大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問11 (世界史B(第2問) 問3)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問11(世界史B(第2問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

欧米列強の進出を受けたアジアやラテンアメリカでは、様々な地域で新たな国家の在り方が模索された。それについて述べた次の文章Aを読み、後の問いに答えよ。

A ベトナム戦争は、資本主義対社会主義という、冷戦下におけるイデオロギーをめぐる対立という視点から見ることができる。インドシナ戦争の休戦を定めた1954年のジュネーヴ協定は、ベトナムを南北に分断した。アメリカ合衆国が南ベトナムへの社会主義の拡大を阻止しようとした結果起こったのが、ベトナム戦争であった。1973年の米軍の撤退から1975年の南ベトナム政府の崩壊に至るベトナム戦争の最終局面にも、a1970年代初頭におけるアジアの冷戦構造の変化が影響を与えた。
一方、ベトナム戦争は、南北に分裂したベトナムの国家及び民族の統一に向けた、ナショナリズムの視点から見ることもできる。bベトナムの北部と南部は必ずしも同じ歴史を歩んできたわけではなかったが、植民地支配に対するナショナリズムの展開とともに、ベトナム人にとって民族の統一性は揺るぎないものとなっていた
ベトナム戦争終結後も、ベトナムによるカンボジアへの侵攻、及び中越戦争が続けて起こった。このことは、世界に衝撃を与えた。ナショナリズムを論じた『想像の共同体』を著したベネディクト=アンダーソンは、cベトナムのカンボジア侵攻及び中越戦争が、『想像の共同体』の執筆のきっかけとなったと記している。

次の文は、下線部cの理由として考えられる仮説である。前の文章を参考にしつつ、仮説中の空欄アに入れる語句あ・いと、空欄イに入れる語句X・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

仮説
ベトナム戦争が終了した東南アジアにおいて、ベトナムのカンボジア侵攻及び中越戦争が発生した事実は、アンダーソンの認識を揺るがした。
ベトナム戦争は、当時の国際情勢を踏まえて、( ア )で理解しようとする考え方が一般的であった。しかし、この考え方では、ベトナムのカンボジア侵攻や中越戦争を理解することはできなかった。なぜなら、カンボジア侵攻や中越戦争は、( イ )同士の戦争であったからである。
そこでアンダーソンは、新たな視点でカンボジア侵攻や中越戦争を理解するために、『想像の共同体』を執筆しようとしたと考えられる。

(ア)に入れる語句
あ  冷戦下におけるイデオロギーをめぐる対立から捉える視点
い  ナショナリズムから捉える視点

(イ)に入れる語句
X  同じ社会主義の国家
Y  同じ民族を主体とする国家
  • あ ― X
  • あ ― Y
  • い ― X
  • い ― Y

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この過去問の解説 (1件)

01

正しい組み合わせは、「あ―X」 です。

 

ベトナム戦争は当時、資本主義陣営と社会主義陣営の対立(冷戦構造)というイデオロギー対立の視点で語られることが一般的でした。

しかし、その後ベトナムが行ったカンボジア侵攻(1978)や中越戦争(1979)は、いずれも社会主義国家どうしの武力衝突です。
同じ陣営内で戦争が起こった事実は、「冷戦=二陣営対立」という枠組みだけでは説明がつきません。

この違和感が、アンダーソンに民族・国民を捉え直す著書『想像の共同体』執筆を促したと考えられます。

選択肢1. あ ― X

正しい組み合わせです。

選択肢2. あ ― Y

誤りです。

選択肢3. い ― X

誤りです。

選択肢4. い ― Y

誤りです。

まとめ

冷戦の二陣営図式では説明しきれない出来事が、アンダーソンに民族・国民概念を再考させる契機となりました。

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