字熟語であり、
どちらも「動き」に関する意味を持ちます。
よって誤りです。
同じ漢字でも文脈や熟語によって意味が変わります。
熟語の意味からそれぞれの漢字の意味を予測することができます。
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03
「挙」という漢字には「何かを持ち上げる」の他、「何かを行う」や「何かを(たくさん)示す」、「取り立てる」「捕らえる」などの意味があります。
今回の問題では「挙げて」という言葉で使っていて、これは何かを示す、という意味で用いていると考えられます。
よって、適切な答えは「レッ挙」(列挙)となります。
式を「執り行う」の意味で「挙」という漢字を使っています。よって不適です。
カイ挙=快挙は何かを良い成果を出す・達成するの意味ですから、「行う」などの意味と考えられます。よって不適です。
挙ドウ=挙動は「ふるまい」の意味で挙の字を使っています。よって不適です。
二字熟語をいくつか思い浮かべると、同じ漢字の中にも異なる意味で使っているものがあることに気づくはずです。
漢字の勉強の際には、例文として書いてある単語以外に、同じ漢字を使った別の言葉は無いか探してみるなどして、語彙を鍛えてみましょう。
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