大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問55 (日本史B(第5問) 問1)
問題文
マサ:江戸が東京に変わったのは、明治維新の時だったよね。
ミユ:今、手元の年表を見ると、a1853年にペリーが来航してから、江戸やそれ以外の場所でも様々な出来事が起きているね。
マサ:江戸幕府の崩壊が、東京に変わるきっかけだから、そこから考えよう。
ミユ:b将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返すことを表明した場所は京都だね。
マサ:幕末は、京都に政治の中心が移っていたようだ。でも、戊辰戦争が始まると、江戸も上野一帯で戦争が起きたりして、動乱に巻き込まれていくよ。
ミユ:その後、江戸は東京になる。旧幕府勢力の抵抗が終わると、新政府の支配は安定し、c諸外国との間でも新たな関係が整えられていくんだね。
マサ:ところで、人々はどうやって時代の変化を感じ取ったのかな。
ミユ:長い間京都にいた天皇が、東京に入ったのは大きな出来事だったろうね。年表だとd天皇は1868年の10月に初めて東京に行幸している。その年に京都に戻って、翌年、再び東京に入り、東京は首都として定着していくよ。
下線部aに関連して、ペリー来航以後の出来事に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
Ⅰ 公武合体を推し進めようとする薩摩藩の要求を受けて幕政改革が始まり、参勤交代制の緩和が行われた。
Ⅱ 長州藩が勢力挽回のため京都に出兵し、会津・薩摩などの藩兵に敗れた。
Ⅲ 幕府は、欧米諸国との貿易開始の翌年、江戸の物資不足に対応するため、生糸などの五品については、江戸の問屋を通して輸出するように命じた。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問55(日本史B(第5問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
マサ:江戸が東京に変わったのは、明治維新の時だったよね。
ミユ:今、手元の年表を見ると、a1853年にペリーが来航してから、江戸やそれ以外の場所でも様々な出来事が起きているね。
マサ:江戸幕府の崩壊が、東京に変わるきっかけだから、そこから考えよう。
ミユ:b将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返すことを表明した場所は京都だね。
マサ:幕末は、京都に政治の中心が移っていたようだ。でも、戊辰戦争が始まると、江戸も上野一帯で戦争が起きたりして、動乱に巻き込まれていくよ。
ミユ:その後、江戸は東京になる。旧幕府勢力の抵抗が終わると、新政府の支配は安定し、c諸外国との間でも新たな関係が整えられていくんだね。
マサ:ところで、人々はどうやって時代の変化を感じ取ったのかな。
ミユ:長い間京都にいた天皇が、東京に入ったのは大きな出来事だったろうね。年表だとd天皇は1868年の10月に初めて東京に行幸している。その年に京都に戻って、翌年、再び東京に入り、東京は首都として定着していくよ。
下線部aに関連して、ペリー来航以後の出来事に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
Ⅰ 公武合体を推し進めようとする薩摩藩の要求を受けて幕政改革が始まり、参勤交代制の緩和が行われた。
Ⅱ 長州藩が勢力挽回のため京都に出兵し、会津・薩摩などの藩兵に敗れた。
Ⅲ 幕府は、欧米諸国との貿易開始の翌年、江戸の物資不足に対応するため、生糸などの五品については、江戸の問屋を通して輸出するように命じた。
- Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ
- Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ
- Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ
- Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ
- Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ
- Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ
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この過去問の解説 (1件)
01
この問題の正解はⅢ → Ⅰ → Ⅱ です。
ペリー来航後、1859年に貿易が開始されると江戸で生活物資が不足しました。そこで翌1860年、幕府は生糸など五品を江戸の問屋経由で輸出させる「五品江戸廻送令」を出し(Ⅲ)、国内流通を優先しようとしました。
しかし外交・内政の混乱は収まらず、1862年には薩摩などが推す公武合体を背景に、幕府は文久の改革を実施します。ここで参勤交代制の緩和など幕政改革が進みました(Ⅰ)。
それでも政局は対立を深め、1864年、勢力回復を図る長州藩が上洛して武力衝突に至り、禁門(蛤御門)の変で会津・薩摩らに敗北しました(Ⅱ)。
以上より、この問題の正解は(Ⅲ)→(Ⅰ)→(Ⅱ)の年代順となります。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
正しい選択肢です。
誤りです。
ペリー来航後の出来事は、Ⅲ → Ⅰ → Ⅱの順です。
まず貿易開始翌年の五品江戸廻送令(1860)で江戸の物資不足に対応しました。ついで薩摩らの公武合体要求を背景に文久の改革(1862)で参勤交代緩和などの幕政改革が行われます。最後に政局の対立が激化し、長州が上洛して敗れた禁門(蛤御門)の変(1864)が起こりました。経済対策→政治改革→軍事衝突という流れを押さえるのがポイントです。
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