大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問43 (日本史B(第2問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問43(日本史B(第2問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

アミさんとリセさんは授業の課題として、日本古代の墓と葬儀について調べている。二人が作成しているレポートBを読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

B リセさんが作成しているレポート
貴族の葬儀と墓は、次第に変化していった。8世紀から9世紀前半には、c令の規定に基づいた葬儀が営まれていたが、9世紀半ばには、葬儀を簡略化する風潮が高まった。
葬送儀礼への僧侶の関与も進み、皇族や貴族の間では亡くなる前に出家する「臨終出家」のような作法が執り行われるようになった。9世紀後半になると、天皇陵のそばに寺院が建立されるようになり、11世紀頃からは、貴族の墓と寺院も近接して建てられるようになる。例えば、d藤原道長は、子孫が極楽に導かれることなどを祈願し、一族の墓地近くに浄妙(じようみよう)寺という寺院を建てている。

下線部dの人物に関する次の史料について述べた後の文X・Yの正誤の組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

史料
土御門殿(つちみかど)(注1)の寝殿、一間(けん)を以(もつ)て諸(もろもろ)の受領に配し、営ましむと云々(うんぬん)。いまだ聞かざるの事なり。造作の過差(注2)、往跡に万倍す(注3)。また伊与守(いよのかみ)頼光(注4)、家中の雑具、皆悉(ことごと)く献ず。(中略)希有(けう)の希有の事なり。(中略)当時の大閤(注5)の徳、帝王のごとし。
(『小右記』)

(注1)土御門殿:藤原道長の邸宅。
(注2)過差:分を過ぎていること。ぜいたく。
(注3)往跡に万倍す:以前の事例より甚だしいこと。
(注4)伊与守頼光:源頼光(948~1021)。
(注5)当時の大閤:大閤は太閤と同じ。ここでは藤原道長を指す。

X  受領たちは、任国での業務の中で富を蓄えており、藤原道長の求めに応じて、その邸宅の造営を負担した。
Y  藤原道長は太政官の組織を無視して政治を行っていたため、「帝王のごとし」と評された。
  • X 正  Y 正
  • X 正  Y 誤
  • X 誤  Y 正
  • X 誤  Y 誤

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この過去問の解説 (1件)

01

選択すべき組合せは、「X:正 Y:誤」 です。


史料は、富を蓄えた受領(地方の国司)が藤原道長の豪華な邸宅造営に協力した事実と、道長が天皇に匹敵する威勢を誇った様子を伝えています。

ただし「帝王のごとし」と評された理由は、太政官を無視したからではなく、摂関として皇位継承や財力を掌握したためです。

 

【各文の検討】

X 受領たちは、任国で富を蓄え、藤原道長の求めで邸宅造営を負担した。
史料には「寝殿の一間を諸受領に配し、営ましむ」とあり、各国司が邸の一区画を担当して造営したと明記されています。

受領は地方財源を握るため富裕で、道長の要請に応じたと読むのが自然です。

したがって正しいです。

 

Y 藤原道長は太政官の組織を無視して政治を行ったため、「帝王のごとし」と評された。
道長は摂政・関白として正式な官職を経て権力を握り、天皇外戚として人事や儀式を主導しましたが、制度そのものを否定したわけではありません。

「帝王のごとし」という評価は、皇室を凌ぐ財力と外戚・摂関としての絶大な政治力に由来します。

太政官無視だけを理由とする説明は誤りです。

選択肢1. X 正  Y 正

誤りです。

選択肢2. X 正  Y 誤

正しい選択肢です。

選択肢3. X 誤  Y 正

誤りです。

選択肢4. X 誤  Y 誤

誤りです。

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