大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問19 (世界史B(第4問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問19(世界史B(第4問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史を研究する上で重要な行為の一つとして、複数の資料を読み比べ、意味を考察することがある。そうした比較について述べた次の文章Bを読み、後の問いに答えよ。

B 次の資料1は、イギリスのa 国王ヘンリ3世が成人となった年に、彼によって承認された文書の一部である。この文書は、その後の国王たちによって確認されることはあったものの、長らく政治の表舞台で用いられることはなかった。
しかし、17世紀に国王が専制的な政治を行うと、この状況に変化が生じる。
資料2は、この時期、b イギリスの議会が国王に提出した権利の請願の一部である。
資料1と資料2とを読み比べると、( イ )ことが分かる。議会は、国王たちによって認められてきた文書を利用して、専制的な政治を行っていた当時の国王に対抗しようとしたのである。この頃から、資料1は、王の支配から国民の権利を守るための文書として、新たな意義を与えられることになった。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)

資料1  ヘンリ3世によって承認された文書の一部
第29条 今後、いかなる自由人も、適法な判決又は国の法によらない限り、逮捕・監禁されてはならず、彼のいかなる自由保有地も諸特権も自由な慣習法上の諸権利も奪われてはならず、法の保護の外に置かれると宣告されたり、追放されたり、又は他の何らかの方法で侵害されたりしてはならない。(後略)

資料2  権利の請願の一部
第3項 また、大憲章と呼ばれる制定法によって、次のことが宣言され、定められた。いかなる自由人も、適法な判決又は国の法によらない限り、逮捕・監禁されてはならず、彼の自由保有地も諸特権も自由な慣習上の諸権利も奪われてはならず、法の保護の外に置かれると宣告されたり、追放されたり、又は何らかの方法で侵害されたりしてはならない。

下線部bの歴史について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 国王が、三部会を招集した。
  • 議会法によって、下院優位の原則が確立された。
  • トーリ党のウォルポール首相の下で、責任内閣制の基盤が作られた。
  • 平民会の決議を元老院の承認なく国法とすることが定められた。

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この過去問の解説 (2件)

01

この問題は、イギリス議会の歴史に関する基本的な知識を問うものです。特に、イギリスにおける議会制度の発展や内閣制度の成立に注目する必要があります。

選択肢1. 国王が、三部会を招集した。

フランスの出来事(三部会はフランスの身分制議会)。イギリス議会ではない。誤りです。

選択肢2. 議会法によって、下院優位の原則が確立された。

議会法(Parliament Acts)は1911年と1949年に成立し、下院の優位を確立しましたが、この文脈では責任内閣制に関する問いなので主題からずれています。誤りです。

選択肢3. トーリ党のウォルポール首相の下で、責任内閣制の基盤が作られた。

その通りです。18世紀前半、ロバート・ウォルポールは事実上の初代首相とされ、国王にではなく議会(特に下院)の信任に基づいて政権を維持するという、責任内閣制の原型を作りました。正解です。

選択肢4. 平民会の決議を元老院の承認なく国法とすることが定められた。

これは古代ローマの話(リキニウス・セクスティウス法やホルテンシウス法など)。イギリス議会の歴史とは無関係。誤りです。

まとめ

覚えておきたいポイント

責任内閣制とは:内閣が議会(特に下院)に対して政治的責任を負う制度。

ウォルポールは、国王よりも議会に支持基盤を持ち、議会政治の近代化に大きく貢献しました。

三部会や平民会などの用語は、イギリス以外の国の制度なので、国名と制度を正確に対応させるのが重要です。

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02

【問題文について】

資料2は「権利の請願」
→ これは1628年、イギリス議会が国王チャールズ1世に提出したものです。

つまり、17世紀前半、イギリスでは国王の専制に議会が抵抗していた時期にあたります。

選択肢1. 国王が、三部会を招集した。

三部会はフランスで行われた制度であり、イギリスとは関係ありません。

選択肢2. 議会法によって、下院優位の原則が確立された。

議会法(Parliament Act)は20世紀初頭に制定され、時代が大きく異なります。

選択肢3. トーリ党のウォルポール首相の下で、責任内閣制の基盤が作られた。

内容としては正しく、イギリス議会政治の発展に関わる出来事です。【正解】

選択肢4. 平民会の決議を元老院の承認なく国法とすることが定められた。

これは古代ローマの出来事であり、イギリスとは無関係です。

まとめ

17世紀前半、イギリスでは議会が国王の専制に対抗し、国民の権利を主張する動きが強まりました。
この流れは後の立憲君主制や議院内閣制の発展へとつながり、18世紀にはウォルポールが責任内閣制の基盤を作るに至ります。
このため、トーリ党のウォルポール首相と責任内閣制の発展は、間接的に問題文の流れとつながっています。

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