大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問34 (日本史B(第1問) 問1)
問題文
印刷とは、墨などを塗った版を紙や布に押し付け、同じ文章や図像を複製する技術である。
日本最古の印刷物とされるのは、8世紀に作られた「百万塔陀羅尼」(写真1)である。『続日本紀』によると、a 光明皇太后と結びついて権力を握り太政大臣に相当する地位に就いた人物による兵乱が平定された後、木製の三重の小塔が100万基作られ、そのなかに陀羅尼経(仏典)が納められたという。
中世に入ると、京都や鎌倉の寺院などで印刷が行われる一方、中国大陸や朝鮮半島で印刷された書物が輸入された。仏典を集大成した大蔵経を日本側が朝鮮国王に求めた事例などからは、印刷物を通じたb 日本と朝鮮半島との交流を知ることができる。
印刷に使用する紙については、7世紀に朝鮮半島より製法が伝わったとされ、8世紀には律令体制のもとで地方でも生産された。中世になると、c 各地で生産された紙が商人によって運ばれ、広く流通していった。
下線部aに関して、出来事を年代順に並べた次の表に示したa~dの時期のうち、この兵乱が起きた時期として正しいものを、後のうちから一つ選べ。
天然痘が流行し、藤原武智麻呂・房前らが死去した。
( a )
聖武太上天皇らが参加して、大仏の開眼供養会が挙行された。
( b )
養老律令が施行された。
( c )
道鏡が法王に任じられた。
( d )
伊治呰麻呂が乱を起こし、多賀城を攻撃した。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問34(日本史B(第1問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
印刷とは、墨などを塗った版を紙や布に押し付け、同じ文章や図像を複製する技術である。
日本最古の印刷物とされるのは、8世紀に作られた「百万塔陀羅尼」(写真1)である。『続日本紀』によると、a 光明皇太后と結びついて権力を握り太政大臣に相当する地位に就いた人物による兵乱が平定された後、木製の三重の小塔が100万基作られ、そのなかに陀羅尼経(仏典)が納められたという。
中世に入ると、京都や鎌倉の寺院などで印刷が行われる一方、中国大陸や朝鮮半島で印刷された書物が輸入された。仏典を集大成した大蔵経を日本側が朝鮮国王に求めた事例などからは、印刷物を通じたb 日本と朝鮮半島との交流を知ることができる。
印刷に使用する紙については、7世紀に朝鮮半島より製法が伝わったとされ、8世紀には律令体制のもとで地方でも生産された。中世になると、c 各地で生産された紙が商人によって運ばれ、広く流通していった。
下線部aに関して、出来事を年代順に並べた次の表に示したa~dの時期のうち、この兵乱が起きた時期として正しいものを、後のうちから一つ選べ。
天然痘が流行し、藤原武智麻呂・房前らが死去した。
( a )
聖武太上天皇らが参加して、大仏の開眼供養会が挙行された。
( b )
養老律令が施行された。
( c )
道鏡が法王に任じられた。
( d )
伊治呰麻呂が乱を起こし、多賀城を攻撃した。

- a
- b
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この過去問の解説 (1件)
01
藤原仲麻呂(恵美押勝)が起こした乱は764年の出来事で、年次的には757年の養老律令施行と765年の道鏡法王任命のあいだに位置します。
表の並びでこの位置に当たるのは( c )です。
737年頃から752年までの間に相当し、764年より前なので該当しません。
752年(大仏開眼)と757年(養老律令施行)の間で、ここも764年とは合いません。
757年と765年の間で、まさに764年が入る区間です。
765年と780年の間で、藤原仲麻呂の乱より後になります。
藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)は764年に発生し、唐招提寺をはじめとする奈良時代末期の政治・文化に大きな影響を与えました。
年表の流れの中では、養老律令施行(757)と道鏡の法王任命(765)の中間に当たるため、該当するのは ( c ) です。
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