大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問6 (第1問(評論) 問6)
問題文
歴史家のキャロル・グラック(注1)は、人々が歴史について知りたいと思う理由として、「私たちがいつかは死ぬ運命にある」ことと、それにもかかわらず「物事の成り行きを知っておきたいという欲望」とを挙げている。歴史学的な関心の出発点となっているのは、まさに「自分の不在」の意識である。
あるいは、私たちがどのようにして歴史を意識するようになるかについて、歴史家のE・ホブズボーム(注2)は、「自分より年上の人びとと共に生きる」ことを(ア)挙げている。自分がいなかった時間を生きた人々の存在を意識することで、「個人の記憶に直接に残されている出来事より前の時期」としての歴史を意識するようになると。
こうした歴史家たちの態度は、「私たちが歴史の一部でしかない」からこそ、歴史を把握できる、あるいは把握しておきたいという態度である。この場合の「歴史の一部でしかない」とは、「自分はそこにいない」ということである。歴史家たちの意識は「自分の不在」という意識と結びついている。
あるいは、A 「自分の不在」を前提とするような歴史理解が歴史学の言説を成立させ、歴史を理解可能にしているのではないだろうか。
私たちが歴史書を読むことで、または学校で歴史教育を受けるなかで慣れ親しんできた言説は、基本的に「非対称性」の言説である。
たとえば、歴史記述は歴史的出来事のほんの一部を語るにすぎないし、歴史に登場する人々は、実際にその歴史を生きた人々のごく一部である。歴史記述と歴史的出来事の間には、そして、登場人物と体験者の間には圧倒的な不均衡がある。
このように、私たちが知りうる歴史は「不均衡」によって成立している。それにもかかわらず私たちが歴史記述にたいして大きな違和感を覚えないのは、歴史そのものが根本的に「非対称性」であるという前提に立っているからであろう。歴史を動かすのは少数者であり、歴史に登場できるのは私たちのほんの一部の人々である。また、おびただしい過去の出来事のなかで、歴史として知る価値があるのはごく一部である。
この「非対称性」は歴史の権力性である。B しかし同時に、私たちの願望の現れでもある。一人のささやかな市民として、私は自分が歴史に登場しないことを知っている。平穏な生活が続き、自分が歴史に登場しないことも願っている。歴史的出来事に(イ)ホンロウされないこと、その当事者でないことを願うのである。
だから、私が歴史に関心を抱くのは、自分がなんらかその一部であるにしても、歴史の当事者ではないからである。「自分の不在」は、私たちを歴史から救済してくれる。
そのような関心を、「ゆるい関心」とでも名づけておこう。自分がその一部であり、したがって、まったく無関係ではないが、他方で、当事者そのものでもないような事柄にたいする関心のことである。「ゆるい関心」は知的タイ(ウ)ダではない。急速な環境破壊や制度崩壊のなかで、それでも私たちが生きていけるのは、主として「ゆるい関心」で処理しているからである。私たちが歴史に興味をもち、歴史書を読もうとするのにも、このような「ゆるい関心」が背後にある。
「ゆるい関心」は、みずから歴史をつくり、歴史を変えたいという欲望ではない。むしろ、「歴史的背景」について知りたいと思い、歴史を理解したいという関心であって、その基本は知的関心である。歴史家は、私たち素人になりかわって、このような知的関心をテッ(エ)テイ的に追究し、歴史を接近可能にし、あるいは理解可能にしてくれる。
私たちは、暗黙のうちに、歴史について語るときは歴史家の研究や仕事を参照しなければならないという約束に従う。今日の歴史研究が個別専門化してしまい、史料調査や史料評価の専門的能力を必要とするからだけではない。私たちの歴史への関心が「ゆるい関心」であって、実践的・政治的な関心ではないからである。自分たちが「歴史の当事者」であるとは思わないし、そうありたいとも思わないから、歴史にたいしては「間接的な関わり方」が基本であると考えるからである。
ヘーゲル(注3)以降のドイツ歴史哲学もまた、基本的に歴史にたいする「ゆるい関心」からの思想であった。この歴史哲学は、H・シュネーデルバッハ(注4)のことばを借りれば、歴史哲学にたいする「深い懐疑」に貫かれている。「哲学的な仕方で歴史に関わることが、そもそも可能なのかどうか」という懐疑である。
したがって、ヘーゲル以降の歴史哲学は、学問的認識としての「歴史認識の可能性と方法」について思索した。この思索の結実が、ドロイゼン(注5)を出発点として、ディルタイ(注6)やジンメル(注7)といった哲学者たちが展開した「歴史の解釈学」である。
たとえば、近代史学の方法論を書いたドロイゼンは、くどいほどに史料研究の重要さを説いているが、その背景にはC 「健全な歴史家意識」ともいうべき姿勢があった。つまり、「記述をする者は、シーザー(注8)やフリードリヒ大王(注9)のように、特に高いところにいて出来事の中心から見たり聞いたりしたわけではない」という意識である。
歴史家とは歴史を理解しようとする人々であって、みずからが歴史に登場するわけではない。ドロイゼンは、「歴史とはなにか」について次のような定義を行っている。
歴史ということばでわれわれが考えているのは、時間の経過のなかで起きたことの総体であるが、なんらかのかたちでわれわれの知識がそれに及ぶ限りでのことである。
この定義に従えば、歴史とは、現時点の「知の地平」によって再構成可能な限りでの過去の出来事のことである。歴史については、現在の視点においてしか、ただ断片的にしか知りえない。
歴史について知る人は、歴史の外に立っている人である。過去の出来事を歴史として理解できるのは、当事者たちではなく、観察者たちなのである。歴史家たちの言う「歴史認識の客観性」は、「体験されなかったし、もはや体験もされない」という外の視点から行われる再構成の客観性である。歴史家たちの態度とは、すでに書かれてしまった外国語のテキストを読むような態度なのかもしれない。どちらも、著者や原テキスト(注10)や歴史的出来事からの「解釈学的距離」によって成立している。
私たちは歴史の一部でもあるが、歴史の一部でしかない。私たちは、自分がその一部であるようなものを、そしてその一部でしかないようなものについてどう(オ)関わるべきなのだろうか。「歴史との正しい関わり方」とはどのようなものか。
私たちはときに、自分が歴史にたいして「ゆるい関心」しかもたないことに、あるいは、「ゆるい関心」しかもってはいけないことにたいして、激しい焦燥や憤りの気持ちを抱くことがある。「歴史の捏造(ねつぞう)」が感じられるときである。そのようなとき、激しい怒りが私たちを襲う。
そうした怒りのなかで、私たちは「ゆるい関心」が「歴史との正しい関わり方」でないことを感じる。私たちがまさに歴史の一部でもあるからである。むしろ「自分の体験」が歴史を正しく理解するための基礎となり、歴史的出来事について客観的に議論するための基盤であってほしいと切望する。D 私たちは歴史に内在しようとするのだ。おそらくそのようなとき、人は「歴史の証言「者」として名乗り出るのであろう。
(北川東子(きたがわさきこ)「歴史の必然性について ―― 私たちは歴史の一部である」による)
(注1)キャロル・グラック ―― アメリカの歴史学者(1941 ― )。
(注2)E・ホブズボーム ―― イギリスの歴史学者(1917 ― 2012)。
(注3)ヘーゲル ―― ドイツの哲学者(1770 ― 1831)。
(注4)H・シュネーデルバッハ ―― ドイツの哲学者(1936 ― )。
(注5)ドロイゼン ―― ドイツの歴史学者(1808 ― 1884)。
(注6)ディルタイ ―― ドイツの哲学者(1833 ― 1911)。
(注7)ジンメル ―― ドイツの哲学者(1858 ― 1918)。
(注8)シーザー ―― 古代ローマの将軍・政治家(前100頃 ― 前44)。各地の内乱を平定し、独裁官となった。
(注9)フリードリヒ大王 ―― プロイセン国王フリードリヒ二世(1712 ― 1786)。プロイセンをヨーロッパの強国にした。
(注10)原テキスト歴史記述のもとになる文献のこと。
下線部A「『自分の不在』を前提とするような歴史理解」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問6(第1問(評論) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)
歴史家のキャロル・グラック(注1)は、人々が歴史について知りたいと思う理由として、「私たちがいつかは死ぬ運命にある」ことと、それにもかかわらず「物事の成り行きを知っておきたいという欲望」とを挙げている。歴史学的な関心の出発点となっているのは、まさに「自分の不在」の意識である。
あるいは、私たちがどのようにして歴史を意識するようになるかについて、歴史家のE・ホブズボーム(注2)は、「自分より年上の人びとと共に生きる」ことを(ア)挙げている。自分がいなかった時間を生きた人々の存在を意識することで、「個人の記憶に直接に残されている出来事より前の時期」としての歴史を意識するようになると。
こうした歴史家たちの態度は、「私たちが歴史の一部でしかない」からこそ、歴史を把握できる、あるいは把握しておきたいという態度である。この場合の「歴史の一部でしかない」とは、「自分はそこにいない」ということである。歴史家たちの意識は「自分の不在」という意識と結びついている。
あるいは、A 「自分の不在」を前提とするような歴史理解が歴史学の言説を成立させ、歴史を理解可能にしているのではないだろうか。
私たちが歴史書を読むことで、または学校で歴史教育を受けるなかで慣れ親しんできた言説は、基本的に「非対称性」の言説である。
たとえば、歴史記述は歴史的出来事のほんの一部を語るにすぎないし、歴史に登場する人々は、実際にその歴史を生きた人々のごく一部である。歴史記述と歴史的出来事の間には、そして、登場人物と体験者の間には圧倒的な不均衡がある。
このように、私たちが知りうる歴史は「不均衡」によって成立している。それにもかかわらず私たちが歴史記述にたいして大きな違和感を覚えないのは、歴史そのものが根本的に「非対称性」であるという前提に立っているからであろう。歴史を動かすのは少数者であり、歴史に登場できるのは私たちのほんの一部の人々である。また、おびただしい過去の出来事のなかで、歴史として知る価値があるのはごく一部である。
この「非対称性」は歴史の権力性である。B しかし同時に、私たちの願望の現れでもある。一人のささやかな市民として、私は自分が歴史に登場しないことを知っている。平穏な生活が続き、自分が歴史に登場しないことも願っている。歴史的出来事に(イ)ホンロウされないこと、その当事者でないことを願うのである。
だから、私が歴史に関心を抱くのは、自分がなんらかその一部であるにしても、歴史の当事者ではないからである。「自分の不在」は、私たちを歴史から救済してくれる。
そのような関心を、「ゆるい関心」とでも名づけておこう。自分がその一部であり、したがって、まったく無関係ではないが、他方で、当事者そのものでもないような事柄にたいする関心のことである。「ゆるい関心」は知的タイ(ウ)ダではない。急速な環境破壊や制度崩壊のなかで、それでも私たちが生きていけるのは、主として「ゆるい関心」で処理しているからである。私たちが歴史に興味をもち、歴史書を読もうとするのにも、このような「ゆるい関心」が背後にある。
「ゆるい関心」は、みずから歴史をつくり、歴史を変えたいという欲望ではない。むしろ、「歴史的背景」について知りたいと思い、歴史を理解したいという関心であって、その基本は知的関心である。歴史家は、私たち素人になりかわって、このような知的関心をテッ(エ)テイ的に追究し、歴史を接近可能にし、あるいは理解可能にしてくれる。
私たちは、暗黙のうちに、歴史について語るときは歴史家の研究や仕事を参照しなければならないという約束に従う。今日の歴史研究が個別専門化してしまい、史料調査や史料評価の専門的能力を必要とするからだけではない。私たちの歴史への関心が「ゆるい関心」であって、実践的・政治的な関心ではないからである。自分たちが「歴史の当事者」であるとは思わないし、そうありたいとも思わないから、歴史にたいしては「間接的な関わり方」が基本であると考えるからである。
ヘーゲル(注3)以降のドイツ歴史哲学もまた、基本的に歴史にたいする「ゆるい関心」からの思想であった。この歴史哲学は、H・シュネーデルバッハ(注4)のことばを借りれば、歴史哲学にたいする「深い懐疑」に貫かれている。「哲学的な仕方で歴史に関わることが、そもそも可能なのかどうか」という懐疑である。
したがって、ヘーゲル以降の歴史哲学は、学問的認識としての「歴史認識の可能性と方法」について思索した。この思索の結実が、ドロイゼン(注5)を出発点として、ディルタイ(注6)やジンメル(注7)といった哲学者たちが展開した「歴史の解釈学」である。
たとえば、近代史学の方法論を書いたドロイゼンは、くどいほどに史料研究の重要さを説いているが、その背景にはC 「健全な歴史家意識」ともいうべき姿勢があった。つまり、「記述をする者は、シーザー(注8)やフリードリヒ大王(注9)のように、特に高いところにいて出来事の中心から見たり聞いたりしたわけではない」という意識である。
歴史家とは歴史を理解しようとする人々であって、みずからが歴史に登場するわけではない。ドロイゼンは、「歴史とはなにか」について次のような定義を行っている。
歴史ということばでわれわれが考えているのは、時間の経過のなかで起きたことの総体であるが、なんらかのかたちでわれわれの知識がそれに及ぶ限りでのことである。
この定義に従えば、歴史とは、現時点の「知の地平」によって再構成可能な限りでの過去の出来事のことである。歴史については、現在の視点においてしか、ただ断片的にしか知りえない。
歴史について知る人は、歴史の外に立っている人である。過去の出来事を歴史として理解できるのは、当事者たちではなく、観察者たちなのである。歴史家たちの言う「歴史認識の客観性」は、「体験されなかったし、もはや体験もされない」という外の視点から行われる再構成の客観性である。歴史家たちの態度とは、すでに書かれてしまった外国語のテキストを読むような態度なのかもしれない。どちらも、著者や原テキスト(注10)や歴史的出来事からの「解釈学的距離」によって成立している。
私たちは歴史の一部でもあるが、歴史の一部でしかない。私たちは、自分がその一部であるようなものを、そしてその一部でしかないようなものについてどう(オ)関わるべきなのだろうか。「歴史との正しい関わり方」とはどのようなものか。
私たちはときに、自分が歴史にたいして「ゆるい関心」しかもたないことに、あるいは、「ゆるい関心」しかもってはいけないことにたいして、激しい焦燥や憤りの気持ちを抱くことがある。「歴史の捏造(ねつぞう)」が感じられるときである。そのようなとき、激しい怒りが私たちを襲う。
そうした怒りのなかで、私たちは「ゆるい関心」が「歴史との正しい関わり方」でないことを感じる。私たちがまさに歴史の一部でもあるからである。むしろ「自分の体験」が歴史を正しく理解するための基礎となり、歴史的出来事について客観的に議論するための基盤であってほしいと切望する。D 私たちは歴史に内在しようとするのだ。おそらくそのようなとき、人は「歴史の証言「者」として名乗り出るのであろう。
(北川東子(きたがわさきこ)「歴史の必然性について ―― 私たちは歴史の一部である」による)
(注1)キャロル・グラック ―― アメリカの歴史学者(1941 ― )。
(注2)E・ホブズボーム ―― イギリスの歴史学者(1917 ― 2012)。
(注3)ヘーゲル ―― ドイツの哲学者(1770 ― 1831)。
(注4)H・シュネーデルバッハ ―― ドイツの哲学者(1936 ― )。
(注5)ドロイゼン ―― ドイツの歴史学者(1808 ― 1884)。
(注6)ディルタイ ―― ドイツの哲学者(1833 ― 1911)。
(注7)ジンメル ―― ドイツの哲学者(1858 ― 1918)。
(注8)シーザー ―― 古代ローマの将軍・政治家(前100頃 ― 前44)。各地の内乱を平定し、独裁官となった。
(注9)フリードリヒ大王 ―― プロイセン国王フリードリヒ二世(1712 ― 1786)。プロイセンをヨーロッパの強国にした。
(注10)原テキスト歴史記述のもとになる文献のこと。
下線部A「『自分の不在』を前提とするような歴史理解」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- 自分は歴史の一部でしかないという意識を前提として、当事者の立場で体験した出来事だけを歴史と考えること。
- 自分の生命は有限であるという意識を前提として、自分が生きた時代の出来事を歴史上に位置づけて把握すること。
- 自分には関与できない出来事があるという意識を前提として、歴史を動かした少数者だけを当事者と見なすこと。
- 自分の生まれる前の出来事は体験できないという意識を前提として、自分より年上の人々の経験から学ぼうとすること。
- 自分は歴史の当事者ではないという意識を前提として、個人の記憶を超えた歴史的出来事を捉えようとすること。
正解!素晴らしいです
残念...
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