大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問29 (世界史B(第4問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問29(世界史B(第4問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の様々な言語や文字と、それを用いた人々の文化やアイデンティティについて述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

コロンブスはイタリアのジェノヴァ人であるという説が現在では定説になっている。しかし19世紀には、彼は「スペイン人」であるという説があった。この説の提唱者たちは、コロンブスがほとんどの文書をスペイン語で書いていたことを根拠に、彼が「スペイン人」だと思い込んでいたのである。
それではなぜ、コロンブスは「イタリア語」で書かなかったのか。現在のイタリア語はトスカナ語が基になっているが、彼が生まれ育ったジェノヴァのb 言語はトスカナ語とは違う言語であり、しかもジェノヴァの言語は書き言葉を持たなかったからである。
コロンブスが生きていた時代には「国語」は成立しておらず、多言語使用が普通であった。ところがスペインでは、他のヨーロッパ諸国に先駆けて「国語」が成立し、書き言葉として確立しつつあった。そしてスペインの影響を受けたポルトガルの上流階級では、スペイン語で書くことがはやっていた。c 彼は、スペイン王室に航海の支援を求める前に、ポルトガル王室に支援を求めていた。そのためにポルトガルに10年ほど滞在し、そこでスペイン語の読み書きを覚えたのである。

下線部cに関連して、ポルトガル王室は最終的にはコロンブスを支援しなかったが、その理由に関し、推測される仮説として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
  • 自国内のレコンキスタを終結させることに注力していたため、財政的な余裕がなかったからだろう。
  • コロンブスの航海は西廻(まわ)りであったため、トルデシリャス条約で定めていたスペインの権益を侵害することになるからだろう。
  • スペイン王がポルトガル王位を継承したため、スペイン王室が支援することになったからだろう。
  • バルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達したため、インド航路開拓のめどが立ったからだろう。

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この過去問の解説 (1件)

01

最も適当な仮説は、

「バルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達したため、インド航路開拓のめどが立ったからだろう。」 です。

選択肢1. 自国内のレコンキスタを終結させることに注力していたため、財政的な余裕がなかったからだろう。

ポルトガルのレコンキスタは13世紀にほぼ終わり、15世紀末には大航海を続けるだけの財力もありました。

理由として弱いです。

選択肢2. コロンブスの航海は西廻(まわ)りであったため、トルデシリャス条約で定めていたスペインの権益を侵害することになるからだろう。

トルデシリャス条約は1494年、コロンブス出航(1492年)より後に結ばれた取り決めです。

条約がない時点では当てはまりません。

選択肢3. スペイン王がポルトガル王位を継承したため、スペイン王室が支援することになったからだろう。

スペイン王フェリペ2世がポルトガルを併合したのは1580年です。

コロンブス計画の約90年後で時期がずれています。

選択肢4. バルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達したため、インド航路開拓のめどが立ったからだろう。

1488年、ディアスがアフリカ南端を回り「東まわり」でインドへ行ける展望を示しました。

これによりポルトガルは既定方針を確立し、西まわり案を危険と判断して採用しませんでした。

最も適当な仮説です。

まとめ

ポルトガルはすでにアフリカ南端経由の東航ルートに自信を持っており、未知の西航ルートに投資する必要性を感じなかったと考えられます。

そのきっかけを作った出来事が 喜望峰到達(1488年)でした。

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