大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問6 (世界史B(第1問) 問6)
問題文
次の資料1・2は、イングランドの国王エドワード(証聖王)の死後に、イングランドあるいはノルマンディーで見られた政治的動きに関して、それぞれの地域で書かれた記録である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
資料1
イングランド人の誉れ、平和をもたらす王エドワードは、23年間と6か月の統治の後、ロンドンで死去した。その翌日、エドワードが葬られると、副王であるハロルド(注1)が、イングランド中の最有力の貴族たちによって国王に選ばれた。彼は、エドワード王が死の前に、王国の継承者として指名していた人物であった。そして葬儀と同じ日に、ハロルドは、ヨーク大司教によって、国王にふさわしく正式に聖別(注2)された。王国の統治を開始するとすぐに、ハロルドは、不正な法を廃止して正しい法の制定に取り掛かった。また教会の保護者となり、敬虔で慎(つつ)ましく、悪しき者を憎み、陸と海で祖国の防衛に努めた。
(注1)ハロルド ― イングランド国王ハロルド2世のこと。
(注2)聖別 ― 国王の即位に際して、聖職者が執り行う塗油の儀式のこと。
資料2
b ノルマンディー公は、道理にかなったやり方で遠征の準備を進めたいと望んだ。彼は聖職者をローマ教皇のもとに送り、ハロルドがどのように彼に仕えたか、そして自ら行った宣誓を破り、嘘をついたかを説明させた。というのもハロルドは彼の娘を娶(めと)らず、またエドワードが彼に与えた王国を譲らなかった、ハロルドもそのことを認めて宣誓していたにもかかわらず、である。それゆえ聖なる教会の見解に従って、この偽証者を罰する許可を与え給(たま)え。もしノルマンディー公がイングランドを征服することを神がお望みなら、彼は聖ペテロからイングランドを受け取り、その結果、神以外のいかなる者に仕えることもないであろうと。それで教皇はノルマンディー公に征服の許可を与え、旗を送った。
資料1・2からは、イングランドとノルマンディーとの間で、ハロルド2世の王位継承に対する認識の違いがあったことが分かる。このことが、ノルマンディー公による1066年のイングランド征服の一因となった。これは後世まで語り継がれる歴史的大事件として、人々の記憶に深く刻まれることになる。しかしこの事件が起こるよりも前からすでに、王国の政治は、ブリテン島の海の向こうの諸勢力と連動しつつ展開していた。そもそも彼よりも半世紀前にイングランドの王位を奪取した、デンマーク出身の人物がいた。また、イングランドを統一したウェセックス王家は、積極的に北西ヨーロッパの家門と婚姻関係を作り上げていた。例えば10世紀の王エセルスタンの異母妹は( イ )の最初の妻であったが、( イ )は後にローマ教皇から戴冠され、これが神聖ローマ帝国の起源とされる。さらに証聖王とノルマンディー公は、証聖王の母を通じて血縁に当たり、証聖王自身も若い頃にノルマンディーに亡命した過去を持つ。これらの事実が示すのは、c イングランド王国の歴史を、ヨーロッパ史という広い文脈のなかで理解する必要があるということである。
下線部cに関連して、イングランドとヨーロッパの他地域との関係について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問6(世界史B(第1問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)
次の資料1・2は、イングランドの国王エドワード(証聖王)の死後に、イングランドあるいはノルマンディーで見られた政治的動きに関して、それぞれの地域で書かれた記録である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
資料1
イングランド人の誉れ、平和をもたらす王エドワードは、23年間と6か月の統治の後、ロンドンで死去した。その翌日、エドワードが葬られると、副王であるハロルド(注1)が、イングランド中の最有力の貴族たちによって国王に選ばれた。彼は、エドワード王が死の前に、王国の継承者として指名していた人物であった。そして葬儀と同じ日に、ハロルドは、ヨーク大司教によって、国王にふさわしく正式に聖別(注2)された。王国の統治を開始するとすぐに、ハロルドは、不正な法を廃止して正しい法の制定に取り掛かった。また教会の保護者となり、敬虔で慎(つつ)ましく、悪しき者を憎み、陸と海で祖国の防衛に努めた。
(注1)ハロルド ― イングランド国王ハロルド2世のこと。
(注2)聖別 ― 国王の即位に際して、聖職者が執り行う塗油の儀式のこと。
資料2
b ノルマンディー公は、道理にかなったやり方で遠征の準備を進めたいと望んだ。彼は聖職者をローマ教皇のもとに送り、ハロルドがどのように彼に仕えたか、そして自ら行った宣誓を破り、嘘をついたかを説明させた。というのもハロルドは彼の娘を娶(めと)らず、またエドワードが彼に与えた王国を譲らなかった、ハロルドもそのことを認めて宣誓していたにもかかわらず、である。それゆえ聖なる教会の見解に従って、この偽証者を罰する許可を与え給(たま)え。もしノルマンディー公がイングランドを征服することを神がお望みなら、彼は聖ペテロからイングランドを受け取り、その結果、神以外のいかなる者に仕えることもないであろうと。それで教皇はノルマンディー公に征服の許可を与え、旗を送った。
資料1・2からは、イングランドとノルマンディーとの間で、ハロルド2世の王位継承に対する認識の違いがあったことが分かる。このことが、ノルマンディー公による1066年のイングランド征服の一因となった。これは後世まで語り継がれる歴史的大事件として、人々の記憶に深く刻まれることになる。しかしこの事件が起こるよりも前からすでに、王国の政治は、ブリテン島の海の向こうの諸勢力と連動しつつ展開していた。そもそも彼よりも半世紀前にイングランドの王位を奪取した、デンマーク出身の人物がいた。また、イングランドを統一したウェセックス王家は、積極的に北西ヨーロッパの家門と婚姻関係を作り上げていた。例えば10世紀の王エセルスタンの異母妹は( イ )の最初の妻であったが、( イ )は後にローマ教皇から戴冠され、これが神聖ローマ帝国の起源とされる。さらに証聖王とノルマンディー公は、証聖王の母を通じて血縁に当たり、証聖王自身も若い頃にノルマンディーに亡命した過去を持つ。これらの事実が示すのは、c イングランド王国の歴史を、ヨーロッパ史という広い文脈のなかで理解する必要があるということである。
下線部cに関連して、イングランドとヨーロッパの他地域との関係について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- エリザベス1世が、フェリペ2世と結婚した。
- 羊毛(原羊毛)が、イングランドからフランドル地方へ輸出された。
- ジョン王が、フィリップ4世と争って敗れ、フランスにおける領地の大半を失った。
- 共和政期のイングランドで出された大陸封鎖令は、英蘭戦争の引き金になった。
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この過去問の解説 (1件)
01
正しい選択肢は、
「羊毛(原羊毛)が、イングランドからフランドル地方へ輸出された。」 です。
イングランドと他地域との結び付きの実例として最も適当です。
中世ヨーロッパでは、イングランドの良質な羊毛が大陸の毛織物産地に不可欠で、国際貿易を通じて政治・経済関係も密接になりました。
エリザベス1世は生涯独身で通した女王です。
フェリペ2世と結婚したのは姉のメアリ1世であり、事実と異なります。
12〜14世紀のフランドルは毛織物工業の中心地でした。
イングランド産の原羊毛は質が高く、ブルージュやガンの工房へ大量に輸出されました。
この交易が両地域の経済を結び付け、百年戦争期の外交にも影響を与えました。
ジョン王が対立したのはフィリップ2世(アウグストゥス)です。
1204年にノルマンディーなどを失いましたが、フィリップ4世は別の時代の王で、内容が正確ではありません。
1650年代の英蘭戦争を誘発したのは航海法(Navigation Act)です。
「大陸封鎖令」は1806年にナポレオンが発した対英経済封鎖であり、時期も主体も異なります。
イングランドと大陸諸地域は、政治的な婚姻・戦争だけでなく、経済取引(羊毛貿易)でも深く結び付いていました。
フランドルの毛織物産業はイングランド羊毛に依存し、その貿易路を守ることが英仏対立や海上権益争いへ波及しました。
イングランド史を理解するには、こうしたヨーロッパ全体の動きと連動した背景を見る視点が欠かせません。
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