大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問40 (日本史B(第2問) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問40(日本史B(第2問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

リョウタさんとリツコさんは、歴史の授業で、古代には様々な雑穀が栽培され、食べられていたことを知った。そこで、粟(あわ)と麦についてそれぞれ調べ、授業で発表することにした。リョウタさんの発表要旨Aを読み、後の問いに答えよ。

A リョウタさんの発表要旨
日本の主要な穀物栽培と言えば、稲作を思い浮かべる人が多い。確かに、日本のことを「瑞穂(みずほ)(水穂)国」とも呼ぶように、水田稲作が重要な位置を占めていた。
しかし実際には、稲以外にも、様々なa 穀物が栽培されていた。特に、粟は縄文時代には一部で栽培が始まっていたという説もある。粟は古代の人々にとって身近な作物だったようで、蒸したり粥にしたりして食べられていた。
粟はやせた土地でも育つのに対し、稲は旱(かん)ばつや風水害・虫害などの影響を受けやすく、秋に不作になると食糧不足や飢饉に結びついた。それもあって、b 古代国家は飢饉に備えて、粟を貯えさせた。また、国司を通じて百姓に粟の栽培を奨励し、稲の代わりに粟を税として出すことを許可する法令を出した。

下線部aに関連して、原始・古代の穀物栽培に関して述べた文として正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 稲作が日本に伝わると、狩猟や採取による食糧確保は行われなくなった。
  • 弥生時代、稲穂は石包丁で刈り取られ、木臼(きうす)と竪杵(たてぎね)を使って脱穀された。
  • 古墳時代、鍬(くわ)や鋤(すき)などの青銅製農工具が用いられ、生産力が向上した。
  • 律令制下の百姓は口分田が与えられ、収穫高の3割を租として納めた。

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