大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問40 (日本史B(第2問) 問1)

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問40(日本史B(第2問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

アミさんとリセさんは授業の課題として、日本古代の墓と葬儀について調べている。二人が作成しているレポートAを読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

A アミさんが作成しているレポート
古墳は、3世紀中頃から営まれた墓制(ぼせい)である。5世紀にかけて、特徴的な形式の古墳が出現し、全国的に広まり、かつ大型化していった。しかし、6世紀になるとa古墳のあり方が変化し、7世紀初めには先述した特徴的な形式の古墳は造られなくなっていった。孝徳天皇の時代には、墓の大きさを規制し、葬送儀礼の簡素化を目指す詔(薄葬令(はくそうれい))が出された。このようなb墓・葬儀の変化は統一国家の形成への動きに対応するものである。
薄葬の思想の普及と共に注目されるのは、火葬の採用である。文献記録上、日本で最初に火葬されたのは700年の僧道昭である。この3年後には、天皇であった人物を火葬した最初の例が記録される。

下線部aに関して、6世紀の古墳の変化について述べた次の文a~dのうち、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

a  副葬品の主体が、銅鏡などの呪術的性格をもつ物品に変わった。
b  追葬可能な横穴式石室が多くみられるようになった。
c  甕の形をした大型土器の中に遺体を埋葬する形式の墓が出現した。
d  一定範囲に小規模の円墳などが集中する古墳群が各地で造られた。
  • a・c
  • a・d
  • b・c
  • b・d

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (1件)

01

正しい組み合わせは「b・d」です。

 

6世紀には、大型前方後円墳に代わり横穴式石室や小規模墳丘が普及し、埋葬のしかたが大きく変わりました。

bはその横穴式石室を、dは小規模円墳が集まる群集墳を示しており、どちらもこの時期の特徴に合致します。

 

【各選択肢の検討】

a 副葬品が銅鏡など呪術的性格のものに変わった
銅鏡は3~4世紀の首長墓で多用され、6世紀には姿を減らします。

むしろ馬具・装身具・武器など実用・権威を示す品が増えたため、この文は誤りです。

 

b 追葬可能な横穴式石室が多くみられるようになった
6世紀初頭から墳丘の側面に入口を開け、家族・同族が続けて納骨できる横穴式石室が急増しました。

正しい記述です。

 

c 甕形の大型土器に遺体を納める墓が出現した
甕棺(かめかん)墓は弥生時代を中心に分布するもので、古墳時代後期の一般的な変化ではありません。

したがって誤りです。

 

d 一定範囲に小規模の円墳などが集中する古墳群が各地に造られた
6世紀になると有力豪族でも巨大古墳を造らず、同族の小円墳を多数まとめた群集墳を築く傾向が強まりました。

正しい記述です。

選択肢1. a・c

誤りです。

選択肢2. a・d

誤りです。

選択肢3. b・c

誤りです。

選択肢4. b・d

正しい選択肢です。

まとめ

6世紀の古墳は「横穴式石室」「群集墳化」「副葬品の実用品化」が三大ポイントです。

bとdはこれに合致し、aとcは時期が合わないため除外されます。

こうした変化は、豪族間の力関係の変動や、統一国家形成に向けた葬送儀礼の簡素化とも結び付いていました。

参考になった数0