大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問28 (世界史B(第4問) 問6)
問題文
あるクラスで、次の絵画を基に、先生と生徒たちが話し合っている。
先生:これは、ロシアの君主( ア )とその皇子とを題材にした絵画です。
高山:手前の男性の頭部から血が流れているように見えますが。
先生:( ア )が怒りに我を忘れて息子を撲殺してしまった後、正気に戻り、後悔している情景を表しているそうです。
阿部:怖い絵ですね。実際の出来事なんですか。
先生:そのようです。こうした事件もあったため、彼はロシアで初めて正式にツァーリ(皇帝)を称したものの、その功績についてはロシアでも評価が割れています。また、強烈な個性から「雷帝」とも呼ばれています。
小泉:同一人物へのそのような評価の違いは、他の地域でも見られるのですか。
先生:有名なのは、( イ )でしょう。明を建国した彼については、対照的な肖像画が複数残されています。教科書や資料集にも載っていますね。
小泉:確かに全く印象が違います。
先生:ここで改めて( ア )の話に戻ると、彼については、ソ連の映画監督エイゼンシュテインが長編映画を製作し、賞賛を受けました。そのエイゼンシュテインは1938年、13世紀にドイツ騎士団を撃退したアレクサンドル=ネフスキーをロシア史上の英雄として称える映画を完成させましたが、d この映画は1939年から41年までソ連で上映が禁止されることになりました。( ア )を扱った映画でも、その続編では( ア )の描き方の変化を理由に、エイゼンシュテインは時の指導者スターリンの逆鱗(げきりん)に触れました。そこには、ロシア史上の権力者に対する評価の違いが反映されていたのです。
下線部dの要因に関し、推測される仮説として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問28(世界史B(第4問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)
あるクラスで、次の絵画を基に、先生と生徒たちが話し合っている。
先生:これは、ロシアの君主( ア )とその皇子とを題材にした絵画です。
高山:手前の男性の頭部から血が流れているように見えますが。
先生:( ア )が怒りに我を忘れて息子を撲殺してしまった後、正気に戻り、後悔している情景を表しているそうです。
阿部:怖い絵ですね。実際の出来事なんですか。
先生:そのようです。こうした事件もあったため、彼はロシアで初めて正式にツァーリ(皇帝)を称したものの、その功績についてはロシアでも評価が割れています。また、強烈な個性から「雷帝」とも呼ばれています。
小泉:同一人物へのそのような評価の違いは、他の地域でも見られるのですか。
先生:有名なのは、( イ )でしょう。明を建国した彼については、対照的な肖像画が複数残されています。教科書や資料集にも載っていますね。
小泉:確かに全く印象が違います。
先生:ここで改めて( ア )の話に戻ると、彼については、ソ連の映画監督エイゼンシュテインが長編映画を製作し、賞賛を受けました。そのエイゼンシュテインは1938年、13世紀にドイツ騎士団を撃退したアレクサンドル=ネフスキーをロシア史上の英雄として称える映画を完成させましたが、d この映画は1939年から41年までソ連で上映が禁止されることになりました。( ア )を扱った映画でも、その続編では( ア )の描き方の変化を理由に、エイゼンシュテインは時の指導者スターリンの逆鱗(げきりん)に触れました。そこには、ロシア史上の権力者に対する評価の違いが反映されていたのです。
下線部dの要因に関し、推測される仮説として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

- 世界恐慌の影響で経済的打撃を受けたため、国民の生活を引き締めようとしたのだろう。
- 独ソ不可侵条約を締結したため、ドイツを刺激したくなかったのだろう。
- ドイツをコメコンに加盟させるため、関係悪化を避けようとしたのだろう。
- 十月革命後に反革命軍との内戦が続いていたため、映画を上映する余裕がなかったのだろう。
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この過去問の解説 (1件)
01
この問題は、ソ連における歴史評価や政治的判断が、芸術作品の上映にどう影響したかを考えるものです。
文中の下線部「この映画は1939年から41年までソ連で上映が禁止されることになりました」に関して、その理由として推測される背景を読み取ることが求められています。
エイゼンシュテインが1938年に完成させた映画『アレクサンドル=ネフスキー』は、13世紀にドイツ騎士団を撃退したロシアの英雄を描いた作品です。
ところが、その映画は1939年から1941年の間に上映が禁止されました。
この期間に注目すると、1939年に独ソ不可侵条約が結ばれており、ソ連とナチス・ドイツの関係が一時的に改善されていた時期です。
そのため、ドイツを敵視する内容の映画は都合が悪くなったと考えられます。
映画の上映禁止と直接の関係はありません。
この選択肢が最も適当です。
コメコン(経済相互援助会議)は第二次世界大戦後の1949年に設立されたため、時代が合いません。
内戦(ロシア内戦)は1922年には終結しており、1939年の上映禁止には関係ありません。
映画『アレクサンドル=ネフスキー』の上映が一時禁止されたのは、独ソ不可侵条約によってドイツとの関係を悪化させたくなかったという政治的配慮が背景にあります。
歴史や芸術表現も、国際関係によって制限されることがあります。
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