大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問10 (世界史B(第2問) 問2)

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問10(世界史B(第2問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

欧米列強の進出を受けたアジアやラテンアメリカでは、様々な地域で新たな国家の在り方が模索された。それについて述べた次の文章Aを読み、後の問いに答えよ。

A ベトナム戦争は、資本主義対社会主義という、冷戦下におけるイデオロギーをめぐる対立という視点から見ることができる。インドシナ戦争の休戦を定めた1954年のジュネーヴ協定は、ベトナムを南北に分断した。アメリカ合衆国が南ベトナムへの社会主義の拡大を阻止しようとした結果起こったのが、ベトナム戦争であった。1973年の米軍の撤退から1975年の南ベトナム政府の崩壊に至るベトナム戦争の最終局面にも、a1970年代初頭におけるアジアの冷戦構造の変化が影響を与えた。
一方、ベトナム戦争は、南北に分裂したベトナムの国家及び民族の統一に向けた、ナショナリズムの視点から見ることもできる。bベトナムの北部と南部は必ずしも同じ歴史を歩んできたわけではなかったが、植民地支配に対するナショナリズムの展開とともに、ベトナム人にとって民族の統一性は揺るぎないものとなっていた
ベトナム戦争終結後も、ベトナムによるカンボジアへの侵攻、及び中越戦争が続けて起こった。このことは、世界に衝撃を与えた。ナショナリズムを論じた『想像の共同体』を著したベネディクト=アンダーソンは、cベトナムのカンボジア侵攻及び中越戦争が、『想像の共同体』の執筆のきっかけとなったと記している。

下線部bに関連して、ベトナムにおける国家と民族の歴史について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 北部が中国の支配から独立し、扶南が建国された。
  • 中部から南部にかけて繁栄したパガン朝が、インド文化を受容した。
  • 阮朝が南北を統一し、国号を越南と定めた。
  • ホー=チ=ミンが、維新会を組織した。

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (1件)

01

最も適当なものは、

「阮朝が南北を統一し、国号を越南と定めた。」です。

選択肢1. 北部が中国の支配から独立し、扶南が建国された。

扶南は1〜6世紀頃にメコン下流域(現カンボジア南部)で栄えたインド化王国で、ベトナム北部の独立とは無関係です。

選択肢2. 中部から南部にかけて繁栄したパガン朝が、インド文化を受容した。

パガン朝は11~13世紀のミャンマー(ビルマ)の王朝であり、ベトナムではありません。

選択肢3. 阮朝が南北を統一し、国号を越南と定めた。

1802年、阮福映(のちの嘉隆帝)が西山党を滅ぼし、北部(昇龍=ハノイ)から南部(嘉定=サイゴン)までを統一しました。

清朝へ冊封を求めた際、当初希望した「南越」は歴史上の南越国と混同されるとして却下され、「越南」という国号が認可されます。

これが現在の「ベトナム」の語源となり、民族統一の象徴とされました。

選択肢4. ホー=チ=ミンが、維新会を組織した。

維新会(ベトナム維新会・クアンフク会)は1904年にファン=ボイ=チャウらが結成した独立運動組織です。

ホー=チ=ミンは関与していません。

参考になった数0