大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問46 (日本史B(第3問) 問2)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問46(日本史B(第3問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章Aは、日本史の授業で、中世の日本列島の様子について調べたアカネさんの班とイズミさんの班の活動内容である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(資料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

A
アカネさんの班では、中世の日本列島における中央権力と諸地域の関係について調べることにした。最初に、a鎌倉幕府の成立過程と支配地域の拡大する状況について整理した。次に、b建武の新政や室町幕府による地方支配のあり方についてまとめた。そして、c室町時代の地方在住の武士の結びつきについて、九州の事例を勉強した。

下線部bに関して、アカネさんの班がまとめた内容について述べた文として誤っているものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 建武の新政では、陸奥・出羽両国を統治するために陸奥将軍府を置いた。
  • 室町幕府から東国の支配を任された鎌倉府は、大きな権限を持っており、その管領には細川氏と上杉氏が交代で任命された。
  • 室町幕府は、九州には九州探題を置き、出羽国には羽州探題を置いて、幕府の地方機関とした。
  • 室町幕府は、国ごとに置かれた守護の権限を拡大したため、守護の中には国衙の機能も吸収して一国の支配権を確立するものも現れた。

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この過去問の解説 (1件)

01

誤っている文は、
室町幕府から東国の支配を任された鎌倉府は、大きな権限を持っており、その管領には細川氏と上杉氏が交代で任命された。」です。


鎌倉府の関東管領は一貫して上杉氏が世襲しており、細川氏が交代で就いた事実はありません。

したがって、この文だけが誤りです。

選択肢1. 建武の新政では、陸奥・出羽両国を統治するために陸奥将軍府を置いた。

1334年、北畠顕家が陸奥将軍府(あるいは陸奥国府)を築き、陸奥・出羽を管轄しました。

建武政権が東北支配を図った事例です。

選択肢2. 室町幕府から東国の支配を任された鎌倉府は、大きな権限を持っており、その管領には細川氏と上杉氏が交代で任命された。

鎌倉府(関東府)は関東公方を補佐する関東管領を置きましたが、もっぱら上杉氏(山内・扇谷など)が世襲しました。

細川氏は京都における幕府管領を務めた家で、鎌倉府には関与していません。

選択肢3. 室町幕府は、九州には九州探題を置き、出羽国には羽州探題を置いて、幕府の地方機関とした。

室町幕府は西国統治のため九州探題(初代は今川了俊)を、北奥の支配強化のため羽州探題(後に最上氏など)を設置し、地方機関としました。

選択肢4. 室町幕府は、国ごとに置かれた守護の権限を拡大したため、守護の中には国衙の機能も吸収して一国の支配権を確立するものも現れた。

半済令や使節遵行権などにより守護の権限が強化され、一部守護は国衙機能を取り込み守護領国制を築きました。

土岐、山名、大内などが代表例です。

まとめ

室町幕府は遠隔地統治に探題や鎌倉府を活用し、守護にも広い裁量を与えました。

しかし鎌倉府の人事は上杉氏に固定され、細川氏が関わる余地はありません。

ここを取り違えると、幕府中枢(京都)と東国・西国の支配機構のすみ分けが見えにくくなりますので注意しましょう。

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