大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問62 (日本史B(第6問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問62(日本史B(第6問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次のプリントは、二度の世界大戦後の日本と国際社会の関係をテーマに、発表準備を進めている高校生のヒマリさんが作成したものである。この文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

第一次世界大戦後の日本と国際社会の関係について作成したプリント

・大戦後の日本:複数の国際会議に参加。新しい国際社会の構築への関与。
 例:1921~22年のワシントン会議 → a 日本は多くの新条約を締結、古い条約を廃棄
b 不戦条約の締結(1928年):日本も調印・批准
 内容:国際紛争を解決する手段としての戦争を、放棄すると誓う。
・1931年9月~:日本軍が中国東北部で軍事行動を開始。
 疑問点:c 日本政府は、不戦条約などとの関係をどう考えたのか?
・その後の展開:国際組織や条約からの相次ぐ脱退。
 疑問点:d 国際社会との関係を日本の指導者たちはどう構想したのか?

下線部dに関連して、日本の外交に関して述べた次の文a~dについて、正しいものの組合せを、後のうちから一つ選べ。

a  既存の国際秩序に批判的なドイツやイタリアに接近した。
b  重慶の国民政府を「対手(あいて)」とする声明を出して、日中関係を改善した。
c  北方の安定を確保して南進政策を進めるため日ソ中立条約を締結した。
d  独自の経済圏を作るため、日本は日米通商航海条約の廃棄を通告した。
  • a・c
  • a・d
  • b・c
  • b・d

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この過去問の解説 (1件)

01

正しい組み合わせは、「a・c」です。

 

1930年代後半の日本は、国際協調路線から離れ、欧米による「ヴェルサイユ‐ワシントン体制」を批判するドイツ・イタリアと提携しつつ、北方を安定させて東南アジアへ勢力を伸ばす構想を取りました。

 

【各選択肢の検討】

a:正しい

・1936年:日独防共協定

・1940年:日独伊三国同盟
→日本は枢軸国と結び、対イギリス・アメリカへ備える姿勢を強めました。

 

b:誤り

・1938年1月「国民政府を対手とせず」声明を出し、和平交渉を拒否した。
→そもそも「改善」ではなく断絶を宣言しています。

 

c:正しい

・1941年4月、対ソ戦を避ける目的で締結

・以後、日本は資源確保を求め東南アジアへ進出(南進)

 

d:誤り

・1939年7月、条約を廃棄通告したのはアメリカであり、日本ではない。
→記述が逆です。 

選択肢1. a・c

正しい組み合わせです。

選択肢2. a・d

誤りです。

選択肢3. b・c

誤りです。

選択肢4. b・d

誤りです。

まとめ

・日本は国際協調よりも勢力圏拡大を重視し、枢軸国と連携(a)

・同時に北の脅威を避けるべく日ソ中立条約を結び、南方資源獲得へ進出(c)
この2点が、当時の外交方針を最も的確に示しています。

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