大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問9 (世界史B(第1問) 問9)
問題文
次の文章は、イギリスにおける福祉制度の改革の歴史について述べたものである。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
19世紀後半に入りイギリスでは、公的な年金制度の導入が本格的に議論されるようになった。その際、d 重要な先例と考えられたのが、ドイツの老齢年金制度であった。ドイツでは、後に「世界政策」の名の下に海軍を増強した皇帝の治世下で、同制度が導入されている。
こうしたドイツの先例を踏まえて、イギリスでは1908年に老齢年金法が成立した。このことによって、公的な年金制度が開始された。この年金制度の導入を主導したのは、かつて首相グラッドストンが率いた政党であった。
第二次世界大戦以降も、イギリスではその時々の経済的、社会的状況に鑑みて、年金制度を含めた福祉制度に対して様々な改革が行われた。次の資料は、20世紀に国営企業の民営化を推し進めた首相が、社会保障費などに関わる福祉制度の改革を行った後に、インタビューに答えた時のものである。
資料
あまりにも多くの子どもや大人たちが、自分たちの問題を社会に転嫁しています。でも社会とは誰のことを指すのでしょうか。社会などというものは存在しないのです。存在するのは、個々の男と女ですし、家族です。そして、最初に人々が自分たちの面倒を見ようとしない限りは、どんな政府だって何もできはしないのです。自分で自分の世話をするのは私たちの義務です。それから、自分たちの隣人の面倒を見ようとするのも同じように義務です。最初に義務を果たさないならば、権利などというものは存在しないのです。
前の文章を参考にしつつ、インタビューで資料のように答えた首相の名あ・いと、その人物が行った改革の内容として推測できることについて述べた文X~Zとの組合せとして正しいものを、後のうちから一つ選べ。
首相の名
あ アトリー
い サッチャー
改革の内容
X 「ゆりかごから墓場まで」と言われた福祉制度を充実させた。
Y 貧民を救済するための救貧法を制定した。
Z 「小さな政府」を実現すべく、社会保障費を見直した。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問9(世界史B(第1問) 問9) (訂正依頼・報告はこちら)
次の文章は、イギリスにおける福祉制度の改革の歴史について述べたものである。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
19世紀後半に入りイギリスでは、公的な年金制度の導入が本格的に議論されるようになった。その際、d 重要な先例と考えられたのが、ドイツの老齢年金制度であった。ドイツでは、後に「世界政策」の名の下に海軍を増強した皇帝の治世下で、同制度が導入されている。
こうしたドイツの先例を踏まえて、イギリスでは1908年に老齢年金法が成立した。このことによって、公的な年金制度が開始された。この年金制度の導入を主導したのは、かつて首相グラッドストンが率いた政党であった。
第二次世界大戦以降も、イギリスではその時々の経済的、社会的状況に鑑みて、年金制度を含めた福祉制度に対して様々な改革が行われた。次の資料は、20世紀に国営企業の民営化を推し進めた首相が、社会保障費などに関わる福祉制度の改革を行った後に、インタビューに答えた時のものである。
資料
あまりにも多くの子どもや大人たちが、自分たちの問題を社会に転嫁しています。でも社会とは誰のことを指すのでしょうか。社会などというものは存在しないのです。存在するのは、個々の男と女ですし、家族です。そして、最初に人々が自分たちの面倒を見ようとしない限りは、どんな政府だって何もできはしないのです。自分で自分の世話をするのは私たちの義務です。それから、自分たちの隣人の面倒を見ようとするのも同じように義務です。最初に義務を果たさないならば、権利などというものは存在しないのです。
前の文章を参考にしつつ、インタビューで資料のように答えた首相の名あ・いと、その人物が行った改革の内容として推測できることについて述べた文X~Zとの組合せとして正しいものを、後のうちから一つ選べ。
首相の名
あ アトリー
い サッチャー
改革の内容
X 「ゆりかごから墓場まで」と言われた福祉制度を充実させた。
Y 貧民を救済するための救貧法を制定した。
Z 「小さな政府」を実現すべく、社会保障費を見直した。
- あ ― X
- あ ― Y
- あ ― Z
- い ― X
- い ― Y
- い ― Z
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この過去問の解説 (1件)
01
正しい組み合わせは、「いーZ」です。
20世紀に国営企業の民営化を推し進め、「社会など存在しない」と語ったのはマーガレット・サッチャー首相です。
彼女は市場原理を重んじ、福祉支出を抑える方向で制度を改めました。
そのため、改革内容としてふさわしいのは社会保障費の見直し(小さな政府の推進)です。
1945年に成立した労働党政権(首相クレメント・アトリー)は、国民保健サービス(NHS)など包括的福祉を整えました。
この政策は「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれますが、資料にある民営化と小さな政府の路線とは対照的です。
救貧法は19世紀以前の法律であり、20世紀のアトリー政権とは離れています。
よって不適当です。
アトリー政権は福祉を拡大した側であり、社会保障費を削減する立場ではありません。
適合しません。
サッチャー政権は福祉の縮小を掲げました。
福祉拡充を示す表現とは食い違います。
救貧法は時代が異なるため、サッチャーの改革内容ではありません。
1980年代のサッチャー政権は「小さな政府」を掲げ、社会保障費の抑制や公営企業の民営化を進めました。
資料の発言とも一致します。
マーガレット・サッチャーは「鉄の女」と呼ばれ、市場競争を重視する政策を導入しました。
彼女の方針は「まず自助、次に隣人への助け合い」という個人責任の強調で、福祉国家の見直しを意味します。
一方で、クレメント・アトリーは戦後直後に医療・社会保障を大きく拡充し、イギリス型福祉国家の礎を築きました。
このように、同じ福祉制度でも時代と政権の考え方によって拡大と縮小の両極端が存在することが、イギリス近現代史の特徴です。
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