大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問8 (世界史B(第2問) 問2)
問題文
あるクラスで、フランス王家についての授業が行われている。
先生:次の図を見てください。何か読み取れることはありますか。
小林:中央に二つの図柄があります。左の図柄は、中世のヨーロッパについて勉強した際に出てきたクレシーの戦いの図版で見たことがあります。
後藤:ユリの図柄ですよね。フランス軍も、それに敵対したイングランド軍も、ともにこの図柄の入った旗を掲げていました。
先生:この図はアンリ4世から始まる王朝で使用されるようになる紋章ですが、紋章は家系のつながりや統合を表しています。次の家系図を見てください。ルイ9世の血筋は、一方はクレシーの戦いに関わったフィリップ6世に、一方はアンリ4世につながります。アンリ3世が死去し家系が断絶すると、アンリ4世が王となり、新しい王朝が始まります。ユリの図柄は、アンリ4世が以前の王朝とつながっていることを明確に表しています。
後藤:では、右の図柄は何ですか。
先生:金の鎖の図柄で、アンリ4世の母方の家系で使用されていた図柄です。アンリ4世は即位前に母から別の国の王位を継承していました。アンリ4世の母はa ユグノーだったのですが、アンリ4世自身もユグノーであり、国内における宗教対立では、王家と対立する勢力の首領でした。
小林:アンリ4世は、ナントの王令を出した王だと習いました。この王令が出された背景には、アンリ4世の立場が関係していたんですね。
先生:こうした紋章は、当時王や貴族だけでなく都市なども独自のものを持っていました。宰相マザランが死去した後、親政を始めた( ア )は、こうした紋章を国家財政の問題を解決する手段として使います。当時、( イ )。こうした状況のもと( ア )は『紋章集成』を作成し、そこへの紋章の登録を義務化した上で、登録料を徴収しました。しかし、登録は思ったようには進まず、あまり成果を得られなかったようです。
下線部aに関連して、ヨーロッパ各地におけるプロテスタントについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問8(世界史B(第2問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
あるクラスで、フランス王家についての授業が行われている。
先生:次の図を見てください。何か読み取れることはありますか。
小林:中央に二つの図柄があります。左の図柄は、中世のヨーロッパについて勉強した際に出てきたクレシーの戦いの図版で見たことがあります。
後藤:ユリの図柄ですよね。フランス軍も、それに敵対したイングランド軍も、ともにこの図柄の入った旗を掲げていました。
先生:この図はアンリ4世から始まる王朝で使用されるようになる紋章ですが、紋章は家系のつながりや統合を表しています。次の家系図を見てください。ルイ9世の血筋は、一方はクレシーの戦いに関わったフィリップ6世に、一方はアンリ4世につながります。アンリ3世が死去し家系が断絶すると、アンリ4世が王となり、新しい王朝が始まります。ユリの図柄は、アンリ4世が以前の王朝とつながっていることを明確に表しています。
後藤:では、右の図柄は何ですか。
先生:金の鎖の図柄で、アンリ4世の母方の家系で使用されていた図柄です。アンリ4世は即位前に母から別の国の王位を継承していました。アンリ4世の母はa ユグノーだったのですが、アンリ4世自身もユグノーであり、国内における宗教対立では、王家と対立する勢力の首領でした。
小林:アンリ4世は、ナントの王令を出した王だと習いました。この王令が出された背景には、アンリ4世の立場が関係していたんですね。
先生:こうした紋章は、当時王や貴族だけでなく都市なども独自のものを持っていました。宰相マザランが死去した後、親政を始めた( ア )は、こうした紋章を国家財政の問題を解決する手段として使います。当時、( イ )。こうした状況のもと( ア )は『紋章集成』を作成し、そこへの紋章の登録を義務化した上で、登録料を徴収しました。しかし、登録は思ったようには進まず、あまり成果を得られなかったようです。
下線部aに関連して、ヨーロッパ各地におけるプロテスタントについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

- サン=バルテルミの虐殺により、多くの犠牲者が出た。
- ドイツ農民戦争が、ツヴィングリの指導の下で起こった。
- ヘンリ7世が、国王至上法(首長法)を制定した。
- イグナティウス=ロヨラが、イエズス会を結成した。
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この過去問の解説 (1件)
01
「サン=バルテルミの虐殺により、多くの犠牲者が出た。」が最も適当です。
フランスでは1572年、カトリック勢力がユグノー(プロテスタント)を大量に襲撃し、おびただしい死者が出ました。
ユグノーであったアンリ4世の置かれた状況とも直接つながります。
1572年、パリでの王妹マルグリットとナヴァル公アンリ(のちのアンリ4世)の結婚祝賀の最中に発生した大事件です。
全国に波及し、ユグノーが数千人規模で殺害されました。
プロテスタントをめぐる出来事として事実に合致しています。
農民戦争(1524〜1525年)は主にルター派の思想に影響を受け、指導者とされたのは急進派のトマス・ミュンツァーです。
スイスの改革者ツヴィングリは関与しておらず、記述は誤りです。
首長法(1534年)はヘンリ8世が発布してイングランド国教会を成立させました。
ヘンリ7世はテューダー朝の初代であり、内容が食い違います。
ロヨラによるイエズス会の設立(1534年ごろ)は事実ですが、これはカトリックの立場からの対抗運動(反宗教改革)です。
プロテスタントそのものを述べた文ではありません。
16世紀の宗教改革期、フランスではユグノーとカトリックの対立が激化し、サン=バルテルミの虐殺が最高潮となりました。
ユグノーの盟主だったアンリ4世が即位後にナントの王令で信仰の自由を認めた背景には、この深い亀裂の修復が急務だった事情があります。
選択肢の中で、この歴史的文脈を正しく示すのはサン=バルテルミの虐殺を挙げた文だけでした。
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