大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問20 (第2問(小説) 問8)
問題文
イチナが幼い頃のおばの印象は、「ままごと遊びになぜか本気で付き合ってくれるおねえさん」だった。幼稚園や小学校から祖父母の家に直行するときのイチナの目当ては、おばと定まっていた。学者だった祖父の書斎のソファで昼寝をして、おばが中学校から帰ってくるのを待った。やがて路地の角を曲がってざくざくと砂利を踏む足音で目がさめ、跳ね起きて玄関へ急ぐ。
「イチナ、少しはあの子にも羽を伸ばさせてあげなさい」
背後から祖父が神経質な口調でたしなめ、おばは靴を脱がないままかばんだけどすんと置いて、「いいよ。休みに行くようなもんだから」と書斎の方角に言い放つ。イチナはおばにまとわりつくようにして一緒に家を出る。
杉の木立に囲まれた児童公園が遊び場だった。おばは一度も足をとめずすたすたと砂場へ向かう。滑り台や鉄棒で遊んでいた、年齢にばらつきのある七、八人が我先にと集ってくる。
ままごとといっても、ありふれた家庭を模したものであったためしはない。専業主婦の正体が窃盗団のカシラだとか、全面闘争よりも華やかな記憶とともに滅びていく方を選ぶ王家の一族だとか、(ア)うらぶれた男やもめ(注1)と彼を陰に陽に支えるおせっかいな商店街の面々だとか、凝っている。「我が領土ではもはや革命分子らが徒党を組んでおるのだ」「後添え(注2)をもらうんなら早いに越したこたあないぜ」等々、子どもには耳慣れないせりふが多い。おばは一人で何役もこなす。彼女からは簡単な説明があるだけなので、子どもたちは的外れなせりふを連発するが、A おばがいる限り世界は崩れなかった。
家にいるときには決してしない足の組み方。「三行半(みくだりはん)」(注3)という言葉を口にするときだけ異様に淡くなるまなざし。寂しげな舌打ち。ここと、ここにあるはずのない場所とががらりと入れ替わっていく一つの大きな動きに、子どもたちは皆、巻き込まれたがった。全力を尽くして立ちこぎするブランコよりも、たしかに危険な匂いがした。
夕暮れの公園を斜めに突っ切っていく通行人も多い。おばの同級生が苦笑まじりに声を掛けてくる。会社帰りらしい年配の男性が立ちどまってしげしげと見ていくこともある。制服姿のおばは全然かまわずに続ける。さまざまな遊具の影は誰かが引っ張っているかのように伸びつづけて、砂の上を黒く塗っていく。
公園の砂場で三文(注4)役者を務めた幼馴染(おさななじみ)たちの一人と、イチナは今も親交がある。
映画を見に行く日取りを決めるため、その年上の友人と電話していた夕方のことだ。話の切れ目にイチナは、「なんと今あのおばが居候(注5)中でね」と言った。電話口の向こうに、すばやい沈黙があった。階下の台所からは天ぷらを揚げる母親の声と手伝っているおばの声が、一箇所に重なったり離れたりして聞こえていた。二人の声質はそっくりで、わずかに小さいおばの声は、母の声の影のようだった。一拍おいて友人は「フーライボー(注6)とか、なまで見んのはじめてかも」とちぐはぐなことを言った。
「なまで見てた頃は定住してたしね。懐かしくない?電話代わろうか」
「おばさんと話すのは億劫(おっくう)?」とイチナは訊(き)いた。
「いや、これ言っていいのかな。おばさんさ、私の家にもちょっと住んでたんだよね。去年の春。いきなりだった。寝袋かついで玄関に立ってる人が誰なのか、最初ぴんと来なかったもん。あ、別にいいんだよ、じゅうぶんな生活費入れてくれてたし。私もほら、一人暮らしも二年目で飽きてたし」
空いている方の手で絨毯(じゅうたん)の上の糸屑(いとくず)を拾っていたイチナの動きがとまる。言ってしまうと友人は、B もう気安い声を出した。
「私まで『おばさん』呼ばわりは悪いと思いつつ。イチナのがうつっちゃって」
「昔、それとなく『おねえさん』にすり替えようとする度おじいちゃんから威嚇されてね」
イチナは狼狽(ろうばい)を引きずったまま再び手を動かし始める。彼女の祖父は言葉の正式な使用を好む。続柄の呼称についての勝手な改変は、たとえ幼い孫相手であっても許さなかった。
台所ではおばが、水で戻すわかめの引きあげが早い、と母から厳しく指摘されている。
「しかしあのおばさんてのは、全っ然、ぼろ出さないね」
友人は思い出したように言った。イチナはすかさず反論した。
「けっこうずぼらだしそそっかしいけど」
「失敗しないって意味じゃなくて、失敗してもぜったい言い訳しないとか。痛いときは存分に痛がるとか、年上だからって虚勢張らないとか。自然体の人ってのはいるけど、おばさんの場合いっそ自然の側みたいに思える時ない?他人なのに不透明感なさすぎて。朝顔の観察日記みたいに記録をつけられそうっていうか。共同生活、悪くなかったよ。なぜかはっきり思い出せないけど」
イチナは今度は、絨毯の上の糸屑を拾う手をとめない。上手(うま)くとめられなかったのだ。電話を切ると、「終わったなら早く手伝いに来なさい」という母親からの伝言を携えておばが上がってくる。肩までの髪をざっと束ね、腕まくりした格好のおばに、イチナは先の通話相手の名を挙げる。
「もう泊めてくれるような知り合いが底をついたからってさ、私の友達のとこにまで勝手に押しかけるのやめてよ。おばさんとあの子って、ほぼ見ず知らずの人ってくらいの関係じゃん、今となっては」
「けど完全に見ず知らずの人の家ってわりと暮らしにくいものだよ」
「嘘(うそ)でしょ試したの?ていうか、そもそもなんでまた居候?」
「たしかにする理由はない。でもしない理由もなくない?」
「迷惑がかかる。セキュリティの問題。不躾(ぶしつけ)で厚かましい。しない方の理由はひっきりなしに湧いてくるんだけど?」
「それはその人が決めることでしょう。その人のことを私が予(あらかじ)め決めるわけにはいかないでしょう」
「(イ)もっともらしい顔で言わないでよ」
イチナが物の単位を誤ったりすると、すかさず正して復唱させる祖父に、おばは目鼻立ちが似ている。しかし厳格な祖父ですら、本当のことを受け入れれば自分自身を損なうような場面では(ウ)やにわに弁解し、自分の領域を護(まも)ろうとするときがあった。友人の言うとおりなのかもしれない、とイチナは考える。普通、人にはもっと、内面の輪郭が露(あら)わになる瞬間がある。肉体とは別に、その人がそこから先へ出ることのない領域の、縁。当人には自覚しきれなくても他人の眼(め)にはふしぎとなまなましく映る。たしかにおばには、どこからどこまでがおばなのかよくわからない様子があった。氷山の一角みたいに。
居候という根本的な問題に対して母が得意の批評眼を保てなくなったのは、おば自身の工夫による成果ではない、とイチナはふむ。母だけではない、おばを住まわせた人たちは皆その、果てのなさに途中で追いつけなくなってしまうのだ。だから居候が去った後、彼らはおばとの暮らしをはっきりと思い出せない。思い出したいなら観察日記でもつけるしかない。C 私はごまかされたくない、とイチナは思う。
「そうかイチナ、する方の理由これでいい?」階段を下りかけていたおばの、言葉だけが部屋に戻ってくる。「私の肉体は家だから。だから、これより外側にもう一重の、自分の家をほしいと思えない」
演じるごとに役柄に自分をあけ払うから。そういう意味だとイチナが理解したときには、おばはもう台所にいる。イチナは何してるのよ、という母親の声と、のんきそうにしてる、というおばの声が、空をよぎる鳥と路上を伝う鳥影のような一対の質感で耳に届く。
(注1)男やもめ ―― 妻を失った男。
(注2)後添え ―― 二度目の配偶者。
(注3)三行半 ―― 夫から妻に出す離縁状。
(注4)三文 ―― 価値の低いこと。
(注5)居候 ―― 他人の家に身を寄せ、養ってもらっていること。
(注6)フーライボー ―― 風来坊。居どころを気まぐれに変えながら生きている人。
本文の表現に関する説明として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問20(第2問(小説) 問8) (訂正依頼・報告はこちら)
イチナが幼い頃のおばの印象は、「ままごと遊びになぜか本気で付き合ってくれるおねえさん」だった。幼稚園や小学校から祖父母の家に直行するときのイチナの目当ては、おばと定まっていた。学者だった祖父の書斎のソファで昼寝をして、おばが中学校から帰ってくるのを待った。やがて路地の角を曲がってざくざくと砂利を踏む足音で目がさめ、跳ね起きて玄関へ急ぐ。
「イチナ、少しはあの子にも羽を伸ばさせてあげなさい」
背後から祖父が神経質な口調でたしなめ、おばは靴を脱がないままかばんだけどすんと置いて、「いいよ。休みに行くようなもんだから」と書斎の方角に言い放つ。イチナはおばにまとわりつくようにして一緒に家を出る。
杉の木立に囲まれた児童公園が遊び場だった。おばは一度も足をとめずすたすたと砂場へ向かう。滑り台や鉄棒で遊んでいた、年齢にばらつきのある七、八人が我先にと集ってくる。
ままごとといっても、ありふれた家庭を模したものであったためしはない。専業主婦の正体が窃盗団のカシラだとか、全面闘争よりも華やかな記憶とともに滅びていく方を選ぶ王家の一族だとか、(ア)うらぶれた男やもめ(注1)と彼を陰に陽に支えるおせっかいな商店街の面々だとか、凝っている。「我が領土ではもはや革命分子らが徒党を組んでおるのだ」「後添え(注2)をもらうんなら早いに越したこたあないぜ」等々、子どもには耳慣れないせりふが多い。おばは一人で何役もこなす。彼女からは簡単な説明があるだけなので、子どもたちは的外れなせりふを連発するが、A おばがいる限り世界は崩れなかった。
家にいるときには決してしない足の組み方。「三行半(みくだりはん)」(注3)という言葉を口にするときだけ異様に淡くなるまなざし。寂しげな舌打ち。ここと、ここにあるはずのない場所とががらりと入れ替わっていく一つの大きな動きに、子どもたちは皆、巻き込まれたがった。全力を尽くして立ちこぎするブランコよりも、たしかに危険な匂いがした。
夕暮れの公園を斜めに突っ切っていく通行人も多い。おばの同級生が苦笑まじりに声を掛けてくる。会社帰りらしい年配の男性が立ちどまってしげしげと見ていくこともある。制服姿のおばは全然かまわずに続ける。さまざまな遊具の影は誰かが引っ張っているかのように伸びつづけて、砂の上を黒く塗っていく。
公園の砂場で三文(注4)役者を務めた幼馴染(おさななじみ)たちの一人と、イチナは今も親交がある。
映画を見に行く日取りを決めるため、その年上の友人と電話していた夕方のことだ。話の切れ目にイチナは、「なんと今あのおばが居候(注5)中でね」と言った。電話口の向こうに、すばやい沈黙があった。階下の台所からは天ぷらを揚げる母親の声と手伝っているおばの声が、一箇所に重なったり離れたりして聞こえていた。二人の声質はそっくりで、わずかに小さいおばの声は、母の声の影のようだった。一拍おいて友人は「フーライボー(注6)とか、なまで見んのはじめてかも」とちぐはぐなことを言った。
「なまで見てた頃は定住してたしね。懐かしくない?電話代わろうか」
「おばさんと話すのは億劫(おっくう)?」とイチナは訊(き)いた。
「いや、これ言っていいのかな。おばさんさ、私の家にもちょっと住んでたんだよね。去年の春。いきなりだった。寝袋かついで玄関に立ってる人が誰なのか、最初ぴんと来なかったもん。あ、別にいいんだよ、じゅうぶんな生活費入れてくれてたし。私もほら、一人暮らしも二年目で飽きてたし」
空いている方の手で絨毯(じゅうたん)の上の糸屑(いとくず)を拾っていたイチナの動きがとまる。言ってしまうと友人は、B もう気安い声を出した。
「私まで『おばさん』呼ばわりは悪いと思いつつ。イチナのがうつっちゃって」
「昔、それとなく『おねえさん』にすり替えようとする度おじいちゃんから威嚇されてね」
イチナは狼狽(ろうばい)を引きずったまま再び手を動かし始める。彼女の祖父は言葉の正式な使用を好む。続柄の呼称についての勝手な改変は、たとえ幼い孫相手であっても許さなかった。
台所ではおばが、水で戻すわかめの引きあげが早い、と母から厳しく指摘されている。
「しかしあのおばさんてのは、全っ然、ぼろ出さないね」
友人は思い出したように言った。イチナはすかさず反論した。
「けっこうずぼらだしそそっかしいけど」
「失敗しないって意味じゃなくて、失敗してもぜったい言い訳しないとか。痛いときは存分に痛がるとか、年上だからって虚勢張らないとか。自然体の人ってのはいるけど、おばさんの場合いっそ自然の側みたいに思える時ない?他人なのに不透明感なさすぎて。朝顔の観察日記みたいに記録をつけられそうっていうか。共同生活、悪くなかったよ。なぜかはっきり思い出せないけど」
イチナは今度は、絨毯の上の糸屑を拾う手をとめない。上手(うま)くとめられなかったのだ。電話を切ると、「終わったなら早く手伝いに来なさい」という母親からの伝言を携えておばが上がってくる。肩までの髪をざっと束ね、腕まくりした格好のおばに、イチナは先の通話相手の名を挙げる。
「もう泊めてくれるような知り合いが底をついたからってさ、私の友達のとこにまで勝手に押しかけるのやめてよ。おばさんとあの子って、ほぼ見ず知らずの人ってくらいの関係じゃん、今となっては」
「けど完全に見ず知らずの人の家ってわりと暮らしにくいものだよ」
「嘘(うそ)でしょ試したの?ていうか、そもそもなんでまた居候?」
「たしかにする理由はない。でもしない理由もなくない?」
「迷惑がかかる。セキュリティの問題。不躾(ぶしつけ)で厚かましい。しない方の理由はひっきりなしに湧いてくるんだけど?」
「それはその人が決めることでしょう。その人のことを私が予(あらかじ)め決めるわけにはいかないでしょう」
「(イ)もっともらしい顔で言わないでよ」
イチナが物の単位を誤ったりすると、すかさず正して復唱させる祖父に、おばは目鼻立ちが似ている。しかし厳格な祖父ですら、本当のことを受け入れれば自分自身を損なうような場面では(ウ)やにわに弁解し、自分の領域を護(まも)ろうとするときがあった。友人の言うとおりなのかもしれない、とイチナは考える。普通、人にはもっと、内面の輪郭が露(あら)わになる瞬間がある。肉体とは別に、その人がそこから先へ出ることのない領域の、縁。当人には自覚しきれなくても他人の眼(め)にはふしぎとなまなましく映る。たしかにおばには、どこからどこまでがおばなのかよくわからない様子があった。氷山の一角みたいに。
居候という根本的な問題に対して母が得意の批評眼を保てなくなったのは、おば自身の工夫による成果ではない、とイチナはふむ。母だけではない、おばを住まわせた人たちは皆その、果てのなさに途中で追いつけなくなってしまうのだ。だから居候が去った後、彼らはおばとの暮らしをはっきりと思い出せない。思い出したいなら観察日記でもつけるしかない。C 私はごまかされたくない、とイチナは思う。
「そうかイチナ、する方の理由これでいい?」階段を下りかけていたおばの、言葉だけが部屋に戻ってくる。「私の肉体は家だから。だから、これより外側にもう一重の、自分の家をほしいと思えない」
演じるごとに役柄に自分をあけ払うから。そういう意味だとイチナが理解したときには、おばはもう台所にいる。イチナは何してるのよ、という母親の声と、のんきそうにしてる、というおばの声が、空をよぎる鳥と路上を伝う鳥影のような一対の質感で耳に届く。
(注1)男やもめ ―― 妻を失った男。
(注2)後添え ―― 二度目の配偶者。
(注3)三行半 ―― 夫から妻に出す離縁状。
(注4)三文 ―― 価値の低いこと。
(注5)居候 ―― 他人の家に身を寄せ、養ってもらっていること。
(注6)フーライボー ―― 風来坊。居どころを気まぐれに変えながら生きている人。
本文の表現に関する説明として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
- 「ざくざくと砂利を踏む」、「どすんと置いて」、「すたすたと砂場へ向かう」は、擬音語・擬態語が用いられることで、おばの中学校時代の様子や行動が具体的にイメージできるように表現されている。
- 「さまざまな遊具の影は誰かが引っ張っているかのように伸びつづけて、砂の上を黒く塗っていく。」は、遊具の影の動きが比喩で表されることで、子どもたちの意識が徐々に変化していく様子が表現されている。
- イチナが電話で友人と話している場面では、友人の話すイチナの知らないおばの話と階下から聞こえてくる身近なおばの様子とが交互に示されることで、おばの異なる姿が並立的に表現されている。
- イチナとおばの会話場面では、情景描写が省かれそれぞれの発言だけで構成されることで、居候をめぐってイチナとおばの意見が対立しイチナが言い募っていく様子が臨場感をもって表現されている。
- 「たしかにおばには、どこからどこまでがおばなのかよくわからない様子があった。氷山の一角みたいに。」は、比喩と倒置が用いられることで、イチナから見たおばのうかがいしれなさが表現されている。
正解!素晴らしいです
残念...
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