大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問41 (日本史B(第2問) 問2)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問41(日本史B(第2問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

リョウタさんとリツコさんは、歴史の授業で、古代には様々な雑穀が栽培され、食べられていたことを知った。そこで、粟(あわ)と麦についてそれぞれ調べ、授業で発表することにした。リョウタさんの発表要旨Aを読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

A リョウタさんの発表要旨
日本の主要な穀物栽培と言えば、稲作を思い浮かべる人が多い。確かに、日本のことを「瑞穂(みずほ)(水穂)国」とも呼ぶように、水田稲作が重要な位置を占めていた。
しかし実際には、稲以外にも、様々なa 穀物が栽培されていた。特に、粟は縄文時代には一部で栽培が始まっていたという説もある。粟は古代の人々にとって身近な作物だったようで、蒸したり粥にしたりして食べられていた。
粟はやせた土地でも育つのに対し、稲は旱(かん)ばつや風水害・虫害などの影響を受けやすく、秋に不作になると食糧不足や飢饉に結びついた。それもあって、b 古代国家は飢饉に備えて、粟を貯えさせた。また、国司を通じて百姓に粟の栽培を奨励し、稲の代わりに粟を税として出すことを許可する法令を出した。

下線部bに関連して、リョウタさんの発表に対して、他の生徒から質問X・Yが出た。リョウタさんは先生にアドバイスをもらいながら、史料a~dを探してきた。質問X・Yに対する回答の根拠となる史料の組合せとして最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

質問
X  飢饉対策として、粟が貯えられた理由はどこにあるのだろうか。
Y  貯蓄する粟は誰から集めたのだろうか。

史料
a  凡(およ)そ雑穀相博(か)えん(注1)には、粟・小豆各(おのおの)二斗を稲三束に当て、大豆一斗を稲一束に当てよ。(『延喜式』)
b  凡そ粟の物とあるは、支(ささ)うる(注2)こと久しくして敗れず、諸(もろもろ)の穀の中に於(おい)て、最も是れ精好なり。(『続日本紀』)
c  凡そ一位以下、及び百姓・雑色(ぞうしき)の人等は、皆戸の粟を取り、以て義倉とせよ。上上の戸(注3)に二石、(中略)下下の戸に一斗。(『養老令』)
d  三の君の夫は、(中略)大名の田堵なり。(中略)薗畠(そのはたけ)に蒔(ま)くところは麦・大豆・大角豆(ささげ)・小豆・粟・黍(きび)・薭(ひえ)・蕎麦(そば)・胡麻(ごま)(後略)。(『新猿楽記』)
(注1)相博えん:交換する。
(注2)支うる:保存する。
(注3)上上の戸:資財などをもとに、各戸を上上から下下まで九等に分けたうちの最上位の戸。
  • X ― a  Y ― c
  • X ― a  Y ― d
  • X ― b  Y ― c
  • X ― b  Y ― d

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