大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問22 (第3問(古文) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(国語)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問22(第3問(古文) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、幸若舞(こうわかまい)(室町時代の芸能の一つ)『景清(かげきよ)』の一節である。平家の残党である景清は、征夷大将軍となった源頼朝の命を狙うも失敗し、身を隠した。そこで、頼朝は景清を見つけ出して捕らえるように命令する。以下は、その続きの場面である。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に①〜③の番号を付してある。

① 清水(きよみづ)坂(注1)の傍らに、阿古王(あこわう)と申す女、北野詣で(注2)をしけるが、京、白川(注3)の辻々(つじつじ)に立てたる札(ふだ)を読うでみるに、九年連れたる我が夫(つま)の悪七兵衛(あくしちびやうゑ)景清を討たむと書きて立ててあり。阿古王、あまりのもの憂さに、「この札を盗み取り、鴨川、桂川へもa 流さばやと思ひしが、中(ちゅう)にて心を引つ返し、「待てしばし、我が心。日本六十六箇国に、平家の知行とて、国の一所もあらばこそ。平家一味の者とては、夫の景清ばかりなり。包むとすると、このこと遂(つひ)には洩(も)れて討たれうず。景清討たれて、その後に不慮に思ひをせむよりも、九年連れたる情(なさけ)には、二人の若(わか)のあるなれば、このこと敵(かたき)に知らせつつ、景清を討ち取らせ、二人の若を世に立てて、後の栄華に誇らむ」と、思ひすました阿古王が心の内ぞ恐ろしき。
② この札懐中し、六波羅殿(ろくはらどの)(注4)へ参り、「札の表に任せて、参りて候(さぶら)ふ」と申し上ぐる。頼朝、なのめに思(おぼ)し召し、阿古王を召され、詳しく問はせ給(たま)へば、阿古王承り、「さん候ふ。景清が行方を人の知らぬも道理と思し召せ。この間は、尾張の熱田(注5)に候ひしが、平家の御代(みよ)の御時よりも、清水(注6)を信仰申し、月に一度はb 参り候ふ。明日は十八日。必ず自らが所へ来たるべし。本(もと)より大酒(たいしゅ)のことなれば、酒を勧むるものならば、前後も知らず伏すべし。その時、自らが参らうずるにて候ふぞ。大勢率(そつ)し押し寄せ、景清を討ち取らせ、自らに(ア)所知を賜(た)べ。なう、我が君」と申す。頼朝、c 聞こし召されて「嬉(うれ)しう候ふ、阿古王御前。たつて所知をば与ふべし。それそれ」と仰せければ、「承る」と申して、砂金(しゃきん)三十両、阿古王に下(くだ)し賜ぶ。阿古王、賜(たまは)り候ひて、清水坂に帰りつつ、その日の暮るるを待ちたるは、情けなうこそ聞こえけれ。
③ あら無残や、景清。これをば夢にも知らずして、「明日は十八日。清水へ参らばや」と思ひ、尾州熱田を打つ立つて、四日路の道なるを、その日の暮れほどに、清水坂の傍らなる我が宿所へ立ち寄つて、門ほとほとと訪(おとづ)るる。内よりも「誰(た)そ」と答ふる。「いや、苦しうも候はず。景清なり」とぞ答へける。阿古王、なのめに喜うで、急ぎ立ち出(い)で、門を開き、景清を内へぞ請(しゃう)じける。二人の若どもは、父をd 遥(はる)かに見慣れねば、父が辺りへ立ち寄って、睦(むつ)ましげなる風情なり。阿古王、涙を流す風情にて、「(イ)あらいたはしや、景清。平家の御代の御時は、悪七兵衛景清とて、公家にも武家にも憎まれず、一時の詣でにも、中間(ちゅうげん)、小者(注7)はなやかに、馬、鞍(くら)、小具足(注8)尋常に、さも(ウ)ゆゆしくおはせしが、いつしか平家に過ぎ後れ、精気玉桙(たまぼこ)(注9)窶(やつ)れ果て、御供も無うて、景清は、さこそ苦しくおはすらむ」。構へ置きたることなれば、種々の肴(さかな)を取り出だし、景清に酒をぞ強ひたりける。景清は見るよりも、いとほしき子どもは並(な)み居たり、酌(しゃく)に立つたるは女房なり、いづくに心か置かるべき。さし受けさし受け飲むほどに、さしもに剛(かう)なる景清も、敵のことをばはつたと忘れ、「嬉しう候ふ、阿古王御前。清水へは明日参らうずるにて候ふ。暇(いとま)申して、e さらば」とて、間(あひ)の障子をざらりと開け、簾中(れんちゅう)(注10)に移りて、籐(とう)の枕に並み寄りて、前後も知らず伏したるは、運の際(きは)とぞ聞こえける。

(注1)清水坂 ― 京都市東山区にある清水寺に至る坂。
(注2)北野詣で ― 京都市上京区にある北野天満宮への参詣。
(注3)白川 ― 京都の東の郊外。
(注4)六波羅殿 ― 「六波羅」は京都の南東の郊外。当時、源頼朝の邸宅があった。
(注5)尾張の熱田 ― 名古屋市熱田区にある熱田神宮。後出の「尾州熱田」も同じ。
(注6)清水 ― 清水寺。観音菩薩(ぼさつ)をまつっており、毎月十八日が祭礼の日であった。
(注7)中間、小者 ― 奉公人。
(注8)小具足 ― 武装品。
(注9)玉桙 ― ここでは道中の意味。
(注10)簾中 ― 寝所のこと。

下線部アの解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

(ア) 所知を賜べ

  • 金銀をお貸し下さい
  • 計略を授けて下さい
  • 借金を免除して下さい
  • 報酬をお与え下さい
  • 知らせを送って下さい

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この過去問の解説 (1件)

01

所知を賜(た)べ」の意味を正しくつかめるかどうかがポイントです。

 

所知……辞書的な意味は「領地」ですが、下線部アの後の文で頼朝が「たつて所知をば与ふべし」と言って砂金三十両を阿古王に与えていることから、この文においては褒美の金品のことを指していると判断できます。

賜べ……賜ぶ(=「与える」の尊敬語)の命令形。「お与えください」

 

したがって、「褒美をお与えください」という意味合いの選択肢が正解となります。

 

 

選択肢1. 金銀をお貸し下さい

「賜べ」の意味の取り方が合っていないため、誤りです。

選択肢2. 計略を授けて下さい

「所知」の意味の取り方が合っていない上、「賜べ」を尊敬語として訳していないため誤りです。

選択肢3. 借金を免除して下さい

「所知」も「賜べ」も意味の取り方が合っていないため誤りです。

選択肢4. 報酬をお与え下さい

「所知」の意味の取り方が文脈に即しており、かつ「賜べ」も尊敬語として正しく訳せているため、この選択肢が正解です。

選択肢5. 知らせを送って下さい

「所知」という漢字のイメージから「知らせ」と取り違えてしまった人もいるかもしれません。

意味が分からない単語は漢字だけから推測するのではなく、文章全体に目を通して文脈から見当をつけるようにしましょう。

また、「送ってください」では「賜べ」がもつ尊敬語の意味が反映されていないため、この点も誤りです。

まとめ

「所知」と「賜べ」の意味の取り方がポイントでした。

 

知らない単語に出会った際は漢字のイメージだけから意味を推測するのではなく、他にその単語が使われている箇所はないか、そしてどんな文脈で使われているかを参考にして見当をつけるようにしましょう。

 

また、選択肢を見極める際には敬語表現が正しく反映されているかも重要です。

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