大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問51 (日本史B(第4問) 問1)
問題文
ナツ:江戸時代の武士たちの結びつきってどんなものだったのかな?
アキ:例えば彦根藩士や対馬藩士は、自分たちを「井伊掃部頭(かもんのかみ)家中」「宗対馬守家中」と称しているよね。
ナツ:同じ主君に仕える家臣たちは、主君の家の一員とみなされ、一体感があったようだね。庶民はどうだったのかな?
アキ:人口の大半を占める百姓たちは、日頃は村で過ごして、村や地域の中で深い結びつきをもっていたんじゃないかな。
ナツ:電車やインターネットもない時代だから、遠くにいる人との結びつきは限られていただろうね。
アキ:でも、17世紀前半に、( ア )ことなどによって、江戸と全国を結ぶ陸上交通が発達したんだよね。
ナツ:17世紀中頃までには、( イ )ために、水上交通も発達したんだね。
アキ:特に都市ではa 商人や職人が仲間・組合をつくるようになり、幕府も物価統制などにそれを活用したことも知られているね。
ナツ:町内のつながりや商人・職人の仲間以外にも、都市では緩やかな結びつきがあったんじゃないかな。b 文化的な結びつきも広がっていったみたいだね。
アキ:水上交通といえば、船が漂流して、外国に漂着することもあったみたい。c 近隣諸国との間で、漂流した人々を送り返すことも行われていたようだよ。海外ともいろいろな形で結びついていたことが分かるね。
次の文a~dのうち、会話文中の空欄ア・イに入る文の組合せとして最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
a 諸大名が江戸に屋敷をかまえ国元との間を往来するようになった
b 交通の障害となる箱根の関や新居の関といった関所が廃止された
c 御蔭参りなどに出かける多くの旅客を運ぶ
d 年貢米や材木など大量の物資を運ぶ
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問51(日本史B(第4問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
ナツ:江戸時代の武士たちの結びつきってどんなものだったのかな?
アキ:例えば彦根藩士や対馬藩士は、自分たちを「井伊掃部頭(かもんのかみ)家中」「宗対馬守家中」と称しているよね。
ナツ:同じ主君に仕える家臣たちは、主君の家の一員とみなされ、一体感があったようだね。庶民はどうだったのかな?
アキ:人口の大半を占める百姓たちは、日頃は村で過ごして、村や地域の中で深い結びつきをもっていたんじゃないかな。
ナツ:電車やインターネットもない時代だから、遠くにいる人との結びつきは限られていただろうね。
アキ:でも、17世紀前半に、( ア )ことなどによって、江戸と全国を結ぶ陸上交通が発達したんだよね。
ナツ:17世紀中頃までには、( イ )ために、水上交通も発達したんだね。
アキ:特に都市ではa 商人や職人が仲間・組合をつくるようになり、幕府も物価統制などにそれを活用したことも知られているね。
ナツ:町内のつながりや商人・職人の仲間以外にも、都市では緩やかな結びつきがあったんじゃないかな。b 文化的な結びつきも広がっていったみたいだね。
アキ:水上交通といえば、船が漂流して、外国に漂着することもあったみたい。c 近隣諸国との間で、漂流した人々を送り返すことも行われていたようだよ。海外ともいろいろな形で結びついていたことが分かるね。
次の文a~dのうち、会話文中の空欄ア・イに入る文の組合せとして最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
a 諸大名が江戸に屋敷をかまえ国元との間を往来するようになった
b 交通の障害となる箱根の関や新居の関といった関所が廃止された
c 御蔭参りなどに出かける多くの旅客を運ぶ
d 年貢米や材木など大量の物資を運ぶ
- ア ― a イ ― c
- ア ― a イ ― d
- ア ― b イ ― c
- ア ― b イ ― d
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この過去問の解説 (1件)
01
この問題は、江戸時代の人々の結びつき、つまり生活や交通などの実態を問う問題です。
まずは、例示の4つについて確認しましょう。
・「諸大名が江戸に屋敷をかまえ国元との間を往来するようになった」とは、参勤交代の制度のことです。
主に軍事上の目的から、三代将軍徳川家光の時代、寛永12年(1635)(=17世紀前半)に制度化されました。
これにより、大名は1年毎に領地と江戸を行き来することとなり、正室(奥方)と世子(世継ぎ)は、原則江戸での生活が義務づけられました。
・「交通の障害となる箱根の関や新居の関といった関所が廃止された」のは、明治維新になってからです。
箱根や新居の関所は、江戸を守るために徳川幕府によって設けられました。
鉄砲(武器)の江戸への持ち込み、逆に人質としての意味合いも強かった大名の正室(奥方)の江戸からの脱出を止めるための検問所の役割を果たしました。
「入鉄砲に出女」という言葉が有名です。
・「御蔭参りなどに出かける多くの旅客を運ぶ」手段は、江戸時代にはありません。
強いてあげれば船ですが、庶民が船を利用する機会は滅多にありませんでした。
庶民の江戸時代の交通手段は、基本的に徒歩、駕籠、馬です。
・「年貢米や材木など大量の物資を運ぶ」手段は、船になります。菱垣廻船と樽廻船が有名です。
船体の横に菱形の格子があったことから菱垣廻船、主に酒樽を運んだことから樽廻船と呼ばれました。
また、江戸と「天下の台所」と言われた大阪へ大量の物資(主に米)を運ぶには、陸路より船を使った海路の方が、早くて便利です。
東北から大阪へ向かう航路を西回り、江戸へ向かう航路を東回りといい、河村瑞賢によって整備されました。
不適切です。
水上交通が発達したのは、「御蔭参りなどに出かける多くの旅客を運ぶ」ためではありません。
適切です。
不適切です。
・陸上交通が発達したのは、「交通の障害となる箱根の関や新居の関といった関所が廃止された」からではありません。
・水上交通が発達したのは、「御蔭参りなどに出かける多くの旅客を運ぶ」ためではありません。
不適切です。
・陸上交通が発達したのは、「交通の障害となる箱根の関や新居の関といった関所が廃止された」からではありません。
・最初の穴埋めは、「17世紀前半に、( ア )ことなどによって、江戸と全国を結ぶ陸上交通が発達したんだよね。」とあり、陸上交通についての会話です。江戸は1つですが、大名は全国に散らばっていますので、それを結んだのは、参勤交代による制度ということになります。
・次の穴埋めの「17世紀中頃までには、( イ )ために、水上交通も発達したんだね。」とあり、水上交通についての穴埋めになります。
水上とは、河川ばかりでなく海も含みます。海上交通が発達したのは、人ではなく米など大量の物資を運ぶためです。
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