大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問2 (世界史B(第1問) 問2)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問2(世界史B(第1問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史の中の女性について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

あるクラスで、各国において女性が全国レベルの参政権を獲得していった歴史についての授業が行われている。

先生:初めて女性が全国レベルの参政権を獲得したのは1893年のニュージーランドで、オーストラリアがそれに続きます。ただし、いずれの国でも白人女性に限られていました。
室井:どちらもオセアニアの国ですね。
先生:女性普通選挙権は1906年にフィンランド、さらにノルウェーで確立されます。
渡部:今度は北欧ですね。
先生:これらオセアニアや北欧の国々は、その頃、他国の支配下で自治が拡大するか、独立したばかりでした。例えば、フィンランドは19世紀に、当時帝国だった( ア )の領土になりましたが、1906年には一院制議会が誕生しました。オセアニアや北欧における女性参政権の実現は、自治拡大や独立の前後に国内の政治的結束が求められる状況と関係していました。また、オセアニアで参政権が白人女性に限られたことは、白人以外への差別の進展と並行していました。
佐藤:1918年にはイギリス、1919年にはドイツ、1920年にはアメリカ合衆国でも女性参政権が認められます。ただし、認められた女性の割合は国によって様々だったようですね。
先生:1910年代の世界で最も大きな出来事は何ですか。
佐藤:第一次世界大戦でしょうか。
先生:そのとおりです。a 多くの国や地域を巻き込んだ第一次世界大戦では、出征した男性に代わって女性が工場などで働くようになり、社会に進出しました。このことが女性参政権の実現を促します。また、国によっては大戦末期の革命をきっかけに女性参政権が認められました。では、これまでに学んできたことと合わせて、授業の内容をメモにまとめてください。

下線部aについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • オスマン帝国が、協商国(連合国)側に立って参戦した。
  • フランス軍が、タンネンベルクの戦いでドイツ軍の進撃を阻んだ。
  • イギリスが、インドから兵士を動員した。
  • レーニンが、十四か条の平和原則を発表した。

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この過去問の解説 (1件)

01

最も適当な選択肢は、

「イギリスがインドから兵士を動員した」 です。

 

第一次世界大戦では植民地を持つ列強が各地から兵士や資源を動員し、戦争が世界規模へ広がりました。

インド兵の大規模派遣はその代表例で、「多くの国や地域を巻き込んだ」という下線部aの説明に合致します。

選択肢1. オスマン帝国が、協商国(連合国)側に立って参戦した。

オスマン帝国はドイツと手を組んで中央同盟国側として参戦しました。

協商国側という記述は事実と異なります。

選択肢2. フランス軍が、タンネンベルクの戦いでドイツ軍の進撃を阻んだ。

タンネンベルクの戦い(1914年)は東部戦線でのドイツ対ロシアの戦闘で、フランス軍は関与していません。

選択肢3. イギリスが、インドから兵士を動員した。

大戦中、イギリスはインドから延べ100万人規模の兵士を西部戦線や中東戦線に派遣しました。

植民地の人びとが本国の戦争に動員されたことで、戦争の舞台と影響がヨーロッパ外にも広がったことがわかります。

下線部aの内容を直接示す出来事です。

選択肢4. レーニンが、十四か条の平和原則を発表した。

十四か条の平和原則を発表したのはアメリカ大統領ウィルソン(1918年)であり、レーニンではありません。

まとめ

下線部aは、第一次世界大戦が植民地を含む広い地域を戦場にしたことを示しています。

イギリスがインドから兵士を動員した という出来事はその典型で、最も適切な説明です。

植民地出身者の参戦は戦後の民族運動や女性の社会進出にも影響し、世界史全体の流れを理解するうえで重要なポイントとなります。

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