大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問48 (日本史B(第3問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問48(日本史B(第3問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章Bは、日本史の授業で、中世の日本列島の様子について調べたイズミさんの班の活動内容である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(資料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

B
イズミさんの班では、中世において、蝦夷島(えぞがしま)・琉球とその周辺は、独自の歴史を歩んだことに気づき、d中世の蝦夷島とその周辺での交易とアイヌの歴史について調べた。また、e15世紀から16世紀にかけて、東アジア・東南アジア諸国を結ぶ中継貿易で繁栄した琉球について調べた。

下線部dに関して述べた次の文章X・Yと、それに最も関係の深い語句a~dとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

X  応永30(1423)年、安藤(安東)陸奥守が将軍へ馬20匹、鳥5000羽、鵞眼(ががん)(銭)2万疋(ひぎ)、海虎皮(ラッコ皮と考えられている)30枚、昆布500把を進上した。
Y  長禄元(1457)年、アイヌが蜂起し、志苔館の小林太郎左衛門尉良景と箱館の河野加賀守政通を攻撃した。その後、所々の城館を攻め落とした。

a  十三湊
b  坊津
c  シャクシャイン
d  コシャマイン
  • X ― a  Y ― c
  • X ― a  Y ― d
  • X ― b  Y ― c
  • X ― b  Y ― d

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この過去問の解説 (2件)

01

下線部dは「中世の蝦夷島(北海道)とその周辺での交易とアイヌの歴史」に関する部分です。

蝦夷島周辺では、津軽の安藤(安東)氏が十三湊を拠点に交易を行い、また15世紀には和人とアイヌの対立・蜂起が記録されています。文章X・Yの内容と関連する語句を対応させることが問われています。

 

〔文章Xの内容解説〕

応永30年(1423年)、津軽を拠点とした安藤(安東)氏は、将軍に馬や鳥、中国銭、ラッコの毛皮、昆布などを献上しました。これらは東北や蝦夷地との交易で得られた品々であり、安藤氏が将軍への服属を示すとともに、当時の北方交易の実態を伝える出来事として重要です。

 

〔文章Yの内容解説〕

長禄元年(1457年)、北海道南部(道南)でアイヌの人々が大規模に蜂起し、志苔館や箱館といった和人の城館を攻撃・攻略しました。この反乱は指導者コシャマインの名を取って「コシャマインの戦い」と呼ばれています。背景には、和人が道南に進出して交易を独占し、アイヌとの間に不公平な取引や対立が生じていたことがあります。戦いは一時アイヌ側が優勢で、和人の館が各地で陥落しましたが、やがて武田信広らの援軍によって鎮圧されました。

 

〈語句解説〉

a:十三湊(じゅうさんみなと)

青森県津軽半島の日本海側にあった港町。中世には安藤(安東)氏の拠点として栄え、蝦夷地や大陸との交易の中心地でした。

日本海交易で「北の都」と呼ばれるほどの繁栄を誇ります。

b:坊津(ぼうのつ)

鹿児島県南さつま市にある港。中世から近世にかけて、琉球・中国・朝鮮などと交易した南九州の重要な国際貿易港です。特に琉球王国との関係が深かったとされています。

c:シャクシャイン

17世紀のアイヌの有力首長。1669年に「シャクシャインの戦い」を率い、松前藩と対立。北海道の大半を巻き込む大規模な蜂起に発展しました。

d:コシャマイン

15世紀のアイヌの指導者。1457年に「コシャマインの戦い」を起こし、道南の和人居住地を攻撃。これは中世最大規模のアイヌ蜂起とされています。

 

上記のように、文章XとY、a~dの語句解説を読み合わせると正解は(a)(d)であることが分かります。

選択肢1. X ― a  Y ― c

誤りです。

選択肢2. X ― a  Y ― d

正しい選択肢です。

選択肢3. X ― b  Y ― c

誤りです。

選択肢4. X ― b  Y ― d

誤りです。

まとめ

X → a:十三湊、Y → d:コシャマイン

したがって、正しい組み合わせは X=a、Y=d です。

今回の問題はXとYを正しく内容を理解し、適切な歴史用語を選択する問題でした。

 

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02

正しい組合せは「X―a Y―d」です。
 

1423年に将軍へ海産物やラッコ皮などを貢納した安藤氏は、北方交易を握った十三湊を拠点としていました。

また1457年の大規模蜂起は、志苔館などを襲ったアイヌの指導者コシャマインが率いた戦いとして知られます。

 

【各選択肢の内容】

X―十三湊(a)

応永30(1423)年の進上記事に登場する安藤(安東)氏は、津軽半島の十三湊を根拠地に蝦夷島との交易を統括しました。

馬・昆布・ラッコ皮など北方産物を将軍に献上し、交易の実権を示しています。

 

Y―コシャマイン(d)

長禄元(1457)年の蜂起は、アイヌの首長コシャマインが道南の和人居住地を攻撃した事件(コシャマインの戦い)です。

志苔館や箱館の河野氏らが標的となり、和人側は武田信広らの援軍で鎮圧しました。

 

誤りとなる他の語句

坊津(b)は薩摩の南端にある南海貿易港で、北方交易とは無関係です。

シャクシャイン(c)は17世紀後半(1669年)のアイヌ蜂起の指導者で、年代が合いません。

選択肢1. X ― a  Y ― c

誤りです。

選択肢2. X ― a  Y ― d

正しい組み合わせです。

選択肢3. X ― b  Y ― c

誤りです。

選択肢4. X ― b  Y ― d

誤りです。

まとめ

中世の蝦夷島周辺では、十三湊の安藤氏が北方交易を通じて将軍と結びつく一方、和人の進出に反発したアイヌがコシャマインを中心に蜂起するなど、交易と抗争が交錯していました。

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