大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問9 (世界史B(第2問) 問1)
問題文
A ベトナム戦争は、資本主義対社会主義という、冷戦下におけるイデオロギーをめぐる対立という視点から見ることができる。インドシナ戦争の休戦を定めた1954年のジュネーヴ協定は、ベトナムを南北に分断した。アメリカ合衆国が南ベトナムへの社会主義の拡大を阻止しようとした結果起こったのが、ベトナム戦争であった。1973年の米軍の撤退から1975年の南ベトナム政府の崩壊に至るベトナム戦争の最終局面にも、a1970年代初頭におけるアジアの冷戦構造の変化が影響を与えた。
一方、ベトナム戦争は、南北に分裂したベトナムの国家及び民族の統一に向けた、ナショナリズムの視点から見ることもできる。bベトナムの北部と南部は必ずしも同じ歴史を歩んできたわけではなかったが、植民地支配に対するナショナリズムの展開とともに、ベトナム人にとって民族の統一性は揺るぎないものとなっていた。
ベトナム戦争終結後も、ベトナムによるカンボジアへの侵攻、及び中越戦争が続けて起こった。このことは、世界に衝撃を与えた。ナショナリズムを論じた『想像の共同体』を著したベネディクト=アンダーソンは、cベトナムのカンボジア侵攻及び中越戦争が、『想像の共同体』の執筆のきっかけとなったと記している。
下線部aについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問9(世界史B(第2問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
A ベトナム戦争は、資本主義対社会主義という、冷戦下におけるイデオロギーをめぐる対立という視点から見ることができる。インドシナ戦争の休戦を定めた1954年のジュネーヴ協定は、ベトナムを南北に分断した。アメリカ合衆国が南ベトナムへの社会主義の拡大を阻止しようとした結果起こったのが、ベトナム戦争であった。1973年の米軍の撤退から1975年の南ベトナム政府の崩壊に至るベトナム戦争の最終局面にも、a1970年代初頭におけるアジアの冷戦構造の変化が影響を与えた。
一方、ベトナム戦争は、南北に分裂したベトナムの国家及び民族の統一に向けた、ナショナリズムの視点から見ることもできる。bベトナムの北部と南部は必ずしも同じ歴史を歩んできたわけではなかったが、植民地支配に対するナショナリズムの展開とともに、ベトナム人にとって民族の統一性は揺るぎないものとなっていた。
ベトナム戦争終結後も、ベトナムによるカンボジアへの侵攻、及び中越戦争が続けて起こった。このことは、世界に衝撃を与えた。ナショナリズムを論じた『想像の共同体』を著したベネディクト=アンダーソンは、cベトナムのカンボジア侵攻及び中越戦争が、『想像の共同体』の執筆のきっかけとなったと記している。
下線部aについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 中ソ友好同盟相互援助条約が締結された。
- ニクソン大統領が、中国を訪問した。
- 中国で、改革・開放政策が開始された。
- 韓国と北朝鮮が、同時に国際連合に加盟した。
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この過去問の解説 (1件)
01
最も適当なのは、「ニクソン大統領が中国を訪問した。」です。
1950年の出来事で、1970年代初頭ではありません。
しかも当時すでに中ソ関係は悪化しており、冷戦構造の変化には結びつきません。
アメリカと中国が接近し、ソ連と中国の対立が際立ったことで、アジアの冷戦構造は大きく変化しました(1972年)。
アメリカは東南アジアでの軍事負担を減らす方向へ傾き、翌年にベトナム和平協定(パリ協定)が成立します。
ベトナム戦争の終結に直接影響した動きです。
ベトナム戦争が終わった後の出来事(1978年)です。
戦争の最終局面には間に合いません。
冷戦終結後の出来事(1991年)で、ベトナム戦争とは時期も地域も離れています。
1970年代初頭のアジアでは、アメリカと中国の接近が冷戦の力関係を大きく動かしました。
この転換がアメリカのベトナムからの撤退を後押しし、戦争終結へとつながりました。
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