大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問42 (日本史B(第2問) 問3)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問42(日本史B(第2問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

アミさんとリセさんは授業の課題として、日本古代の墓と葬儀について調べている。二人が作成しているレポートBを読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

B リセさんが作成しているレポート
貴族の葬儀と墓は、次第に変化していった。8世紀から9世紀前半には、c令の規定に基づいた葬儀が営まれていたが、9世紀半ばには、葬儀を簡略化する風潮が高まった。
葬送儀礼への僧侶の関与も進み、皇族や貴族の間では亡くなる前に出家する「臨終出家」のような作法が執り行われるようになった。9世紀後半になると、天皇陵のそばに寺院が建立されるようになり、11世紀頃からは、貴族の墓と寺院も近接して建てられるようになる。例えば、d藤原道長は、子孫が極楽に導かれることなどを祈願し、一族の墓地近くに浄妙(じようみよう)寺という寺院を建てている。

下線部cに関連して、次の史料群1・2に関する後の文a~cについて述べた文として正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

史料群1
・〔日本の令の条文〕凡(およ)そ三位以上、及び別祖・氏宗(注1)は、ならびに墓を営むことを得(う)。以外はすべからず。
・〔上記の条文に関する注釈書〕「以外はすべからず」とは、謂(いうこころ)は(注2)、諸王・諸臣の四位以下は、みな墓を営むことを得ず。今行事(注3)、濫(みだ)りに作るのみ。

(注1)別祖・氏宗:分立した氏の祖とされる人物と、氏族の長。
(注2)謂は:意味するところは。
(注3)今行事:現在の実態としては。ここでは、8世紀前半のこと。

史料群2
・〔日本の令の条文〕凡そ親王及び三位以上、暑月に薨(こう)じなば(注4)、氷給え。
・〔唐の令の条文〕諸(およ)そ職事官三品以上、散官二品以上(注5)、暑月に薨じなば、氷給え。

(注4)薨じなば:(親王や高官が)亡くなったならば。
(注5)職事官三品以上、散官二品以上:唐の高官。

a  三位以上であっても、氏族の長でなければ墓の築造は許されなかった。
b  日本古代の社会では、令の規定が遵守されない場合もあった。
c  日本の令の条文が唐のものと似ているのは、唐を模範としたからである。
  • 全て正しい。
  • 全て誤っている。
  • aのみ正しい。
  • bとcのみ正しい。

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この過去問の解説 (1件)

01

bとcのみ正しいです。


律令には厳格な規定があったものの実際には守られないことも多く、その規定自体も唐の制度を手本に作られたためです。


【各文の説明】

a
三位以上であれば氏族の長でなくても墓を築くことが許可されていました。

条文は「三位以上、及び別祖・氏宗」と並列に定めており、「両方を満たす」条件ではありません。

したがって、aは誤りです。

 

b
注釈書には「四位以下は墓を営むことを得ず」とある一方で「今行事、濫りに作るのみ」と現状を嘆く記述があります。

これは法令が必ずしも守られていなかったことを示すため、bは正しいです。

 

c
史料群2の「親王及び三位以上暑月に薨じなば氷給え」という日本の条文は、唐令の同趣旨規定とほぼ同じ構成です。

律令編纂期の日本は唐の法制度を模範としていたので、cも正しいです。

選択肢1. 全て正しい。

誤りです。

選択肢2. 全て誤っている。

誤りです。

選択肢3. aのみ正しい。

誤りです。

選択肢4. bとcのみ正しい。

正しい選択肢です。

まとめ

律令国家では、法令で貴族の墓制や葬送儀礼を細かく定める一方、運用面ではしばしば逸脱が見られました。

今回の史料はそのギャップと、当時の日本が唐の制度を受け入れながら自国の実情に合わせて変化させていった様子を示しています。

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