大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問19 (世界史B(第4問) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問19(世界史B(第4問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史上、戦争は政治や文化そして人々の生活などの様々な側面に影響を与えてきた。それについて述べた次の文章Aを読み、後の問いに答えよ。

A 夏休みを利用して、大学生の小畑さんと伊藤さんが十字軍遠征の拠点の一つであったエグモルトを訪れた。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)

伊藤:やっと着いたね。小畑さんはゼミで十字軍について発表してから、ずっとここに来たいって言ってたんだよね。
小畑:フランス王の十字軍遠征に同行したジョワンヴィルの文書を使って発表をしたんだ。その十字軍はエジプトを攻撃したんだけど、実はその直後、エジプトでは将軍たちによるスルタン暗殺事件が起こったんだよ。
伊藤:そう言えば高校のとき、サラーフ=アッディーンによって建てられた王朝が、クーデタで倒されたって学んだね。
小畑:そうだね。ただ実際にはこの後、西アジアでは、aクーデタで誕生した新王朝とダマスクスを拠点として存続していた旧王朝勢力との間で争いが生じるんだ。この争いに、エジプト攻撃後も西アジアに滞在していたフランス王が関わっていくんだよ。ジョワンヴィルが書いた文書を持ってきたから、この資料を見てよ。

資料
王がアッコンに滞在中、ダマスクスから使者が来た。使者は、スルタンを殺害したエジプトの将軍たちの罪状を王に強く訴え、もし加勢してくれるならイェルサレムを王に譲り渡そうと言った。王は、エジプトの将軍たちが休戦の約定を守る気がないなら、ダマスクスの勢力に加勢すると返答した。
王は使者をエジプトに派遣した。エジプトの将軍たちは、自分たちと手を結ぶというなら、喜んで約定を守ろうと述べた。
その後、エジプトから使者が到来し、イェルサレムを王に引き渡すこととなった。その結果、我々はダマスクスの勢力に対抗する手助けをすることとなった。

伊藤:なるほど。十字軍遠征はキリスト教世界とイスラーム世界との対立という視点だけでは考えられないんだね。

下線部aの歴史について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 新たにカイロを建設し、首都とした。
  • トゥグリル=ベクがバグダードに入城した。
  • モンゴル軍を撃退した。
  • アンカラの戦いでオスマン軍を破った。

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この過去問の解説 (1件)

01

正しい選択肢は 「モンゴル軍を撃退した。」 です。


クーデタで誕生した新王朝とは、1250年にアイユーブ朝のスルタンを暗殺して成立したマムルーク朝(カイロ)です。

ダマスクスには旧王朝(アイユーブ家)の勢力が残存し、両者は対立しました。

そのマムルーク朝は、1260年のアイン=ジャールートの戦いなどでモンゴル軍を撃退して西アジア・エジプトの主導権を握ったことで知られます。

選択肢1. 新たにカイロを建設し、首都とした。

カイロの建設は10世紀のファーティマ朝の事績であり、マムルーク朝の成立時点でカイロは既に存在していたため不適当です。

選択肢2. トゥグリル=ベクがバグダードに入城した。

11世紀にセルジューク朝を率いた人物の出来事であり、13世紀半ばのマムルーク朝とは無関係です。

選択肢3. モンゴル軍を撃退した。

1260年アイン=ジャールートの戦いでマムルーク朝がモンゴル軍(イル=ハン国軍)を破った事実を指し、下線部の新王朝(マムルーク朝)の代表的な業績に合致します。

選択肢4. アンカラの戦いでオスマン軍を破った。

1402年にティムールがオスマン軍を破った戦いであり、時期も勢力も異なるため不適当です。

まとめ

下線部aの「クーデタで誕生した新王朝」はマムルーク朝を指し、その代表的出来事はモンゴル軍撃退です。

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