大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問65 (日本史B(第6問) 問7)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問65(日本史B(第6問) 問7) (訂正依頼・報告はこちら)

次のプリントは、二度の世界大戦後の日本と国際社会の関係をテーマに、発表準備を進めている高校生のヒマリさんが作成したものである。この文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

第二次世界大戦後の日本と国際社会の関係について作成したプリント

・敗戦と占領:1952年の独立回復まで、独自の外交が不可能に。
 疑問点:e アメリカ主体の占領は日本社会にどのような影響があったか?
・1951年の対日講和会議:開催国はアメリカ。
 内容:f 日米安全保障条約にも調印→日本にとってアメリカの圧倒的な存在感。
    対日講和会議に参加せず、g 日本と国交を樹立しなかった国々の存在

下線部gに関して、ヒマリさんは、対日講和会議以後の日本との外交関係について次のメモを作成した。空欄( ア )( イ )に入る語句の組合せとして正しいものを、後のうちから一つ選べ。

メモ
日本はサンフランシスコ平和条約の調印によって独立した。講和会議に( ア )は参加したが調印しなかった。この時、講和を結ばなかった国々とは、個別に国交を結ぶことになった。
例えば、1972年に日本と中華人民共和国とは、両国間の「不正常な状態」を終結させるため、( イ )に調印した。
  • ア:ソ連   イ:日中平和友好条約
  • ア:ソ連   イ:日中共同声明
  • ア:インド  イ:日中平和友好条約
  • ア:インド  イ:日中共同声明

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この過去問の解説 (1件)

01

正しい組み合わせは、「ア:ソ連 イ:日中共同声明」です。

 

ア:ソ連
1951年のサンフランシスコ対日講和会議に代表団は出席しましたが、条約内容に不満を示して署名しませんでした。

インドは会議に参加していません。

 

イ:日中共同声明
1972年、田中角栄首相の訪中で調印されました。

これにより日本と中華人民共和国は「不正常な状態」を終わらせ、国交を正常化しました。

日中平和友好条約はその後1978年の締結です。

選択肢1. ア:ソ連   イ:日中平和友好条約

誤りです。

選択肢2. ア:ソ連   イ:日中共同声明

正しい組み合わせです。

選択肢3. ア:インド  イ:日中平和友好条約

誤りです。

選択肢4. ア:インド  イ:日中共同声明

誤りです。

まとめ

講和会議で署名を拒んだソ連とは、1956年の日ソ共同宣言で国交を回復しました。

中国とは1972年の日中共同声明で正常化し、その後1978年に平和友好条約へ発展しました。

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